月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

平成最後の一日のこと

2019-04-30 23:17:42 | writer希望を胸に執筆日記


4月30日 (火曜日)(雲のち夜は雨)


この日から、相方の実家の山口に行く気満々で飛び起きたのだが、隣の気配がいやに静か、それでふと首をひねってみると、主人が険しい表情で携帯をじっとみている。なにか事件かと思い、
「なんか怖いニュースでもみているの?」と聞いた。
「、、、、きょうだめになった」
と、相方が独り言のようにいう。


家の事情で、急遽、山口行きがおじゃんになったようだ。

私は黙ってその朝、ホットケーキを焼いた。
相方は、電話を切った後も、言葉少なく、なにか考え事をしているようでもあり、怒っているようでもあった。

少し気の毒に思い、いろいろと相手側の事情を察して話しかけてみるが、うるさそうにするので。仕方ない。
それなら、どこか気晴らしに出掛けてしまいましょうと提案し、こうやって車に乗って出掛けたのだった。

いったん車に乗ってしまえば、旅ごころがそそられて、気分がよかった(私の方は)。
曇り空で少し肌寒い。
しっとり3月のような天気だ。





舞子から淡路島を結ぶ、大きな吊り橋・明石大橋をわたりながら、広々とした瀬戸内海を臨む。鏡面のように、キラキラとして波は表面だけが静寂のように揺れていて、とても穏やか。
スケート選手が、そっと降り立つと、そのままスイーっと滑れそうほどの美しさだった。






ハイウエイオアシスで写真を撮って、
南あわじまで高速道路を横断する。





どこへ向かっているのかは知らされていない。
(相方が淡路で仕事の時にみつけた店そうだ)

期待値ゼロで向かうというのも、欲もなくてお気楽である。


「さぁ、ここかな」

と。到着したのが一面のタマネギ畑。
細い畑のあぜ道のような一本道を、わずか10キロくらいでとろとろと進む。
そうやって、みつけたのが、「かわらや」の看板だ。









「きっとうまいよ」と、自信満々の相方の声。淡路島は瓦の名産地でもあるのだ。
瓦工場の一画を開放し、工房にして、反対側をレストランにしていた。


予約していたテーブルには、炭火が埋め込まれており、瓦一片が裏返しにして置かれていた。そこで、丹波篠山のイノシシと黒豚をかけあわせた「猪豚」の肉を焼いて、野生っぽく味わうというのだ。











しかし。これがなかなか、なのだった。
肉も脂身まで、やさしい甘さで、やわらかく。味も濃くて。瓦の遠赤外線と炭で、じんわり、焼ける。タマネギ、キャベツ、ネギと、トマトなどすべて地産地消の食材のオンパレードで。淡路島の藻塩をちょんと漬けて味わう。

豚肉といえば、焼酎だ。
薩摩黒霧で、すっきり。口の中を清々しく洗いながら、ばくぱくぱくぱくと、たくさん食べた。




この後は、鳴門の渦潮を見に行き、




ホテルニューあわじへ。(日帰り温泉)













平成最後の湯浴みのひととき。
海の彼方は漁り火もなく、真っ暗で、春の雨が、ぽちょんぽちょん、さーさーと落ちていく。

やわらかい湯質を腰から下まで浸けて、ゆっくりと味わった。
何度も出たり入ったり。
雨の音を聞いたり、源泉の赤湯に浸かりにいったりして。温泉の風呂に浸かるとほんわか熱い海のようだといつも思う。ペロッと湯をなめていたら、微かに塩辛い。自然な水流が気持ちよく、透明感があって、小さな波がくるくると体を包み込んでくれる、いいお湯。 

お風呂からあがって、淡路島のソフトクリームをラウンジで食べた。
淡路の牛乳とストロベリーがミックスされたキレイな味。







こんな平成最後の贅沢なひとときを楽しんで、家路についた。








光る新緑に、雨がたっぷりと注がれる

2019-04-29 23:58:16 | writer希望を胸に執筆日記


4月29日(月・祝日)雨



朝から雨が降り続いている。
しとしと、しとしと、しとしと…。新緑に雨がたっぷりと美しく注がれる。
森に、山に、水が注がれる。
この時季の雨は、ぬるく、音を聴くだけで満たされる。



