月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

金木犀が香る秋は、ウォーキングに絶好の季節!

2014-09-30 23:41:38 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)



昨日、ある人とメールのやりとりをしていて、「わたしは弱い人間です」(これは一部、その他の内容に感激したのかもしれないが)と、
あまりにストレートな物言いと内容に、逆に感服してしまった。
そこで、ハタと気付く。そういう私だって
じぶんは弱いなぁ~。忘れたころに、よくそこにぶち当たるのだと。

これまでも時々、弱さを乗り越えるため「壁」にぶち当たったし、これからも、何歳になろうと壁は全く消えてはくれないのだろうと思う。
人間とは、誰しも強くあろうとはするけれど、本質的にな習性として強くは生きにくい、ものなのかもしれない(と最近思ったりする)。

じゃあ、じぶんを少しでも強くするためにどうするか。(そこが肝心)
自分に衝撃を与える良いものを読み、
自分が美しい!と感じられる良いものたちと暮らし生活に刺激を与える。

あえて立ち向かう「好奇心と勇気」をもつ。
(精神が強くないと、いい原稿など決して生まれないと書くたびに思う)
そして今。私がひそかに挑戦しているのは、しなやかな強い肢体をつくろうとすることである。時折のヨガと日課とするウォーキング。
9月初旬。健康ウォーキングの取材で、とある先生と出会った。そこで正しいフォームとともに、なぜウォーキングが健康にいいのか、ということを
ていねいに教わった。取材というのはすばらしいね!



まず、ウォーキングのフォーム。
肘は軽く曲げ、背筋はまっすぐ。その際に、できるだけ足を遠くに出すようにすると、自然に膝が伸びるそうだ。膝が伸びると歩幅が広がる。
着地は、かかとから。つま先に重心を移して踏み込んで、反動で地面を力強く蹴る。
腕の降りは、後ろ肘を注意して、勢いよく振り切る。すると、けんこう骨が刺激される。

また下半身の筋肉を鍛えておくということは、総じて疲れにくくなり、脳が元気になるのだという。
(歩くことで、大脳神経に直結している足の筋肉の緊張線繊維をつかって、脳細胞を刺激するから。足裏からの振動は脳に酸素が行きわたり、良い閃きも生み出す。

老化は足から。この原理も、人間の筋肉の3分の2は下半身に集中。足を動かすことはすなわち、下半身と連動している上半身の筋肉も動かすことに繋がるのだ。

9月初旬から、できるだけ大股で歩いて街を闊歩!
歩けば風景がよく見える。
夏から秋、そして冬へと。季節も折り返し(というか、あと3カ月)。
この時間をどう組み立てるのか、歩くことで(耳からは音楽を聴き)物事もよく考えるのかもしれない。







もっと旅の取材を!

2014-06-15 00:54:08 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


(全述の「穴」から一転、
電話インタビューで書いた記事は校了へと進んでいる模様。ホッとした)

さて先週の今頃は巻頭の取材で、沖縄でした。





取材で飛行機に乗るのはホント久しぶり、めちゃくちゃ愉しかった。

もちろんプライベートで旅をしても愉しいのだけど、
スタッフや現地の人たちと一緒の取材旅行はなおさら好き、取材ということで、より掘り下げてモノが見れるし、聴けるし、
仕事柄いろいろなことを追求してもそれは価値として許される。

これが家族と一緒のプライベート旅行なら、
「またまた我が儘言って、さぁ行きましょう。早く、早く…!」って、追い立てられることもしばしば。


ともかく、雲の上に顔を出し、広い広い空を飛んだらいろんなことが吹っ切れた。
友人との行き違い、
昨年12月の後半からある事にずっーと心砕いてきたが、それも少しは晴れた。忘れていた。

必死でインタビューをして、リサーチし、毎日が青春、冒険。
あ、、、、本当に。無条件で。旅の取材というのはテンションが上がる。

沖縄のおばぁを、今回は2人も取材したのだが、大切なことを沢山教わった。
初日は、奥武島にわたり築150年の沖縄の伝統的な家屋に住んでいらっしゃるおばぁを取材。







チャーギの柱は銃弾の痕でえぐれた箇所がいくつも残り、
血の爪痕まで残る家屋で、実に飄々と笑って暮らしておられた。
沖縄のおばぁから戦争の話を聴くのは痛い。けれど、おばぁにとってはそれも青春。過ぎ去った一場面に過ぎない。
それほど、沖縄の人は深い信仰と精霊に守られて住まわれている。
先祖を敬い、神を信じ、その魂とともに生きる沖縄の人々。
家庭を守る神は、ヒヌカン(火の神)で、祀るのは家庭の主婦や母の仕事なのだという。



夜は12時近くまで泡盛を飲んで、琉球料理ばかり食べて











牧志公設市場を見てまわって











氷ぜんざいを食べ、スイーツを撮影し、那覇の街を歩いて、沖縄民謡を聞いて…








それから50年にわたって琉球料理を教えるおばぁに会いにいった。
料理を6品も作り方を教えていただいた後で、ぬちぐすい(食は命の薬)というテーマで話しを聞く。


今度はサンサンと照りつける陽射しのなかでビーチの撮影。




日傘もささず、あっけらかんとした、しわくちゃの笑顔で何時間でも白砂のビーチに立っていただいた。私達のほうがついつい日陰を探そうとしていたほど。
おばぁの昔話しは、次から次へと泉のように湧いてきて、尽きることがない。
ともかくマイペースである。インタビューに答えるというよりは、私達との話のなかで共通項を見つけては
そこから、突拍子もなく話しに入って、聞いているのかいないのか。やがては自分の物語へとスッと変えていかれる。強く、たくましい、自然体なのが沖縄のおばぁだ。

いい加減なのに、あったかい。
ゆるりとした空気のなかで聞く沖縄ことば(ウチナーグチ)がほっこりと優しく、こだまする。

おばぁやおじぃが元気な街というのは、素晴らしい。



初めて沖縄に神様が降り立ったという琉球八社のひとつ「波の上宮」へも参拝。





ヒルトンホテルがオープン間近な北茶のリゾートや
アメリカンビレッジにも足を延ばす。




現地の方からもアメリカ人、中国人との距離の取り方や
本当は現地の人が「普天間」問題のことをどう考えているのかも、聞くことができた。
私達が想像する以上に、沖縄はアメリカ人たちと一体で暮らされているのだと感じた。
アメリカが沖縄にすっかり溶け込んでいる。人も食も考え方も。
ある意味、沖縄の人たちはアメリカという国民性に救われているし、影響を受けて生きている人も多いと知った。

(たまたま同行した人達がそうだったのかもしれないが)


日本とアジア文化、アメリカ文化がチャンプルー(ごちゃ混ぜ)になり、そこに生まれたのが、沖縄独特の文化。
だからこそ、暮らす人々も大らかで細かいところを気にしない。

だけど、小さな国や小さな島というのはなぜ、神様との位置が近いんだろう。
今回、神様の使いとして話し、祈祷するゆたと呼ばれるおばぁにも同行していただいたので、
そんなことも、ふと考える。
日本は、戦前、神の国といわれてきたのだ。当時に比べると失っているものも、多いに違いないなぁとか。
いろいろなことをざわざわと、感じてかえってきた。


ともあれ
旅をして人を取材して、現地の味を訪ね歩いて、風景に酔いしれて。そしてそれを再び再現するために書くことができるナンテ、幸福なこと。
旅が終わってからも、お愉しみは続くのだ。
帰ってから記事を書く段になっても、テンションは高いまま。

それくらいのネタ(収穫)は十分にあった。

しかし、記事を書くのはあまり幸せいっぱいでは、危険なのである。
細部を粘り強く洞察するうえでは、テンションは不要。
冷静かつ真摯に。職人のように落ち着いていなければ良いものはできない。
私はそういう時にはじぶんをいつも叱咤する。
いい加減にしなさい、調子に乗りすぎるのは止めなさい。目をさましなさい。

そう、人に諭される前に自分で自分を諭す。
もう長いこと自分とつき合ってきたのだから、性格はよく熟知しているのだ。
私はすぐに浮かれすぎるから。
取り急ぎ、取材後5日で入稿スミ。

あとはデザイナーさんとのやりとりをして、一緒に作り上げる作業である。初稿はひとまず終えた。巻頭以外のページは早いものだ。



今は別件のコピー作業に移っているが、
しかし、旅の仕事はやっぱりいいな。
好きなんだなーーと冷静に思う。無心になっている自分をみてそう気付く。

そういえば、大学を出て初めて勤務した会社が
沖縄の仕事をメインにしていらして、コーラルウェイという本島から離島にわたる「南西航空」の機内誌を作っている会社だった。

