今朝早く、あやが逝った。18歳になって2ヶ月、というところだった。
朝起きたら、母が、「あやにお別れしてあげて」と言った。
えっ、という感じだった。弱ってはいたけれど、こんなに突然に逝くと思っていなかったから。
母が朝5時過ぎに起きたらもうだいぶ調子が悪く、5時半頃から苦しそうになって、6時少し前に、静かになったということだった。母はその後も6時半頃までずっと、抱いてさすっていたそうだ。
最初は全然、実感が湧かなかった。悲しさが押し寄せてきたのは、30分ほどたってからのことだ。
もうほとんど食べものを口にしなくなっていたけれど、奮発してちょっといい鮪の刺身を買ってきて手の上にのせてあげたら、一昨日、昨日とほんの少しだけれど、食べたのだ。
少しは食べられるのだから、まだ大丈夫、と思ってしまった。でも、あれはあやの、サービスのようなものだったのかもしれない。
昨日時々、こちらを見て何か訴えるしぐさをした。水が欲しいのかな、とおもって湯呑を口元に持っていったけれど、顔をそむける。
今から思えば、甘えたかったのかもしれない。でも数日前から、痩せた体を触られるのを少し嫌がっていたので、あまり抱きしめてやらなかった。でも、あのときばかりはたぶん、抱きしめられたかったんだ。
あやだけが、最後の1日だと知っていたんだ。
夕方、久しぶりに膝に乗ってきて、その真剣な表情に私と母は少し笑ったけれど、あれもたぶん、あやのお別れだったんだ。
夜、居間にいないのに気づいて、探しに行くと風呂場の入口にいた。そっとしておこうかと思ったけれど、「来る?」と聞くと素直についてきた。あれが唯一昨日、私がやってよかったと思えることだった。
でも、寝る前に抱きしめはしたけれど、なにしろそんなに早く逝くと思っていなかったので、私が言った言葉は、「おやすみ、暖かいところで寝るんだよ」というありふれたものだった。
もっと一緒にいてやって、あやの大好きな言葉「大丈夫。心配いらないよ」を言ってやれば良かった。
でも昨日は仕事が休みでずっとあやと一緒にいられたし、今日は遅番だったので、お別れもできたし、気持ちを落ち着かせることもできた。あやの、贈り物だったのかもしれない。
あや、本当にありがとう。大丈夫、心配いらないよ。