一日中、仕事とごはんづくりをして過ごした。
明日から、山口の実家へ行く予定なので平成最後の、ごはん。

タケノコ、人参、鶏肉、揚げなどをいれた炊き込みごはん、
ニンニクの芽や春きゃべつなどのぴり辛炒め、たけのことワカメの味噌汁、若竹煮、イサギとイカの造りなど。




深夜にキャンドルを焚いてお風呂。本を40分ほど読んで寝る。





ゴールデンウィークの真っ只中。ただ今お仕事中です

2019-04-28 23:33:33 | writer希望を胸に執筆日記


4月28日(日) 晴れ


昨日、娘のNがウィーンの写真をたくさん送ってくれたが心に残っていたのか、朝は起き抜けから「翼の王国」を読む。










昨年10月号「世界で一番美しい絵本を作る、鱈ブックスを訪ねて、南インドチェンナイへ」


今年2月号の「whats kaffee haus?あの角をまがった先で一杯」









どちらも、しまおまほさんの記事。
体言止めの使い方など文体が、他の記事とは違う、少し少女じみて、何もいってないような、とても深く伝えてくれている文。
著者が異国で感じ、見た、そのみずみずしい思いがそのまま素直に書かれている気持ちよい記事なのだった。



簡単なヨガと瞑想をし、終わって仕事に移ろうかと思っていたところへ、主人が寝室から起きてきたので、すぐに食事をこしらえた。

朝はカステラ(福砂屋)とコーヒー、フルーツで軽く済ませて。

そのまま食卓についてもらっていて、釜揚げしらすどんぶりと油揚げの味噌汁、ブロッコリーとにんにくを、ごま油でざっくり炒め、水をちょっと加えて、蒸し煮にしたものなどを出す。


それからは、一日中、仕事をして過ごした。

3時頃に小腹がすいたので、先日のフォーの残りをゆで、チキンスープ、香菜をいれて、間食にしてもらった。

夕方。主人が買物にいったのをみはからって、いつもの道を10分ほど歩く。

夜は、主人がなすとにんにくの芽など野菜がメーンのカレーをこしらえていた。
隠し味に、味噌を入れたらしく、コクがあり、ほのかに甘く、しっかりと辛く、おいしい。


深夜1時までがんばって仕事する。

寝る前に、一冊本をもってお風呂に入る。
気分がよかったので、アロマポット用のろうそくを2本もって入る。

2本のろうそくの灯があれば、本が読めるのだ。

最初は、静かに揺れていた火が、湯気で空気の対流がうまれたのか、ガラスのキャンドルホルダーキャンドルホルダに写り込んでおり、それがふたつに割れ、ゆらゆらと、なまめかしく揺れ始めた。
神秘的。目のはしで、さらさらとゆれている火をとらえながら、「JALの機内誌・スカイワード」から、ペルーの紀行文を読む。
列車で、マチュピチュや、小さな村々を旅していく話だった。



本を読み足らず寝室では、フランソワーズ・サガンの初期の頃の小説を取り出して、第1章だけ読んで寝る。












墨色に濡れたからすにご用心!

2019-04-27 23:13:42 | writer希望を胸に執筆日記


2019年4月27日(土)晴れ、寒い日

ゴールデンウィークだというのに、デロンギのダイナミックヒーターをつけている。
まるで冬休み、年末みたいだと思う。そしてわたしは、年末みたいに休み明けに提出する原稿を進めている。

昨日は、夕方6時半の散歩の折、とても面白いことがあった。
いつものコースを一周して、家々の庭からあふれる白い花や黄色い花々に目を奪われているわたしの前に、くちばしの尖った真っ黒な貴婦人がつんと横をむいて立ちはだかっておられた。羽はたっぷりの墨色に塗り固められて黒光していた。それはたいそう大きいカラスなのだった。


一瞬、たじろいだ。が、どう考えてもわたしのほうが相手より大きい。大股であるくと、パタパタと飛びさってくれるに違いないと思い直し、さつきまでの、のんびりとした闊歩ではなく、腕を45度の姿勢に曲げて前後に(ウォーキングの格好で)ぶんぶんと振って歩くが、大きなカラスはそしらぬ顔。
優雅にわたしの横を、ちょんちょんと歩いておられる。

まるで「ここは自分の歩道よ、あなたこそ、早く行ってちょうだいよ」といわんばかりの、
涼しげな表情なのだった。やっぱり貴婦人だ。

墨色のカラスの羽は本当に大きい。(何度でも言おう)からすとの距離は、わずか数センチというところまで来て。わたしの鼓動はずんずんと高鳴ったのだが、どちらも引き下がることなく、運良く、きれいに、スーッとすれ違えた。