空港バスに搭載するアテンションもその頃よく原稿を書かせてもらった。
そうか、就職してすぐの立ち上がりが「沖縄」から始まったのだから、それであんなに現地の人々との人情味に燃えて、懐かしかったのかもしれない。
入社して1カ月たらずで、3週間くらい沖縄行っていたものねーーー。
ホテル日航八重山(当時は南西グランドホテルという名前)の朝食や夕食に飽きて、石垣島の八重山そばを何日間も食べ続けていたっけ。

一度ゆっくり離島に滞在したい。あの降るような星空は今も見えるのだろうか。
空に穴があいているのかと思うほど、流れ星がいっせいに降りそそいできた時は奇跡をみているようだった。

あの頃、まだ世間がとてつもなく狭かった
20数年前の自分と比べるとどうかな。性格やモノの考え方は基本的には変わっていないけれど、
少しは自信がもてるようになったかしらね。

そろそろ、原点に立ち戻り
仕切り直しの時期にきているのかも。





電話インタビューだけで人物取材記事を書く「穴」にはまる。

2014-06-02 16:37:11 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)



この週末から、人物インタビューの記事をずっと書いているのだが、どうもうまくいかない。
もう7年8年、レギュラーでやり慣れた仕事なのに、どうしたことか。

実は長野県まで取材に行く予定が、先方と私のスケジュールの問題や経費削減の関係で、電話インタビューというかたちに収まってしまったのである。

1時間もあれこれ話し、録音もしたので大丈夫だろうと自分としては「達観」していたのだが、これが甘かった。
やはり、インタビューの仕事というのは「取材力」が命だ。電話で情報だけ集めても、どうも「ひと」そのものが、石のようになって固まったまま、
イキイキと物語が動いてくれないのだ。文章はまるであらすじのようになり、
文体は一辺倒のお経でも聴いているよう。

話としては正確なはずだが。魅力に欠ける。
要するに全くつまらない、何度書き直しても、人物が生きてくれないのである。


あーーー、なんとかしなければ。デザイン渡しを一日でも早くしないといけないのに。これは困った。

本来は、6月1日(日曜日)は京都・吉田山での、お茶会のお誘いもあって楽しみにしていたのだが、
もっと早く着手すべきだった。
仕方なしに、週末も平日と同じくずっーと1人で作業していた。



取材というのは、目と耳と感触、そして感動と。その日、その時に出会ったいろいろな感性の総動員なのだな、と改めて思う次第だった。

と同時に、もしかしたら、自分に想像力というもが欠け落ちてきて、
文書構成力のレベルも同時に落ちているのでは、という恐怖もつきまとう。

ともかく、あと少しはやってみよう。想像の翼を広げて、イメージしよう。
イキイキと人物が私の目前で、話してくれている様を描いて、その人の人生をのぞいてみよう。もっともっと知りたいと思おう。

最近は1つの案件で1万5千文字とか、の原稿が多いなかで、
2千文字の原稿にやられているとは…(600文字の原稿なら電話だけで書けるのにね)。

ふと、先日図書館で借りてきていた「暮らの手帖」がそばにあったので手にとる。そのままソファに移動して読んだ。

フランス人である「ジェーン・パーキンの暮らし」を書いた10ページほどのインタビュー記事。
恍惚とするほど、魅力的に描けているなあ。もちろん媒体自体が圧倒的に違うし、人物そのものが問題にならないくらい違う。
それはわかっているけれど、
いいなーーこういうの。
彼女の過去から今の興味、ファッション、話し方、息づかいまで伝わってくる。もっとジェーン・パーキンさんに興味がおよび、「冬の子どもたち」という音楽も聴いてみたくなった。
洞察力と取材の力だ。さすが良く出来ているなぁ。

やっぱり、自分の想像力の貧困さが「穴」にけつまずく原因か。大丈夫か自分と思う。


夜は、夕食の後でプレミアムモルツを飲みながら「マイレージ・マイライフ」のDVDを家族で観る。



仕事を愉しむ力。

2014-03-16 19:24:14 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)





                                   (京都北野天満宮の白梅)





最近はロングバージョンの仕事が多い。
耐久レースでいえば、長距離走者になった。
不思議。
何を宣言したわけでもないのに、1本そういうのが舞い込むと次々と同じ性質の仕事が入ってくる。

1章1節から全部で15章くらいある、長いものを書いているかと思えば(1万5千文字とか)。
100節くらいあるコピー(コピー100本)。冊子物。取材200件分のお手伝いや…。ともかく耐久レース。
それらを同時にやっているといつも書いている。取材以外はいつも机にいる、ということになる。
ありがたいことである。

「言霊」って、やはりあるのかしら、と思う。
昨年、一度に仕事の依頼が集中したことがあって、そのプレッシャーに押しつぶされそうになって。
「もう無理。もう仕事はいい」などと口走ったら、
波のように仕事の依頼が一気に引いた。それから数日いや1月以上、新規の依頼がシンとこなくなった。
誰も彼も、自分をとうに忘れてしまったようだった。

それが今年にはいってからは、「こんな手のレギュラーの仕事。あと数本入ればうれしいなあー」としきりに家族と話していると、
ロングバージョンの仕事依頼が次々。
全てレギュラーとして決まってきた。(レギュラーだから終わったと思ったらまた始まる…)
凄い。波をこちらから、引きよせているの?
自分の口から発する言葉には、責任をもたなきゃあ。当たり前のことだけど。そう気を引き締めようと誓った。
そして、今うまくいったからといって。
「いい気(調子にのらない)にならないことである」。自分への戒めとして。

ふと、こんなことも思うのだ。
知らずしらずのうちに、不平不満ばかりいう人は、本当に不平不満だらけの人生に、なる。
そんな人を私は何人か見てきたから。
「言葉」は大事だ。自分がそう思う以上に、本当に大事なのだ。


さて、私の文章は傾向として。
「特集記事」などを仕上げる時に、文章がダラダラと長くなる傾向があった。
デザイナー泣かせだ。
思いを削る作業をなかなか出来ずに、短い「言葉」であっても要素を入れていくうちに長くなって、
うまく余白を加味したレイアウトを組めないという特集も…。
そのたびにデザイナーは「大丈夫です。全部入りましたから。問題ないです」と爽やかに言ってくれていた。

しかし、最近の傾向として。やはりデザイン優先。写真のいい特集は素晴らしい。
なので、最近はコピーを先にあげるのではなく、デザイナーさんのラフを優先して誌面全体としての美しさ、愉しさ、リズムをつくるように苦心している。
というか、そのほうが絶対に良い仕上がり。つくる段も愉しい。

今の仕事はロングバージョン集中型だ。きっとそんな時期なのだ、と思う。
締め切りも集中して近づいてくると大変だが、
ちょうど私のように根気のない「仕事人」にはいい薬になるのかもしれない。そう、スピードがつくようになるかもしれない(笑)。

昨年までの私なら、仕事が混んでいる時はそれを、優先するあまり、
誰とも会わなかったし、どんな魅力的な展示会も飲み会だって、スルーしてきたが。
今年はどうしても行きたい時には、ほったらかして(締め切りに近くない限り)出たりする。
そうじゃないと、どこにもいけないし、モノが見えなくなると怖いから(と、いいわけ…)
そんな愉しいお話も、またこの次に。


春になったなあ、と思う。今日はどこにも出掛けていないけれど。
それでも春の匂い、肌ざわりは、ちゃんとわかる。


縦書き原稿と横書き原稿について、のモノローグのようなもの。

2014-02-13 22:32:21 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)




縦書きの原稿と横書きの原稿。
同じテーマ、同じ人の書く文章なら、横書きも縦書きも変わらないと思う人も多いだろう。
しかし、私はどうもこの両刀使いがうまくない。
コピーライター時代が長かったので
どうしても横書きで原稿を書くクセがある。
今もこのブログも横書きで書いている。
なぜ? 文字を左から右に読むのはすごく自然な気がする。気楽だ。
おそらく「慣れ」だけの問題なのだろう。

私が担当する仕事はほとんどが広告代理店か広告プロダクションから、もしくは企業から直接依頼されるものばかりなので(出版社ではない)、
やはり広告媒体系の仕事が多い(情報誌であっても広告主発行のPR誌となる)。
しかし、最近どうしたことか新聞社系からの依頼とか、
もしくは企業でも冊子系のものが重なった。

第1章、第2章だけで提出する原稿量が1万5千文字とか。
見本をみると、縦書き原稿のフォーマットだった。

そういえば、本は全て縦書き。作家というのは、たいていが縦に文字を埋めていく。

しかし、どうもこれがまだ慣れない。
それで、横書き(ワード)で書いたものを、縦書きフォーマットに変換して、提出する。ということをしている。

横書きで、いったん完結させたものを、
縦書きのフォーマットにすることで、横書きでは見えてこない違和感が
みえてくるようになる。そこで修正を。そうやって提出の日に2度ほど推敲・修正を繰り返して提出した。

