以前猫友人(と、言っていいのかしら)の方が、お友達の猫を送るとき、『鳥の歌』という曲で送った、ということを記事に書いてらっしゃいました。
そうして、“鳥の歌はカタロニア語で聴くのがいい”とも教えていただきましたので、そのあと図書館からホセ・カレーラスのアルバムを借りてきました。(カレーラスならカタロニア語で歌っているのでは、と……)
でも、実際のお別れの日は、まず、仕事に出かけなければならなかったのですが、前日まで聴いていたテンションの上がるCDは外し、気持ちを落ち着かせるためにクラシックに替えました。
そのなかで、一番その時の気持ちにひっかかったのは、ポムベルクの『望郷のバラード』でした。
そして、次の日お墓を作るときは、私の頭の中で繰り返し響いていたのは、音楽ではなく詩でした。
アンナ・アンドレーヴナ・アフマートワの『葬儀』という詩です。
わたしは 墓地にいい場所を探している。
知りませんか、どこか明るいところを?
野原のまんなかはとても寒い。
海辺の岩山は もの悲しいし。
それにあの女(ひと)は、ずっと安らかに暮らしてきたし
太陽の光を 好きなのだから。
私はその墓のほとりに庵をあもう。
いつまでも そこをわが家としたい。
いままでずっと、忘れていた詩なのです。なぜふいに思い出したのか不思議でした。
そして、最近、あやに向けて歌うのは、実は、子守唄の『ゆりかごの歌』なのです。
あやが元気だった頃も、他の猫たちにも、よく歌った歌でした。
これと、“ねんねこしゃっしゃりませ”という歌は、ねこ、という言葉が歌詞に出てくるせいか、どの子も好きだったので。
素朴この上ありませんが、私はこれでいいのかな、と思っています。