ふわーーっ。緊張感のあるこの瞬間。わたしは、まるで絵本の中の一場面みたいと、ちょっとだけ楽しい気持ちで、この特別なウォーキングを迎え入れていたのだと思う。

そして、やり過ごせたことにほっとして、まっすぐ前をみて、さてどこへむかって歩こうかと思ったその瞬間。自分の左の眼球の端に、なにかがこちらをみているという気配がして、「なに?」とごく自然に隣の庭の植え込みに顔をむけると、なんと!!迫力ある威嚇で、墨をあたまからふりかけたような、さらに大きな太ったからすが。
重々しく枝にとまっていた。

うわーーーーー!ぎゃーーーー!びっくりした。今度は度肝をぬかれた。

不意打ちという、やつは、いとも簡単に相手をこっぱみじんにやっつけられるのであった。ものすごい威力で。
ここはどこだ。わたしは、どこにいるのだ。と恐怖でいっぱいのアタマをフリーズさせながら、そう思った。


それから、気を立て直して、まっすぐ一昨日にみた白い藤が咲く公園にむかって歩く。
白い藤は、あいかわらず真珠色の花弁をたらりとさげて、清らかなにおいを放っていた。良かった。薄暗い光のなかにみると、さらに素敵だ。


帰宅して仕事。いっこうに進まない原稿にあきれて、腹立たしい。せめても、おいしく、タケノコごはんを炊いた。
水から昆布をいれて、湯がぐらぐらしたら、かつおぶしをはらはらと散らす。
そして、タケノコと鶏の胸肉をいれ、だし、みりん、しょうゆ、酒、塩などをいれて5、6分煮る。

その煮汁だけ(たけのこと胸肉は別皿にうつす)と、昆布とかつおのだしでごはんを炊いて、たきあがったところで、たけのこ 胸肉をいれる。蒸らすこと15分で、出来上がり!!


真夜中。
仕事をしていると、娘のNから、ウィーンの写真が次々に届く。宮殿や、ホテルザッハで食べたという「ザッハトルテ」のおいしそうな写真。
ウィーンの町並みを歩く乗務員たちの姿やホテルからみえる公演など、ヨーロッパらしい風景。

深夜。ウィーンの空気感に飲み込まれそうになりながら、依頼されたマーケティング戦略の原稿を書いた。








釜揚げしらす丼とビールで「天使の涙」を鑑賞

2019-04-26 00:19:59 | writer希望を胸に執筆日記

4月26日(金曜日) 晴れ

昼には東京の編集部から音声データが届いたので、午後からはずっとテープおこしをしていた。
ゴールデンウィーク中につくる原稿は5本。音声をおこさないと、原稿にはとりかかれない。

夕方、陽子ちゃんからメールが届く。

1週間ほど前にお願いしていた「釜揚げしらす」が、神奈川から、今しがた到着したという。
すっかり忘れていたので、服を着替えて、車で引き取りにいくことにした。
お返しに、なにか気の利いたものがないかな、と探す。
そうだ昨日、主人が長崎から買ってきてくれた福砂屋のカステラがあった。

さっそくカステラと、北海道展で買い求めていた六花亭のマイセンバターサンドを少しずつ詰め合わせて、車で向かった。

静岡の吉田漁港から届いたばかりの「釜揚げしらす」。
昨年、一昨年と、3年め。見慣れたブルーの包装紙をみた時のうれしさよ。









それにつけても、一昨日にはご近所のFさんより、いただきものがあった。
「うちの雑草みたいなものだから」と比叡山延暦寺の塔頭、坂本の家の裏庭で収穫したたけのこを、お裾分けをいただいたばかりなのだった。
さっそくその日は深めの寸胴と大きめの鍋を2つ用意して、米糠をいれて、1時間ゆがいたのだ。

皮をかぶっているタケノコは、生あたたかなぬくもりを持っている。皮はしなやかな体毛(産毛)で覆われていて、野趣あふれた様相だ。
そのまま米糠のお風呂にいれると、気持ちよさそう。それをチラリチラリと何度ものぞきながら、原稿をつくっていたのだった。

きょうは、これに好物の釜揚げしらすが、加わる。
ありがたい。うれしい。

夜。仕事が一段落したら、かまどさん(土鍋)の炊き立てごはんに、しらすをたっぷりと山盛りのせて、「しらす丼」をつくる。
若竹煮、春のおじゃがとたまねぎの煮物、厚揚げ入りの味噌汁など。


身がやわらかく、ほのかな塩味と甘みがあって、まるごといただける至福。ほんまにうまい!