一度書いたものを、今度は読み手の立場で読み。置き換えて原稿をつくる。
どうも私はいろいろなところが不器用なので、
TPOに合わせて、うまく切り替えるということができにくい体質である。
いくつかの手順を踏まないと、1本の仕事すら仕上がらない。
仕事が重なってきて、1本にかける時間が少なくなると、だから大変だ。
どうしても、手順をすっとばすことが不安。
時間がなかったがために、不完全なもの(最善でないもの)を提出すると、
うまくいかなった時に、ものすごく申し訳ない気がするからだ。

話しはそれたが、先ほどの縦書きと横書きの話である。
横書きのほうが、気持ちが楽で自由な気がまだ抜けない。
縦書きフォーマットの真っ白な用紙を前にすると、
途端に、緊張。怖い。言葉を埋めていく作業のひとつひとつが、
(正解でないような気がして)自信がない。恐れ多いのだろうか。

なぜだ?
なのに、横書き原稿を縦書き原稿のフォーマットに切り替えた時…。
ほっとする。美しい。
そして、先ほどもいったが横書きでは見えなかった、文章の弱点のようなもの、「穴」が
浮き彫りに。
「ごまかしは、通用しませんよ」
といわれているような気持ちに。
それに、文章を読む時には横書きよりも
縦書きのほうが絶対に読みやすい。
なんとも不思議。どうしてなのか理由も不思議である。

一度、気合いをいれて恐怖を乗り越えて最初から縦書きにチャレンジしてみようか。
すると、まったく違う人の文体のようで、違う内容のものになったりして。
(それじゃあ、思いつきで文字を埋めているみたいじゃないか、こら!)
文章って、面白いなあと思う。
(どうでもいいことを、私はよく関心する)


原稿がうまくいった時には、文字の羅列(配列)がすごく美しい。
これも不思議。
簡潔で、無駄がない。
レイアウトをしていないのに、文字の流れ自体がすごく
安定しているし、
シンプルである。

いつまでこの仕事をしていても、
下手くそなままだが、やはり面白い(いろいろな些細なことも含めて)!
と思う以上は、この仕事を続けていくのだろう。
おそらく、ね。そう出来れば幸せである。

あるイベントから。民際ー知と文化 出版記念シンポジウム

2013-12-11 00:09:45 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


年末は何かと慌ただしいけれど、嫌いじゃない。
11月も過ぎて12月ともなると、
「やっぱり今年も良かったなー」なんて。

そして、残された1カ月。12月の街はどこへ行ってもキラキラと綺麗なので、よけい。
僅かな時間もいとおしく思える。

先週の土曜日。
クリスマスのイルミネーションがOSAKAを包み込む綺麗な冬の日に。

「民際―知と文化」(洪萬杓さん編集)と題した出版記念シンポジウムに、出席させていただく機会があった(クライアントさんからの招待)。

なんだか、難しそうな内容だなーと思ったけれど、
その予想どおり、不勉強な私にはちょっぴり難しかった。

プログラムの内容としては、
「東アジアの未来を見据えて」をテーマにした玄順恵(ヒョン・スンヒエ、水墨画家)さんの記念講演をはじめ、今回の本の執筆者の中から
5名のゲストによるパネルディスカッション。後半はホテルニューオータニ大阪のパーティメニューを頂きながら交流会、撮影会も。

玄順恵(ヒョン・スンヒエ、水墨画家で旦那様は作家の小田実さん)さん。特に彼女の講演がホントに素晴らしかった。



「東アジアは地球の陸地面積の3分の1、を占めています」
「東アジアのなかにおいて、日本は一番自由で、一番進歩している国でありたい」
「東アジアがどのように進化するかで、地球は大きく変わっていくのです」ホントにそのとおりだ、と。
改めて東アジアの中の我が国の
あり方を考えた。

最後に音読された詞もよくて、もう泣きそうだった。

テープレコーダーを持っていっていたのにも関わらず、
前日のロング取材で電池切れ。録音できないのが非常に悔やまれた。

今日印象に残った言葉は、「私たちがなぜここにこうして生きているのかは、歴史と切り離しては考えられない」。
そうして、人間と人間が本当の意味で繋がっていくには、
「考古学の発見や歴史遺産から紐解き、その価値と真実をキチンと見据える必要があるのだ」、ということ。勇気をもって。

「百済」は過去の古墳時代と飛鳥時代のなかで、日本が最初に大陸文化を結んだ稀少な国であり、
とても密接な関係を築いてきた国。
その足跡は、奈良に堺に、枚方に、しっかりと息づいている。
そして今、古代百済の本拠地である「忠清南道」は、
百済文化を前面に押し出し、
国際交流の取り組みを積極的に展開しよと試みられている。

私たちが抱いている韓国とは
少し異なるイメージだ。

「百済と倭国との関係」から捉え直すことで、東アジア全体のピースフルな視座と発展に繋げたい、それが大切だと、熱く語りかけていらっしゃった。



今、日韓問題はとてもシビアだ。
でも、今回の論点はそこではない。

「日韓両国の民間レヴェルの文化の交流こそすばらしい。政治を抜きにして仲良く手をつなぎ、平和への対話をつなげていきましょう」というものだった。


「民際。知と文化」NPO法人東アジア隣人ネットワーク(企画)2800円



この本を、パーティで頂戴したのでぜひ読みたいと思う。

倭の国。いい響きだ。
倭国いえば、卑弥呼の存在もとても気になる。
卑弥呼の説はいろいろあるのだけど、
新聞で「卑弥呼」の記事が出るたびに、ワクワクするのは
やはり日本人のDNAゆえなのだろうか。



さて、今年は仕事がらみのパーティなど例年より多かったし、

スケジュールがあえば主席させていただいた。
私としては異例だ。

先月にはレギュラーの冊子で、ご一緒しているカメラマンさんに誘っていただき、
APA関西・日本広告写真家協会主催のパーティにも参加(彼はなんと、APA関西の副会長さんだった)。








こちらは、料理研究家・堀田裕介氏のエスニック料理とご機嫌な生サウンド!
雰囲気がとても良かった。
カメラマンさんやモデル事務所の代表、それに広告代理店の方などと名刺交換。すぐ緊張する私にしては、どうしたことなのか、
普段に近いリラックスした感じでおしゃべりができた。
やはりライターはカメラマンさんと組むことが多いから、
そのせいだろうか…。

初めて仕事をさせていただく場合、
初めてご紹介いただく場合

私達のような業界では初対面での「第一印象」というのがとても重要になる。

私の経験上、自分を必要以上によく見せようと思わないこと。
カッコつけないでそのままの私、そのままの笑顔で手を差し出せば、たいてい大丈夫だ。
普通に自信。これ、大事。
逆にカチコチになってうまく行かないパターンというのは、
なんだか必要以上に意識して自分を演出してしまっている時が多い…。

これは不思議なんだけど、
初仕事での原稿にも同じことがいえるのだ…。

何年仕事をしていても緊張してしまうけれど、
自信をもって、うまくいくと思っている場合には必ずといっていいほど、
普通に、軽々と成功しているのだ。








苦い思い。

2013-11-06 15:52:13 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


11月だ。あと2月で今年もおしまい。
どうも、本業の仕事がうまく安定して進んでくれない。ここまでは新案件の依頼も多く、順調であったはずなのに、
10月後半になって、なんだかなぁ~という感じだ。

私は自分があまりキャパが大きくないのを知っている。

それにしても、9月から数えて5つも(小さいものを含めて)の仕事を、
お断りしていたのをメモに書き出してみて、唖然とした。こんな体制でいいのか、やる気あるの?と突っ込みたくなる。
仕事の同時並行が3つくらいはまだいいのだが、それ以上どんどん重なってくると、
「クオリティ(品質)」を保つ自信がなくなってくるので…。
少しまとまったものになるとやはり躊躇してしまう。
ようするに、平静の心地で仕事に向き合う自信を失ってくるからなのだ。

しかし、ここへきてそんな姿勢でいいのかと自問自答…。

Facebook友達などは、取材日が重ならない限りは
ギューギュー状態であってもなんとか引き受けていらっしゃるようである。
来年に向けて仕切り直さないと、これ以上遠くまで歩けないなあと、秋の寂しい月をみながら思ったのだ。

先日もこんなことがあった。
大型プロジェクトの依頼。関わる人間も多くなり、多額の金額が動くようになると、
間に2社も3社も入って、その方々みんなで顔をあわせての打ち合わせ。
しかし、一番末端である私たち。いわゆるフリーランスというやつは一番大変な役まわり(実際の作業者)を仰せ使っていながら、結構せつないのである。