ささやかな美食に、気分が晴れて、TSUTAYAからレンタルしていたDVDをかけた。
ウォンカーウァイ監督の「天使の涙」。
たしか4回目くらい。いくつかのシーンを忘れていて新鮮な驚きをもって観る。小さなビール缶を冷蔵庫からとりだして、思いっきりのめりこんだ。


香港の夜の電光看板が重なる中、麻雀屋、地下街の道やネオン街のバーなど不健全きわまりないこの街らしい光景を、(3年前に訪れた香港を重ねて)なつかしく思い出しながら、観る。
女の孤独も、男の孤独も、身にしみるようにこたえる。人は誰しも不完全で、完全だ。

人が恋し、愛するのは一種、病気みたいなもので、切なくて、あたたかくて、そして抱きしめたくなるほど。愛おしい。
胸をあつくして、再鑑賞を終えた。
タイトルと映像が見事に合致している。「恋する惑星」に続く、このシリーズは最高傑作だ。
シーンが脳裏から離れない。


お風呂にはいって2時に就寝。
残業帰りの主人をのせたタクシーが家の前でキューンと止まった。


藤棚の下で

2019-04-25 23:48:34 | writer希望を胸に執筆日記


2019年 4月25日(木曜日)晴れ


夕方6時半。家のまわり、いつものコースを1週歩き、そのまま帰ってしまうのが惜しくて、
もうひとまわり大きな円を描きながらぐるんと歩く。

この時季の散歩は朝も夜もたのしい。

昨日は気づかなかったハナミズキや菜の花、白やピンクのサツキなど、次々に美しく開いていく。

娘が小学校へ上がる時によく遊んだ公園付近に、なにか、ほの白いものが見えたので行ってみると、滑り台や砂場があるところに藤棚があって(私の身長よりはるか上)、小さな花房が宙にむかって垂れ下がりながら白の藤を咲かせていた。
夕刻で日が落ちかける薄暗い光の中に輝く白の藤は、光の花束みたいにみえた。

私は右に左に歩いて、さらに遠くに近くと移動して、その美しさにほーっと見惚れていた。
柔らかな花の蜜が漂っているのもわかった。
ウエディングドレスやベールの上にあしらう、華麗なフラワーみたいに美しい。
(白の花々が好きで、自分のウエディングの時も白い花だけで作ってもらった)



夜は、ベトナムで食べたフォーを忽然と食べたくなって自家製フォーをつくる。
鶏の手羽先、ネギ、ショウガを皮ごといれてコトコトとひらすら2時間煮込み、(鶏スープをつくる)そこにフォーを入れ、香菜、小松菜、ネギ、三つ葉など緑の葉をたくさん入れた。
ツルンと透明な麺と合い、さっぱりとしておいしい。





変わらないために、変わらなきゃあ。という危機感

2018-11-01 23:28:16 | writer希望を胸に執筆日記







先月は、月の半分は急ぎの案件もなく夏以来のんびりしていた(10月初旬)。

こういった時こそ、日頃書いてみたかった長いものに腰を落ち着けて取り組んだり、今後の長期展望を前につくっておかねばならない資料をつくったりと、やることは沢山あるのに(今こそどう時間を使うかが大事!)
普段つい忙しくて不義理をしていた友達と親睦を深めてしまい、今日はこちらへ、この日はこちらへと、昼間は出歩いてばかりいた(仕事は夜中心)。

そうこうしていると、仕事の依頼が、1つ2つ入り、アッという間に2ケタほどたまり12月までのスケジュールが埋まっていく。

最近ふと思う。
できること、面白そうなこと、ちっと無理かなとも思うけれど背伸びしてやらせてもらうこと。時間さえあれば必ずできるが、とりたて私でなくとも良いのではと思う案件。
依頼が重なれば、時間がなくて良い仕事にならない、というのも先方に申し訳ないのでお断りすることも…。

けれど、その「ものさし」って自分の場合は何だろうか。
「早いもの順」ではなかったか?

フリーランスになる前の会社勤め時代が長かったせいもあり、仕事をふるいにかけることがどうも苦手だ。

広告会社でのコピーライターの頃は、上司にわたされた案件はイヤだろうが安かろうが、悩みまくるほど難しいものだろうが、面倒くさくあろうが絶対に受ける義務があった。自分のネームなどこだわることもなく、匿名案件があたり前。会社のため、チームのため、自分の居場所をこしらえるためにいつも必死で働くのがあたり前だったから。

一見は都合のいいように使われているようで、実は都合のいいようにクライアントさんのお仕事をさせてもらう、のがフリーランスになってからのスタンスだったけれど。
そろそろ年齢も年齢だし、この先どんなものを書いて人生を全うするつもりなのかを先読みしながら仕事をしていかないと、とも思う。(あなた何歳のつもりだ)

いつも思っていたのだ。空の上のお方が采配してくれているから、私がそんなこと心配することもない。いただくものをその時々の都合で取捨選択してしかり、だと。なぜなら、今月はもうこれで十分!と思ったらピタッと止まり、そろそろ新規案件が来る頃だな、と予感すると同時に仕事が舞い込むことも、「思ったらそのとおりになる」ことが非常に多くあるからだ。
なに、自然でいれば良いのだよ、と腹をくくっていた。

けれど、いよいよ「直感」と「長尺」で采配していく必要があるのかもしれない。





先日書かせていただいた記事のなかで、クリエイティブディレクターの方の仕事現場と企業ブランディングについてご紹介させていただくものがあった。

その方は、企業のCMから、商品開発、広告、パッケージデザイン、webデザイン、イベントに至るまでトータルデザインを得意とされる方である。その方はこんな風に話されていた。


昨今。ネットが経済の中心を担うことで、消費者の購買行動も多様化している。そうした背景の中で選ばれる価値とは、個々の個性を競い合う仕事ではなく、「同じ思考に基づいてつくられた一人格(One personality)のデザインを、金太郎アメみたいに、多層に生み出すことが大切」。

一気通貫してデザインを整えていないと、お客さんは価値ある魅力として記憶に留めておくのが難しい」のようなことをいわれていた。

彼は、そのOne personalityの仕事を生み出す時には「その商品がどういうことを願って生まれた商品なのか、世の中に対してどんな立ち位置で、どんな役割があり、どこが他と違うのか」と自分にインタビューしていきながら1つの人格をつくりデザインに込めるのだそうだ。


「世の中はどんどん大陸のプレートみたいに動いていて、今この瞬間から古くなっていくのが現状です。みんなの意識の中に深く浸透し、魅力を打ち打していくには、変わらないために変わらなきゃあいけない」


書きながら、ものすごく附におちた。

私は有名クリエーターさんや起業家の方や企業の広告宣伝の方の記事を定期的に書かせてもらい、人生の種まきから咲かせ方、みたいなものを教えてもらい、ハッと開眼して、それらを記事にさせていただくのだが。一度、大海に放ったなら、すぐに次事に、心がうつる。

そうやって沢山忘れ、沢山かいてきた。

でも、今、自分に残しておかなければならない。そんな言葉と出会った。

「クライアントのお金をつかって、自分の作品づくりをしてはいけない」
「ひとりの人格をつくるように、モノをつくる」
「変わらないために、変わらなきゃあいけない」


なにもデザインだけではない。言葉とて、そうだ。
「文体」。
文字にする言葉。書かない言葉も、同じくらい大事。
時に、気まぐれに、気分で、ものを書いてはいけない。
自分を、いつものあるべき環境(空気の中)で書けるように準備すること。
いろいろ、頭では理解しながら、それでも。

ずーっと同じ調子で「変わらずに」この道で生きてきた気がする、それも随分と長く。

いろいろ思う、新しい暦の月に。





仕事まみれの生活の中で

2018-09-15 21:34:08 | writer希望を胸に執筆日記







2018年9月15日(土)


今週の峠はどうやら乗り越えたのじゃあないかと、自分では思っている。
16ページものパンフと冊子が2つ。
月刊誌の定期もの、原稿が3本。
それらの印刷入校のための、やりとりと何度かの戻しと校正を数回。

電話や校正や、訂正やのやりとりをしていると、あっという間に時間はすぎて、落ち着いてテープを起こしたり、その原稿をつくるのは夕方以降、それも夕食後が多かったけれど、もう少しあと一息だ。

ときどき、なんのために心を砕いて、これほど原稿の果たす役割を考えてどう書くかに専念したり、内容に意味をもたせ膨らませたり。制作物の出来のよし、悪しにばかり細心の注意を払う必要があるのだろうと思うこともある。

(これだけ、まじめに1つの事に取り組んだら、きっとひとつの哲学だって生まれるんじゃないかとか)

それでも勝手にそういう思考になる。長年、積み重ねた習慣だ。
ほかにすることがあるわけでなし、これでいいのだと妙に納得してみたり。


義務だけでもないだろう。
自分が心から知らないニュースにふれ、「驚き」「おもしろさ」「価値ある内容」だと、
知的好奇心が、私を動かしているのだと分析もする。

危惧するのは、こうやって3連休も仕事する最中にあっても、いざ納品(入稿)してしまえば
その制作物にも仕事のプロセスや出来にも、全く興味をなくしてしまうのが、困ったところなのだけれど。
次のことに関心(課題)が移ってしまうから、だ。