某大手企業のWEBサイトの制作依頼。
今回、私はある方から声をかけてもらい広告制作会社(A社)の外部スタッフという立場で参画した。その上にはWEB専門の会社(B社)があった。
そして、ここを動かしているのは、大手広告代理店(C社)だった。業務がスタートしてから数カ月。
どの会社の誰とメールのやりとりをするのも、すべてCCでつけて、全内容を共有。
打ち合わせは大人数。広告制作会社(A社)の代表である私を含め、WEB制作会社と大手広告代理店に出向く際にも、
クリエイティブディレクター、営業、プランナーそして外部の経営コンサルタントまで参画しての打ち合わせ。打ち合わせというよりは会議みたい。
どなたも、とてもよく案件の過去事例などを研究されていて、参考文献をしっかり読んで研究しないと、
とてもついていけないような専門的なものだった。(なので私も図書館でこの手の本を5冊借りてきていた)

そうやって沢山の人間が関わるのだが、実際に手を動かし、モノをつくるというのは、限られた人のようで…。
(あたり前だ)
私はWEB制作会社のディレクターのつくる土台・企画構成を受けて、
実際に取材等も担当しながら、コピーライティングに落とし込むという役回りのようであった。

毎日のようにWEB会社から電話の打ち合わせがあり、
幾度か、大手広告代理店との打ち合わせにもディレクターとともに同行した。
ディレクターさんは私よりも若く、独身さん。聞けば彼もフリーランス的立場なのだとう。
打ち合わせと称してお茶を飲んだりするなかで、プライベートなことも話したりして、
互いに好感をもちながら仕事を進めていたのだと思う。

そして。事態が一転するような出来事があった。
その日は、プロジェクトがスタートしてはじめての企画構成案が皆の手元に配られ、それらについての、打ち合わせのはずだった。
すると、ディレクターさんの会社(WEBサイト会社)は大幅の遅刻。ようやく顔をみせられたのは、ディレクターさんほか会社の上役2名。なんだか声も掛けられそうにないほどピリピリしてらしたので、
おかしいなぁとは思ったのだ。

ここからの内容はあまりにプライベートなので、どうしても公表するにふさわしくなく、控えることにする。

要するに、大手広告代理店は、ものすごく怒っていらっしゃったのだった。
初めての成果物である企画構成案の内容が満足がいかず、
広告代理店側の面々は、めちゃくちゃ怒っていらっしゃったのである。失望してらしたのだ。
もう信頼できないと。絶体絶命の決別寸前。

なんとか幹部は場を取り繕い、そこからは大人の会話となって
打ち合わせと称する雑談といったほうがいいのか、わからないような状態で話は進み、要するに仕切り直しというかたちで打ち合わせ終結。
それにしても、実にへんてこな打ち合わせだった。
話がかみ合わず。俯きがちなのに不思議と笑顔がこぼれている。
私は広告制作会社A代表だったので
第3者的な意見を互いの会社同士から求められて、それらに対して想うところは述べさせてもらっていた。

そして深夜。当日の打ち合わせ分を取り戻すためPR誌の原稿書きを進めていたらWEB会社のディレクターさんから電話があった。
今回の企画構成案でダメ出しを受けたが、もう作り直す時間もないので、
ざーっとこの構成案を土台に、コピーを最後まで一度作ってみてほしいというのだ。
ビックリした。60項目にもわたるコンテンツの骨子を含めるコピーを
2・3日であげてほしいというオーダーだった。
しかも、全否定されている構成案に沿って作るらしい。
コピーがちゃんとしていたら、構成案などはさほど問題ないのだ、とその人はいった。

私は即答でお断りした。
そんな、構成案も固まっていないコピーが資料も取材もなしに制作できるはずもない。
でっちあげコピーなど、やり直しをさせられるのがオチ。ならば、コンセプトをイチから構築しながら書く作業になる。
2日・3日ではどう考えても、絶対に中途半端になると思ったからだ。
それで、翌朝一番に打ちあわせしたいという旨を、今の案件を片付けてから、せめて夕方にしてほしいとお願いし、翌日、4時からの打ち合わせに同席したのだ。
もちろん、私の親元にあたる広告制作会社には報告していた。

最も、私が慕っている広告制作会社Aのトップは誠実にして聡明、良識のある方。
私の言動を聞いて下さったうえで「できることと、できないことはハッキリと言っていい。お任せしますから」と信頼してくださるばかりか、
本当に当日の打ち合わせに参画して、
今後、抜きさしならないことになりはしないかと心配までしてくださり「私から断っておきましょうか」ともいって下さったのである。

実際に打ち合わせが行われたのは、4時を過ぎていたと思う。
リスタートの構成案をどうするかという話はほとんど少なく、
幹部の方に囲まれたわけだが。

それでも私は、今回のディレクターさんに、幹部の方に
アイデアフラッシュのような内容を発言していた。
ディレクターさんは始終うつむきがち。誰ももう彼の顔すらみない。
その方は最後まで押し黙られたままだったのだ。

わたしは席を立つとき、彼(ディレクターさん)にいった。
「よろしくお願いします。私も自分なりの構成案というのはもちろん考えてみます。
ただ、紙媒体ばかりやってきたものだから、WEBに関してはほんと素人に近いかもしれない。
せいぜい厳しくチェックしてくださいね。力を結集させていいもの作りたいですから、よろしくご指導ください」と。

その時、その会社の上役は言われたのだ。

「いや、彼には別件がありますから。あなたお一人の力で十分だと我々は確信しているんです。
いやさっき聴いただけでも随分いろいろ出してもらった。軽い気持ちでやってみてください」。

えっ!?耳を疑った。それでもう一度座り直し、自分の経験値もこの際、あえてお話し、
実際に自分はどこからどこまで、どんな納期で関わっていくのかを、ここにきて改めて聞き直したのである。
最初の依頼とは随分と違っていた。
どうやら、全コンテンツの構成案ばかりではなく、取材を含めて全コピー(60項目)を一人で書き上げることになりそうだった。それも約1カ月足らずで。
確か案件の依頼があって2カ月以上、経ていたというのに。これまで何をしてこられたのだろうか…。
これから構成案を作って納期まで一カ月!
そこで私は自分の今手持ちの案件をお話し、あと1カ月で納期まで行くという道のりの遠さを思い、その間までの月日を思い、寒いなぁーとからだを30度に折りたたみながら家に帰った。

帰ってパソコンをあけると例のディレクターさんからメールが送られていた。
そして追いかけるように、電話があった。
「来週◎曜日に、全スタッフで大手広告代理店で会議となりました。出席してぜひプレゼンしてください」。(とりあえず保留に。そして、私がプレゼンするの?と思った)



怖かった。あの怒り爆発の厳しいまな板に、自分が上がる状況を重なりあわせるだけで、身が縮まりそうだった。
ともかく勉強しよう!勉強して。今からどうなるかもわからないけれど、とりあえずその案件関連の資料を3冊ほど、
お風呂の中に持ち込んで1時過ぎくらいまでずっと読んでいた。よく理解したら絶体に書ける。答えは出る。そう考えてお風呂に入っていたら、少し落ち着いた。

温かい湯船につかっていたせいで、すぐに眠気に誘われ、
「明日のことは明日なってから考えよう」と、「風とともに去りぬ」の名言を思い起こし、その日は床についた。
しかし、熟睡したと思いきや、ふと何かが降ってきてガバッと飛び起きた。なぜだろう…。

ホントに受けていいの?この案件。と、一筋の光にも似た疑問(クエスチョン)が降ってわいてくるや、もうそこから眠れなくなってしまったのだ。
時計をみると2時過ぎだった。たった40分ほどしか眠っていなかったのだ。

考えれば、考えるほど、不安になった。
今のレギュラーの仕事まで、影響をうけて皆に迷惑をかける事態になったらどうしょう。
小さなことから大きなことまで、心配事が次々と降ってきた。
そして、このとき初めてわかった。最初から打ち合わせでブレストするつもりもなく、
私に構成案のすべてを委ねるための話し合いだったのだ、と、この時はじめて気づいた。

私はバカだ。やっぱり。バカだ。
こうも思った。
いや、ありがたいこと。やってやろうーじゃないの。失敗したっていい(それはダメ。失敗は絶対に許されない…)。
構成案をつくるのはいちばんの醍醐味。いつも雑誌や小誌でやっていることではないか。
親会社のリーダーに目を通してもらえば大丈夫に違いない。あの方は私の憧れだ。

そんな、巻き込んでしまっていいのかな。
いや、あんまりひどくて逆にお手数をおかけすることになったらどうしょう。
そんなことを考えている時、ある人の顔がすーっと浮かんだ。