こんなので、遅々としても前に進んでいるのかしら?
せめて、好き好き!楽しい!とか心がさわぐ案件をつくっていかないとね。

「いま」、この瞬間に集中できる環境とか、「面白い」を大事にいきよう。
そして、他人事ばかりでなく、もうそろそろ自分を一番大事に労ってもいいお年頃なのだ。



夏の最後の週末に (2018年8月25日・26日)

2018-08-27 23:57:22 | writer希望を胸に執筆日記


今日も積乱雲はもくもくとおいしそう。青い空に映えて、勢いがいい。
夜は、仕事部屋にある掃き出しの窓をあけていると(南向き)、風が足元をサラサラと流れる。

この涼しい風のおかげで、夜も原稿を書こうと思える、それくらい気持ちいい。

この涼やかな黒い網戸は、
私がゴールデンウィーク中に咳きがひどくてどこにも出掛けられなかった時に、うちのパパさんが家中の網戸と、障子を張り替えてくれたので、こうして綺麗な風が、網戸をすり抜けていくのだ。

さて、昨日は午前中に仕事をして昼前から、同業者の友人のシャンソンショーに出掛けた。

招待券をもらったのは夏の始めで、友人・知人を誘うも、一人二人と用事が重なってしまい、これは一人で出掛けるしかないかなと覚悟を決めたところで、これまたパパさんが同伴してくれるというので、一緒に出掛けた。


友人の唄うシャンソンはいい。




MCのうまさもさることながら、自分なりに解釈をした翻訳詩が素晴らしいし、やや低い声の響きかせ方も、年齢相応にスモーキーな感情がしっかりと込められていて、しっとりと心に響く。それにサビの部分はちゃんときれいな発音のフランス語で唄ってくれるから、聞き惚れる。



シャンソンの後は、梅田の地下街にある人気酒場「やまと」で昼飲みをした。
生ビールをくいくいと飲み、アテにはたこわさ、造り3種盛り、かんぱちのカマの塩焼き、ポテトサラダ、コーンの素揚げ、車エビのおどり&塩焼き、明石焼きまで食べた。











カウンターを陣取っているのは、9割が女性客。

「今日って確か土曜だよ。世の中の女の人って昼間からこんな店で飲んで怖いよな」(パパさん)
ポツリ。そう女は貪欲なのだ、生きること、今を楽しむことに。


月曜だしの原稿が2本もあるのに、昼飲みなんて楽しいものだ。

帰宅してからは、30分ほど昼寝。
起き出してから、とらやの水羊羹と珈琲で一息いれて、夜8時頃から原稿を書く。




夕ご飯は、さすがにお腹も空かず、結局はほぐした胸肉と、ニンニク、卵をたっぷりいれたお粥をつくって軽くすました。

11時頃には疲れていったんベッドの部屋へ行って寝てしまい、それからまた12時くらいに起き出してきて、朝の3時まで原稿を書いて、それから日本酒を冷えたグラスに注いでちびちび飲みながら少しだけ読書。
ようやく頭がぼやっといい気分になったところで本格的に就寝する。


翌日は、積乱雲がこれまた元気に湧き上がる暑い一日となった。
今日も、朝、昼、晩ご飯と、2度のティータイム以外は、原稿を書いて過ごした。

最近は、依頼された原稿を淡々と書くだけで特に新しいことはせず、現状維持の生活を繰り返している。
現状維持というのは、前に進んでいるような錯覚を受けるのだが、長い時空を俯瞰のような位置からみると、微妙に少しずつ後ろにずれているのではないかと思うわけだ。


明日はもっと前に。明日こそは、もっと貪欲に挑戦してみよう!などと思いながら床につくのに、結局、翌日も決められたことをこなすだけで一杯になる。

今月は、コピーライティングの案件が3本。あとはおなじみのレギュラー雑誌のテキストを作成している。
机の上には、やってみたいことを走り書きしているのをよく見える位置に置いているのに、横目でちらとみることもなく、アッという間に一日が終わる。
明日こそは始めてみよう、と今日も心に誓いながら満月の夜に就寝。









ごく普通のかわりばえのない一日の日記

2018-07-20 23:04:26 | writer希望を胸に執筆日記


7月13日(金曜日)

昨晩は3時まで府の広報誌に掲載されるコラムを書いていたが、自分のへたっぴさにあきれ果て、リビングのソファにうつ伏せのまま、ため息。そのまま目をつむったら寝てしまい、90分して目が覚めたが、気合いを入れる気にならず、寝室で寝た。



翌朝の13日の金曜日は、だから半ば諦めとやけっぱちな気持ちで目覚めたのだった。
それでも、本日は締め切りである。
昨晩までの自分を、キレイさっぱりと捨てさって、新しい気持ちで書き始める。

編集と書き直しを2週したら、いつもの調子が戻ってきて、ほっと胸をなでおろす。どこがどう下手だったのか、内容が薄かったのか、粗末な味が、わかってきたらあとはどうにかなるのである。

こんな時、きまって思い出すのはこんな父の一言だ。
「料理は舌だ。味のわからないやつには、旨いものは出せない」
文の良し悪しが、それでもわかったのなら、もう少しやれるか。そう胸に手を当てて思い、もう一度はじめから見直して昼一には提出した。



その足で淀屋橋の美容室へと出かける。
「アトリエ・スタンズ」は、私が大丸でコピーを書いていた頃から通い続けているのだから、ざっと20年は同じ美容師さんの元へ、こうして出かけることになっている。我ながら、飽きもせず誠実だ。

カリスマ美容師といわれ、パリコレのヘア・メイクも担当したこともあるT氏。彼のファッションセンスと少年みたいな好きなものへのこだわりと好奇心と、ヘアメイクへの限りない自信(誇り)みたいな所がまぁ好きなんだろう。

60〜70年代のクラシックなスピーカーから、この日もご機嫌のサウンドをたくさん聴かしてくれた。元々はデザイナーが4人体制でスタンバイする賑やかな美容室だったが、今は場所を替えてヘアデザインを担当するのはT氏だけで、あと鳥取出身の身長149センチのシャンプーがすこぶるうまいアシスタント嬢のみ。
ストレスになるような要素が何一つみつからない、居心地良い店だと思う。ヘアダイの後のシャンプーはルベル化粧品の一番ランク上の、南国の花の香り。
施術も丁寧だ。カット&シャンプーに、黒にほんの少しの緑とオレンジを混ぜたヘナで毛染めして約4時間を過ごす。



外へ出たらすっかり夏の夜が舞い降りていた。








夏の夜の散歩。

風があまりにも心地いいので、淀屋橋のオフィスビルや中之島フェスティバルホール、その周囲のビルのライトアップ、川面に映るキラキラした夜のとばりをみて歩き、西梅田方面へ。
北新地の雑居ビルからは、きれいなお姉さんや酒によったサラリーマンたち。なじみの花屋やケーキ屋も数年前と変わらずまだあるのに安堵し、ハービス大阪まで歩く。

イタリアンカフェ「アンティコカフェ アルアビス」へ立ち寄り、せっかくなのでカプチーノとエクレアを食べて、持ってきた本を少しだけ読み、リセット。
明日も暑いぞ。帰ろう。











このところ、大阪へ出たついでに、よく映画を観る。
先日は「セラヴィ!」を。


そして一番新しいところでは「ケッペルスと私」。





ちょっと前には、河瀬直美監督の「Vision」も。
あの独特の映画視点をもう1本観たくて「殯の森」と続けて観たら、頭がくらくらして、とても依頼原稿など集中してやる気になれず、現実へ向かうのに時間がかかった。

ともかく夏の夜は、ふわりふわりと頬をなでる、ほんのり潮っぽい風が昔から好きで、よく散歩をする。
大阪も、ずいぶんと無機質で都会的な町になったものだ。時々、立ち止まって見惚れる景観にいくつも出会う。
水のある街は、とても豊かに思う。


朝4時のブルーモーメントに捧ぐ

2018-06-23 00:15:27 | writer希望を胸に執筆日記

6月22日(金曜日)晴れ






たくさんの想いがどんなにあふれていても、それを言葉という文字に置き換えなければ、想いは風のように。あるいは空気に混じったチリのように、風化してしまうのだろう。たくさん読み、たくさん見て、心がえぐられるように痛烈にたとえ想ったとして、同じことである。それを文にできなれば、たちまち自分の想い、意志なんてものは、ひ弱なもの。どこか遠くの果てに飛んでいってしまうのだ。


見れば見るほど、読めば読むほどに。それらが自分の体の中に蓄積し続けると澱のように想いの質量はだんだんと重くなって、行き場をなくし、唖のように黙りこくって、生きるのでさえ、億劫になってしまう時もある、
いつか、時がたってそれらの澱を取り出したなら、言葉は魂を宿し、御弁に語りはじめてくれるのだろうか。それとも否、完全に記憶の彼方にいってしまうのだろうか。