私の会社時代の元同期だったコピーライターの女性だった。彼女ならどうするかな、
知性派の彼女なら、おそらく最初からこのような案件には乗らないんじゃあないかと思えてきたのだ。

そして、10年来お世話になっている大手広告代理店のクリエイティブディレクターさんなら、こんな会社の一大事・絶体絶命の案件で、
どんな手を打つかなと。想像を巡らした。
そう、一度も組んだこともない外注スタッフにここへ来て下駄を預けられるだろうかと。

そんなことを思ったが最後。今回、始めて依頼されたWEB制作会社にはじめて不信感がむくむくと湧いてきてしまったのである(本当の真意はわからない)

暗中模索のなか、自分の腕だけ信じて、のりきることができるのだろうか。
同時に。まずは自分がやりたいか、やり切りたい仕事なのかを朝まで自問自答した。
私はこれまでよほど良い仕事相手に恵まれてきたのだと思う。

大学を卒業し、この業界に入ってそれから、運よくフリーランスになってから今日まで二十数年。
こんなにひとつの案件で。受けるか受けないかについて悩んだこともなかったのだから。
結論は、朝イチで広告制作会社A社のトップの方にお電話し、事柄を説明。
了解してくださったので、自分の口からWEB制作会社の幹部の方にお断りの電話を入れてしまったのだ。

生まれてはじめて一度受けた仕事を、途中で降りましたよ。
これまで、一人で構成案から納品まで担当してきた仕事は、自信をもってやってきたはずなのに。でも、今になってわかる。
そこには、優秀なデザイナーさんやカメラマン、営業的動きをしてくださるさるメンバーがいて、その方々を信頼してきたからこそ、自分が自分らしく仕事をしてこられたのだなあということが。


お断りした理由は、
やはり他の案件との兼ね合いがいちばん。
そして、この案件と平行して動いている大手広告代理店が作ってこられた成果物(ポスターのたぐい)のレベルの高さ。
WEB会社の上に位置する大手広告代理店の、クリエイティブが中心に動いているツールだった。
それは相当クオリティの高いもので、クライアントの内容を十分に理解できるよい出来でありながら、1カ月以上、経てもなお制作途中で。今回また差し戻しの状態で出し直されるのだという。
あと孤独感かな。タッグを組んでともに燃え、信頼しあえる人がまだチームに見つからなかった。
もちろん一番の要因は自分の弱さ。自信のなさ!せいぜい悩めばよい!この事実。
今回の案件がコピー制作費100万程度の大型だったせいもある。躓くことは許されない。

しかし!おかげで、私はこの案件を受けた後に降ってきた新案件を次々と断ってしまっていたのだ。
じっくりと腰を落ち着けて取りかからないと、と半ば腹をくくり準備してきたのである。
ああー。1年でいちばん猛烈に忙しい時期。この事実は大きい。
最近しみじみ、オールマイティーではない自分をつきつけられ、へこむことが多い。
いろいろ甘いのだ。フリーランスとして甘い。

せめて。いま思うことは
今回のことからなにかを学べ、ということ。そしてこの案件をお断りしたからこそ、できること。できたことを。
ちゃんとやっていくようにがんばらなければ、一生苦い思いは消えないということを。

(この内容を書くことは大いに悩みました。お許しください。書いて捨てる、書き捨てて前へ進みたかったのです)







いいコピーとは、言葉のアイデア。

2013-10-15 19:21:44 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)

三連休はほとんど仕事をしていた。
休日の仕事は、なぜか大好き。
どこからも追っかけられなくて済むし、誰にも否定されない、安全で平和な環境で仕事できるから。

今回の連休は教育事業WEBでの全コンテンツのコピーと
流通業界のPR誌、それに全国150店舗くらいで展開されているエンタメのコピーワーク。

でも頭の中にはずっーとあるキャッチコピーが渦まいていた。
(「キャッチコピーを考えてください」という案件があった)。

キャッチコピーというのは正解があってないようで、ある。

いいキャッチってナンだろう。

私がいいなと思える広告媒体のキャッチコピーには、
いってほしいことが、ズバッと直球で飛んでくるような明快さがあるものだ。
そして言葉がやっぱり動いている、生きている。
呼吸しているようなフレーズだ。

一生懸命考えに考えて考え抜かれたものは、その一生懸命さがにじみすぎていて、読んでいて苦しい。つまらない。正統すぎて面白くない。
こなしのアイデアはよくない。
いいコピーは絶対に性格が良いのだ(言葉自体の)。それが、共感へとつながるのだ。
ウィットに富んでいる。

コピーワークは、編集ものとは違って、アイデア=コトバ化。
アイデアというものが、降ってくるわけじゃないのでしんどいけれど、終わってみればすごく愉しい作業。
(うまくいかないと、いつまでもいつまでも、モヤモヤしているけれど)

私の方策は1冊のノートに、自分の反応を、書き加えていって、熟考させて1本のコピーをつくる。
1本のコピーまでに百本(?)の思いつきや駄作や、ちょっといい考えやヒントも。
やっぱ、何がいいか選ぶ目が大事だなぁ。

クライアントの課題というか、問題意識を解消できるものが
うれしいコピー(ありがたい広告)なんだろうなぁ。

時間がたてばあせてくるコピーは、ダメだ。

そのタイミングを間違えて、途中段階の考察を出さないように、気をつけないとなぁといい聞かせる。
じぶんが関わったからこそ、 できたコピー。言葉というアイデアを、キチンと商品として納品できればいいなと思う。

今日は台風で、雨のなかに閉じ込められているが
昨日までは秋晴れの3連休だった。

最終日にはあまりに空がきれいなので、ちょっと近くの河原(野外)でごはんでも食べましょうと、
ある思いつきでお弁当をこしらえた。

気分が出るように花見のお重まで出して。
そうすると、キレイな景色で食べたいなぁと欲が出てしまい、
ほんの1時間半ほどの外出のつもりが有馬温泉まで(大丈夫?仕事)
渓谷沿いでお弁当を広げて、六甲の緑と水しぶきをみながら食べた。






せっかくここまで足を伸ばしたのだから…と結局、
銀の湯に浸かってかえる。気持いいラジウム泉。
温泉は生きているなぁ。海の中のお風呂に浸かっているみたい…。




写真は、温泉寺に浮かぶ月さま。




紅葉まであと1カ月だねー。

時間差でやりくりできて、よい仕事を上げられるといいのだけど…。
コピーとして発する言葉が。社会の役にたてばいいのだけど。






















台湾から帰国後、仕事漬けの毎日です。

2013-10-06 23:59:13 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


台湾から帰国してちょうど1週間。

翌日の10時から家具の取材にて、西宮の倉庫へ。水曜・木曜日と新規オリエンがあり、それからずーと仕事漬けだった。
新クライアントもあって気を使う。
私がどれくらいの力量があって、どんなコピーを書き、どんなスタイルで仕事する人なのか先方は全く未知。なので信頼関係を一から構築しなくてはならない。
まだまだ相性を探り合っている状態。格好をつけても仕方ない。
「自分はこれだけの仕事人です」とありのままで、自然体で誠実にしていくほかないと思いながら。それでも少し力入っているよなぁと時に傍観している。

1週間、家具のことばかりを考えて、コピーを書いていた。最初は150本という依頼だったが、予定よりは本数は少なくなった。
特徴は、用途は、魅力は何かを書きながら観察しつつ、言葉化していく作業である。
それほしいなぁ、いいなぁ。価値ある家具だな、と思ってもらえるように。
できるだけわかりやすく、流れるような文体で書きたいと心がける。
ゴツゴツした説明口調にならないように。

そうやっているうちに、旅の想い出がだんだん薄まっていくどころか、熟成されて
かえって深まっていくよう。美化されていくというほうが正しいかな。

10月中旬からは英才教育についての総合プログラムを紹介する案件もはじまる。対象が子どもと母というのがいいね。

私たちのような仕事は、毎回が新しい対象の案件だから、慣れすぎてしまうことがなくて、自分のような性格にはちょうどいい。
いつも挑戦者のような気持ちで仕事に向かえる。

週末。相方が出張先の種子島からドラゴンフルーツをどっさり抱えて帰宅した。




1年ぶりの亜熱帯の果実だ。ねっとりしたこの甘さ。
薔薇のような香りとごま粒のような種に包まれたショッキングピンクのフルーツ。台湾の夜市で食べたものより濃厚だった。



高く遠い空を見上げる。
流れる雲をみては旅の時を思う。



日本は秋だ。
外へ出ると、金木犀と実のはじける甘い香りが一帯を包んでいる。平和な日本の秋よ。日本は世界一いい国だ。
住んでいる人間が秩序ただしいのが、素敵だ。



初心に立ち返った、8月最終金曜日。

2013-09-02 21:58:13 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


きょう(2013年8月30日)は、企画書やら原稿書きやらに追われて、午前中に半分提出し、
急いで銀行へ行って、焦って帰って「あまちゃん」みて、
それからまたまた原稿を書きながらも、「あまちゃん」の映像と天野春子の言葉にならない切なさが、喉の奥らへんにこみあげてきて涙がとめどなく出て、
テッシュで拭きながら、しまいにわぁわぁ泣き泣き原稿を書いて。

あれ?なんでこんなに泣いているんだろう。(そこまで激しく泣くのは変だよ)と思い、
きっと私はなぜだかとても泣きたかった心境だったのだと気付いてしまって。
気をとり直してリビングだけちゃっちゃっと掃除機をかけてお茶を飲み、それから企画書を1本出して、コピーの修正をし、
3時半にお風呂に入って、
4時すぎになったので大急ぎで準備して大阪編集教室のOBOG会に出掛けたのだった。

目的地に着く前に、友人のかおりさんと待ち合わせし、ヒルトンプラザウエストの2階でお茶をする。




ここは雑誌が豊富でソファーの座り心地がよく、大きな紙もザッと広げられるスペースもあるので(おまけに空いている)、
よく打ち合わせに使う、お気に入りのカフェだ。

互いの仕事の近況を語り合い、たった今しがたまで奈良で打ち合わせしていらしたかおりさんの仕事の話なども伺いながら、
なんだかとても良い気のオーラに包まれたまま、会場である谷町4丁目の居酒屋へと向かったのである。

大阪編集教室は、私が3社の広告代理店や広告制作会社でコピーライターとして勤務(11年)した後、フリーランスになる前に扉を叩いた教室だ。
大学の3~4回生の時に秋山晶や仲畑貴志に憧れてコピーライター養成講座「宣伝会議」に1年通い、
そこでの学びも面白かったが。
しかし、「大阪編集教室」は実際に経験を積んだ後の学びとあって、講師の先生がおっしゃることが噛んで飲むようによくわかって、実に実り深いものになった。
今現在もお付き合いのある友人も沢山出来たし、なにより週1回(土or日)の授業は毎回ワクワクした。

取材の仕方、取材記事の書き方、コラム構成のポイントや作成、
ルポルタージュの事実と考察、描写と言葉、
コピーの視点、発想、語り口。企画の立て方…。

第一線の講師による講義(前編)にとどまらず、毎回課題が出て、翌週に提出。
それらをまず提出者自らが企画意図などを話し(要するにプレゼンの練習だ)、
次にクラスの受講者たちが1人1人の、1点1点の課題について批評してくれるのだ。
シメは、講師が丁寧に批評と添削をして皆の前で指導いていただく。

ほんとうに何気なく仕事をしていた10数年よりも、課題発表の時には緊張した。

私の作品は、多少経験もあったので講師の先生がよく取り上げてくださって、
褒めてももらった。

「こうすればさらによくなるゾ」
「いや、ここは常識を破り、こうおめてみるのも妙案ですね」
「文は、人なり。だから心で書きなさい」
「点や丸を使いすぎない。ひと息でよませなさい」
「書き直し、何度も推敲するほどにコピーは、必ず進化する」

心の温かい講師陣が多かった。
それで卒業作品「花ぎれ」では調子に乗って1人だけ2作品も提出し、
それもトップで掲載してくださった(仕事現場では劣等感を抱くこともあったので、自分の作品に少しは誇りがもてた)。
毎日新聞記者だった小林先生の涙をこぼして共感してくださった一言。
そして、松岡先生の辛辣な語り口など、今も宝物のように大切に胸にしまい、
時に取り出して浮かれた心持ちの戒めに使わせて頂いたりする。

さて、OBOG会。
先生方、在校生、卒業生と総勢40名が集まり、居酒屋で飲んで食べて、仕事の情報交換や談笑で3時間。
わたしは友達のかおりさんと隣同士だったので大船に乗った気持ちで、主に講師の先生方と同席で。それでもそうおじけず打ち解けあい、愉しい時間となった。
特に、かおりさんをはじめ日本酒好きのメンバーがたまたま集い。あとで利き酒会となり、これがめちゃ、その場を盛り上げた。

「宝剣」「東一」「東洋美人」「久保田」をまわし飲み。
日本酒は深い。舌にのせると米の旨みともに、甘味や余韻がそれぞれに違う。
飲む時の温度でも違うし、そして舌と喉を過ぎて溶けてなくなってからの深みがまた違う!旨いお酒だなぁと。
素人で、よくはわからないなりに、それでも日本酒が旨いものだというのは、わかるようになった。
ま、利き酒師のかおりさんのおかげだ。
彼女のうんちくがまた、鼻につかず嫌みなく、重要な情報を的確に教えてくれて面白い。講師も満足して談義してらっしゃった。

このあと、同期の男の子とかおりさんと私とで2軒目へ。そして再びの乾杯!

私にとっては何もかも懐かしくて愉しくて!スッキリほろ苦のライムトニックのような時代。
あれから約12年か…。まさに古里のような学校。母校だ。

もう一度角度を変えていろいろなところを軌道修正し、書くことを再びはじめた第二のスタート地点だ。
3回目の会社を退職した時に、
「ここを本当に辞めるのなら仕事人生は捨て、家庭の主婦になるんだという、それくらいの気持ちがあるなら、辞めなさい。
そうじゃないと辞めさせない! あなたには仲間がいるんだから。あなたには責任もあるんだから」と上司の女性に言われた。
それでも家庭の事情から推しきって辞めさせていただき、そして書くことも最終的には手放さない選択をした自分。

フリーランスになってからのほうが仕事は俄然面白くなった。
1本のコピーにも、広告代理店で100本ノックをしていた時代(20代)より、
朝から昼から晩まで、何日も考えに考え、ことばに生命(いのち)の息を吹き込み、
愉しんで苦しんで、商品の価値を探せるようになった。
媒体や企業情報誌の編集では特集記事を主に担当させていただけるようになり、パンフも含めて1冊(ツール一式)まるごとのオーダーが増えた  (今はどうだろう。挑戦が減ったか…)

それもこれも、あの教室で出会った大きな懐をもった講師陣や事務局の方々、
仲間たちとふれあった時間や悩んだ数々が礎になっているからこそ。
忘れてはならないと思う。

初心、に立ち返った8月の最終金曜日。
そして今、あの時とは違う角度から、焦り始めている最終金曜日でもある。

Macが今も、ぐるぐると回る、その先へは進めない…

2013-08-02 00:20:32 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)



このところの暑さのせいか、Macが壊れてしまった。
もちろん3台あるうちの1台だが、ショックがでかい。
昨日と今日の仕事時間がギッシリ詰まっているのだ。

壊れたのは、夕方の5時だった。暑いなかクーラーもつけずに、前からと横から流れてくる自然の風だけで涼をとって仕事をしていた。
昨日からかかっていた1本の仕事は終了間際だったのに。保存をしてコピー機に繋いだ途端、ぐるぐると回りはじめ、永遠に(ホントは10分、心は永遠)ぐるぐると回ってその先へ進めなくなった。

これはわたしのクセのようなものだが、
ほぼ完成したかなと思う原稿を、よほど急がない場合には最低1日は寝かせて熟成させる習慣があるのだ。
なので、この時も8割ちかく出来上がっていた原稿を、朝20分くらいと軽くブラッシュアップして、そのまますぐにデザインに渡せばよかったのだが、ああ~もう時間だわ、と、ヨガ教室へ行き、
帰ってからも2・3カ所と手を加え、あとはもう送る状態にして保存。安心して昼食をとっていたのだ。

すぐに片付けてしまえばいいのに…。置いたままで。
昼食中に別のクライアントから電話があったので、

(あらま、あっちが先かな)と昨日の訂正を先に手をつけてしまい、ほぼ9、5割できあった原稿は放置。
そうやって、2本の原稿をパソコン上で、ほぼ同時に完成させ、同時に入稿してスッキリさせようともくろんでいたのが、痛いことだった。
それからスイカでも食べて本を読もうなどと、アタマでは妄想していたのである。
ほんとうをいえば、「ママ友よ」と書いたブログ記事も、あとは写真を選ぶだけにして画面上に、並べてあったのだ。結構愉しい内容だったのになあ。残念!

もちろん、外付けハードデスクに原稿を蓄積しておくのは鉄則。
簡単にバックアップをとっておけるハードデスクはあるのに。それもせず、一心に仕上げることだけに集中していたのだ。暑いので、早く先に進みたかった。
灼熱の太陽が、ガラス越しにギラギラと燃え、部屋をますます熱くしていた。

わたしの2日間の原稿(特集4ページ、コラム1本)、企画書1本。
それらが見事に、灰色の画面の奧に吸い込まれたままの状態で二度と表へ顔を出さないまま、眠ってしまったのである。
「あ~、暦の上ではディセンバー…♩」とでも、訳もわからず唄いだしたいような放心状態。
だって、このブログのように感情の赴くままに、
一気に書いた原稿ではなく、何回も、何回も、手を加えた原稿だから細部までの配慮というか、疑問と、納得、修正が自分の中で済んでいるのだ。あの状態までにもっていくのは、結構、至難の業。
アタマにあるとはいえ、イチからまた他のパソコンで書くことができるのだろうか。
どうしても、どうしても、諦めきれずに夕方からずっとMacサポートセンターのオペレーターと、
修復の仕方を20回くらい試みていた。

パソコンをあけると、電源をいれる。
コマンドキーと、オプションキー、pとRを同時に両手で押す。
電話の向こうからはオペレーターの声、「もしもし、もしもし、出来ましたか?どうでしょうか…」
(両手使っているのに、話せないでしょう…普通)
「大丈夫、他のやり方を試みてみましょう」と、落ち着いたオペレーターは自信たっぷり。ホント?と不安になるわたしの気持ちとは裏腹に…。

(そりゃあ、オペレーターにとってはこんなの日常茶飯事、別に動じる必要もない。困ったことでもない。
早く修復して、この業務を終了したい、それぐらいの心理状態。当然なんです)

「電源をいれてから、シフトキーを押してみてくださいね」…。

そうやって、5パターンほどの復旧方法を試してみたのだ。
けれど、appleが登場したら、ぐるぐると渦をまく点線が回り始める。そこから、どうやったって進まない。渦をまいたまま、ぐるぐる。ぐるぐるぐるぐると回るだけ。何十分も回るだけ。
ああ~、辛いなあ。いろいろな起動の仕方を試みて、今度こそ、と祈る気持ちでパソコンをみつめる。

でも、やっぱりぐるぐる、ぐるぐると回る、もう見飽きたね、この状態。
もっとキチンと環境を整えて、ザッパリと捨てるべきものは捨てて。
仕事のやり方を変えないと、なあ。その警笛なのだろうか。
壊れるのはいつだって夏だ。
灼熱の太陽のなか、Macをもってソフマックに目を白黒させて、ひたいに汗して走った3年前の自分が、今鮮明によみがえる。
ああ間に合うのか、2本の原稿。そして消えたブログの原稿でさえも復活できる?再び、あの時の気持になって書くことができるの?ああ、あの時、あの瞬間に帰りたいよぉ~。

Macのハードデスクは壊れても、本体のわたしのアタマだけは正常に、俊敏に動いてくれると信じたい!そう、祈るような心地で。






滋賀県民と、お仕事を!

2013-07-11 20:12:42 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


日中は仕事にならないほど暑い!
わが家は、山を切り開いた丘の上に建つテラスハウスなので
地上よりもはるかに涼しいはずだが、昼間に打ち合わせなどで外出の予定が入ると
(恐ろしや~)と気合いをいれて、
日傘をさし、UVクリームを手や首にぬりたくって出掛けなければならない。

喜んでいるのは、家の観葉植物たちだ。
今年はまだクーラーを入れていないので昼間は亜熱帯のような状態!
植物の成長が著しい。夫が株分けした植物も、ニョキニョキと子株ができて、
アッという間に花が咲いた。すごい樹液だ!



パキラも、
樹液がとろ~りといい感じに沁みて出している。おそるべし植物の力!
鉢植えのバジルも、おいしそうな色になった。
(ジュノベーゼのパスタを早く食べたい)



三つ葉も、ミニトマトも元気もりもり!
成長中である。



夏になると、フルーツやみずみずしい野菜をいっそう食べたくなる。
朝からサラダ!そしてフルーツだ!
昨日は「あら川の桃」を。
今日は、台湾産のアップルマンゴー(宮崎産は高いので)を食べた。
体がビタミンを欲しがっているのだ。足りない分は、
KIRINの「48種類の濃い野菜と果物(飲みやすいバージョン)」を飲む。

さて、最近の仕事はちょこちょこの、小さな定期モノのほかに
滋賀のクライアント&デザイナーさんと一緒に、
滋賀の小冊子の企画編集と某社(大手流通企業)の
販促ツールづくりをお手伝いしている。


打ち合わせは、JRに乗ってそれからデザイナーさんの車に乗り換え、
片道1時間半。
ちょっとした小旅行気分である。
私は新幹線や飛行機だけでなく、乗り物が好きなので、一興に構わない。
本がいくらでも読めるし、車窓から流れる風景をみるのも大好きだから。

そして打ち合わせ。
全員、勿論だが滋賀のスタッフ人に囲まれている。


私はいつも思うのだが、滋賀人たちは滋賀をこよなく愛しておられる。
これは誰に聞いてもそう!これまで仕事で知り合った人(数名)も、
滋賀より良いところはないと必ず絶賛される。

そして、滋賀人たちは、滋賀の町内会のイベントや祭り事にめらめらと燃える!
生き甲斐といってもいいくらいだ。
琵琶湖の湖畔を愛し、滋賀でとれたお米を愛し、ふなずしを愛し、
滋賀の産物をこよなく愛する。
滋賀の画家や陶芸家の方々もお話を聞くと、近江の自然の雄大さを切々と
感慨深くお話になるのである。


高島の棚田といい、朽木村の街道沿いといい、
確かに近江の自然は自慢して当然だ。
それに台風も影響が少なく気候風土がよいらしい。
日本の原風景がしっかりと生命をもち輝いているのだという。


比叡山の麓の坂本という小さな町に幼年から暮らしていた友人(今はご近所)、
草津に、彦根に、大津に、雄琴に、
滋賀人の知り合いがなぜか昨今増える一方である。

滋賀のジモピーたちは仕事の打ち合わせ中でも、
県内の話題で一日一回は盛り上がる。
そして、そして仕事の後で、地元の観光地を案内してくれるのだ。

そして、「滋賀はいいところですね~」というと、ものすごく目をキラキラさせ、
あったかい人柄がさらに、あったかくなる。
(滋賀県民(近江商人)は仕事も生活もとても大事にされている)。
今度、河内の風穴という洞窟も、案内してくれるのだという。


先日も、仕事の後で立ち寄ったのは、
日牟禮八幡宮の杜近くにある、日牟禮ヴィレッジ たねやとクラブハリエ。







出来たてのバームクーヘンはおいしいし、
夕方には雨が斜めの細い糸のように降り注ぎ、
リゾート感満点といった風であった。

京都、奈良、神戸よりも。
私は本当をいえば、滋賀をまだよく知らない。
ただひとつだけ気付いたのは、な~んにもない田舎道や平凡な風景のなかに、突如として現れる大都会を凌ぐハイカラなカフェや雑貨店、商売の家だ。
あの驚きといったらない。和菓子でいえばクラブハリエも叶 匠壽庵も、大阪や東京にだって負けてない。一流だ。
滋賀には本物がひそんでいるのか!

今年はますます滋賀にはまりそうな、そんな予感がするこの頃…。




仕事において、なんか面白くないなあ、という疑問の目を持とう!

2013-02-19 23:58:12 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


今日は寒い一日だった。午前中は雪が舞っていて、午後からは冷風が漂い、2月らしい天気だった。

昨年から、ちょっびり大御所のデザイナーさんとお付き合いがあり、
コピーのほうも慎重に対応をしている。
たとえば、今やっている案件のなかで、ものすごく暑くるしい感じの商品ばかりが羅列されている
商品パンフであっても、その人の手にかかれば、見事にスッキリ。
簡素で、余計なものは何もない。
けれど、それが逆に信頼できるような商品ブランドのように思えるし、
垢抜けてみえるのだ。
スッキリ力はすごいなあ。
「佐藤可士和さんの仕事の整理術」、の内容がふと脳裏をよぎった。

デザイナーさんは、センス勝負。
その裏側にまわると、さまざまな計算が働いているのかもしれないが、
そうみせない所がうまいなあ、と関心する。

あたかも、それが正しいデザインの配置、
正解のように見えてくるのだ。コピーにもデザインにも限りなく正解に近い答えはある。

だから、コピーもできるだけシンプルに
必要な言葉だけをしっかり選んで書くように努める。

話がだいぶ横道にそれるが、昔、ある方に、
「あなたは上についている人が悪すぎる」と大きな声でなじられた事があった。
そんなものかしら、
と当時は思ったりしたが、その方の持論によると、自分よりも上の人や尊敬に値する人の下で仕事しないと、
ひとはそれ以上に伸びないし、向上するチャンスを失うということらしかった。
「いいところまでいっているのに、なぜパッとしていないのか分かる?」ともいわれた。
そんなものかしら、ふん、(谷崎潤一郎的なふん、のあいづち)と思ったものだ。

同じように(というべきか)
誰と一緒に仕事を組むか、というのも、結構影響されることなのかもしれないね。

自分が刺激されたり、気付き力の高い人はいいなあ。
ユーモアのある人、ほっとする人もいいなあ。
ともかく私は「人」大好き人間というか、
人の長所を極端に好きになるタイプだから、たいていは大丈夫なんだけど。
<今のところ、つまらない人とは組まないのでラッキーなことであるし…>
少なくとも、あの人とだけはもう二度と組みたくないと、思われないように
心に深く刻もう。

もうひとつ、今日、コピーを書いていて思ったことだ。
ひととおり仕上げた後で
(まあ、悪くはない。でも、当たり前のことばかり書いている。
なんか面白くないなあ)
ということにふと気づいて、書き直した原稿がある。
そして、訂正したあとで、ああ気づいてよかったと胸をなでおろした。
危ないところだった。
何か面白くないなあ、的な視点は、絶対になくしてはいけないと、
これまた深く心に刻もう。
自分の原稿は信じてはいけないのである
(このブログも含めてかしら?)






自分のエネルギーをあげるワークショップ

2012-12-09 20:39:27 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)

ここのところ仕事に関することばかり書いているが、どうやらトンネルのむこうは見えてきた。

コピー的にはほぼ最終形にちかいところまでいき、
あとはデザインとの調整やら、クライアントの意向にそったかたちで修正する段階までようやくたどり着いた。


仕事のスキルが高い人と仕事をしていると、自分もそのレベルまでいかないと、釣り合いがとれないので
一生懸命に努力をするし、単純にチームで仕事をすることが楽しい。

そういう意味で、私は本当にこれまで人に恵まれてきたと思う。

いつも自分より大きな器の人が支え、刺激をくれ、
ヒントを投げかけてくれ、カバーしてくれた。

時には
湾曲した物言いで檄を飛ばして、
自分の能力以上の力を発揮できるように引き上げてくれる人がいた。

本当に感謝だ。私ももっと誰かの為になる働き方しないといけないな。

さて、これまでに書きたかったことをぼちぼちと紐解いていこうと思う。

まず11月後半、「コーチングワークショップ」に参加した時の話を
すこし…。

コーチングオフィス「CHUKA」主宰のコーチと、あるご縁から
仕事でコーチ自身のライフスタイルを取りあげさせてもらい
今度は彼女が主宰するワークショップにも参加させてもらう機会があった。

ワークショップは年3回開催され、パーソナル・ファウンデーション(自己基盤の強化)と
コミュニケーション力を磨く、の2部構成である。


1、自己基盤を強くし、「ポジショニング」を明確にすること。
2、10年後のVISION

自己基盤というのは、自分がなりたい方向や目的達成のために、
自分自身の価値観とか、本質をしっかりと見極めて精神力(意志)を鍛えることである。

そのためにまず、自分と自分をとりまく「モノゴト」の位置をつかみ、
自分の現状・現在をはっきりとさせ、
なぜその「モノゴト」がその位置にあるかと考える訓練をする。


年齢・職業を問わず、集まった参加者たちと腹をわって意見を交わせたことは、
私の世界観を大きくしたし、話の内容も興味深かった。

次にコーチが5つの質問を定義し、それらの答えを真っ白な紙に書いていく作業だ。

1、 あなたは全身に酸素がいきわたっていますか?いきわたってないとしたらどんな場所ですか?

2、 あなた自身、既成概念によって縛られることがありますか?

3、 囚われ人になったあなたを、オープンにする「鍵」は?

4、 あなたの人生で絶対に失いたくないもの(自分の価値)は何ですか?

5、あなたが最終的にやりたいことは何ですか?

これを自問自答したあとで一人一人発表していくのだが、やはり難しいのは2・3番である。

ある人は、「時間」に縛られる既成概念があり、
たとえアクシデントがあっても待ち合わせ「時間」を守るためタクシーを飛ばして
現場に駆けつけたりするそうである。

私は、この時にぼんやりとしたものしか浮かばなかったのだが、
家でもう一度考え直してみたら、ある答えにいたった。
よく見られたい、という既成概念が自分の中にあるのかもしれない。
だから、がむしゃらに勉強したり、来訪者があるとサービスしすぎたり…、
時々しんどくなるのはこういうことであったか…。

本来の自分自身に、もっと自信をもてばよいのだ。
そのために経験を積み、自分を磨くように切り替えよう。

コーチは、次に青いシートを2枚手渡した。

ポジショニングシートAには、
「現在の自分自身のポジショニング」。

今、心のなかに占めている大切な「モノゴト」をその大きさや位置を考えながら、
大きな円や、真ん中にある円や、端のほうの円のなかに、
それらを言葉にしておさめていく。


ポジショニングBには、
「在りたい自分自身のポジショニング」を書くのである。




このあとは、「5カ月後のVISON」をテーマに
コーチングスキルを学ぶ。

自分が「5年後にどうありたいのか」、
そのために何が必要か、について。

2人1組みになり相手の鏡になって質問し、共感し、承認し、
フィールドバックにしながら相手の話を丁寧に聴いていく。

「それからどうなったの?」
「あなたがそう思い至ったきっかけは何?」
「もっと詳しく聞かせて!」と質問を繰り返してしながら
相手の真実の回答を導いていくのだ。

この後、今度は選手交代して、相手の質問にそって自分が答えていくのである。

終わったあとは、
高揚していた。

なにより、コピーライターの大先輩である、コーチ自身が素晴らしく、
その挑戦力みたいなもの、
その生きる姿勢に
大いに影響をうけるのだ。


今に夢中になりながらVISONに前進できたらいいな、

年末までのカウントダウンと、同時に、
今年やりたかったことの帳尻をあわせる時にきている。







フリーという仕事の掟

2012-12-03 23:59:20 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)

今日は電車のなか、iPhoneからのブログ更新。

いよいよ12月に突入だ。

あれからずっと目前の仕事に
一日の大半の時間を割いて、日々を過ごしている。

先週は週末プライベートで三宮にも出掛けたし、残しておきたいネタが沢山積もっていく一方だが、
それらを愉しんで更新していくその余裕すら今の私には見つからない。

おそらく超売れっ子のコピーライターなら、こんなのオチャノコサイサイ、イツモノコトヨ、
とこうなるのだろうが、私の場合はたいていの場合がオチャノコサイサイとはならないから、
不器用な仕事の仕方をしているのだろう。

現在抱えている案件の内容はいずれも数ページのパンフレットや
会員の人だけが読む情報冊子。

案件によってそれぞれのデザイナーさんが配置されていて、
早く原稿を出してあげないと作業にかかれないし、
12月初旬までに手際よく仕事を終わらせておきたいだろうし…ということで、
申し訳ない気持ちでいっぱいのまま、わが身の羽根を抜いて
反物を織っているような状態で今の仕事を進めていっている。


それでも、NHKの連続テレビ小説「純と愛」は欠かさず観る。
最初に登場する荒井良二のイラストを観ながら、
なっちゃんが幼稚園の頃に毎日のように書いていた
お絵かきを懐かしく思い出しながら…も。

私はどちらかといえば、ムダにエネルギーを費やす純タイプの人間だな。
いつもめいっぱい空回りをしながら、関わる必要のない人にさえも最終的には無視できないで、
「おじいー、どうしょう」(どないしたらいいんだろう、なんでだろうか)
と叫びながら人生のコマを進めていくタイプである。


年齢とともに時間のスピードが速まるというが、
1カ月、1週間、一日が全速力で過ぎていくようでもある。

今日の電車のなかでの愛読書は、松浦弥太郎の「松浦弥太郎の仕事術」だ。

小説じゃあない本を手にしたのは久々である。

彼は言っている

「仕事においては80%の出来でも何とか許される合格点、
時にはそんなこともあるかもしれません。
しかしギリギリの合格点などというものはプロである以上、忘れたほうがよいラインです。
百パーセントのことをするのが仕事の場合ではスタンダードなルールだということです。
できればそれすら超えて、二百パーセントを目指しましょう。
言うまでもなく二百パーセントとは物理的なことではなく
受け取ってくれる人の喜ぶ度合いを示しています。
自分なりの付加価値をつけて相手を喜ばせることが僕のいう200%なのです。
約束を守る。
時間を守る。
相手を喜ばせる、
この3つが仕事の三原則でありセットのようなものです(一部から抜粋)」

フリーという名がつく以上は忘れてはいけない仕事の掟なのである。