書くということは、強い心が伴わなければ絶対にそれを書くことはできない。私自身はこの書くという強さにこそ、もっとも憧れているのかもしれない。精神が脆弱であると、たとえ一行の文でさえ語ることはできないのであるから。


今朝は、3時40分にはっと目覚めてしまった。一日をやりきっていない時には、こうして早く覚醒する。
月曜日の地震(大阪北地震)のせいではないと思う。自分の意志に反してごまかしたり、逃げたりして日々の生活を過ごしてしまっている怠慢さを、私の司令塔(脳)がきちんと覚えて指摘をしてくれているのである。


4時過ぎには郊外へと散歩に出た。
夜明けまぎわのブルーモーメント。一瞬のあの清らかで美しい時をなんと表現したらいいのだろうか。
生気の気配でむせかえる時間帯というのがあるのだ。
道端に咲く花という花、開き、伸び上がった草という草が強烈な生なる匂いを一斉に放ち出し、小さな生き物たちが一匹のこらず朝を告げ始めるので、そこら一面はものすごい濃密なエナジーに充たされた大合唱だ。草の波間で羽と羽をこすらせ、喉をならし、「起きた」「今日もこうやって無事目を覚ますことができた」「新しい朝がきた」「うれしいぞ」と、賛美のコール。ほととぎすも、うぐいすも、つぐみも、スズメもいっしょくたに大声で喜びの声をあげている。


そんな生き物たちの朝を縫うように、大股で散歩するのは、だから、不思議でたのしい。まるで黄泉の国に迷いこんだみたいに自分が自分(人間)でいるのを一時忘れる。小さく頼りなく、弱い動物みたいに。今朝は特に、家々の庭から色々の花がこぼれていて、郊外の住宅街がかもす立体的なハーモニーみたいな波間を、心躍らせて歩いたのである。


5時帰宅。家の中は静まりかえって、活気にみちた外とはうって変わった白々とした動かない空気とともに今日という始まりの朝が横たわっていた。

さあ、いつものアッサムティーを飲んで、1日を始めよう。仕事だ、仕事。



 


物語ではじめる朝は物語で床につく

2018-06-15 01:01:27 | writer希望を胸に執筆日記





 
朝。今日はヨガと瞑想をせずに、お風呂で読書。
こういう一日のはじまりがあってもいい。
せっぱつまった原稿のない日には、一年続いた習慣だって崩してしまえ、となる。

お風呂の中で文を読むと、目からではなく皮膚から、毛穴から、蒸された〝言葉たち〟が自分の体内へと吸収されていく感じが好きでこうやって時々、本を読む。
上がったらしばし、ソファーで続きを読むが、お風呂の中と脳で結ばれる映像がほんの少し違う気も。家の中でのそれはさっきほど熱く言葉は呼びかけてはこない、もっと冷静沈着そして穏やかに言葉(物語)を読んでいるのだと思う。
それじゃあ郊外で本を読むなら、遠い場所から語りかけられているのかといえば、それはどうだろう。ちゃんと意識してみよう。街中で、自然の中で。(旅先で、それも水辺を感じながら本を読むのが好きだから)


何度でも繰り返して読みたい本がある。読み終わってしまうのが惜しい本。時間を共有したといってもいい。


さあ、お湯に浸かろうと体を沈めた瞬間から3分ほどと
さあビールを飲みましょう(ワインを飲みましょうと)喉元から体の中にしみわたっていく最初の一口めはグラフみたいなもので差し示すと、同等の幸せにたどり着くのだ。私の場合には。


今日の仕事は、マカロンのコピー1本と、インタビュー記事1本。電話取材1本。あとは小さな情報誌1冊分の校正の仕事をした。

夕方。「ハンナ・アーレント」(dvd )を先週に引き続いてもう一度観た。 寝る前には、昨年話題になった「ムーンライト」(dvd )を観てから眠る。物語ではじまって物語で終わる一日。

普段は、書けるのかどうかいつもぐらぐら右に左に激しく揺れる吊り橋みたいなところで原稿を書く仕事をしているせいか(自分の不甲斐なさで)、こうはいかない。
とても惜しいことには。



携帯電話は忘れたけれど…大阪→徳島出張の旅

2018-06-09 00:41:02 | writer希望を胸に執筆日記







6月5日(火曜日)晴のち曇、夜半には大雨

この日は朝から徳島に出張。
ぎりぎりの時間まで昨晩の原稿を見直していて、慌てて外出したら携帯電話を忘れた。 

玄関を出て2分で気づいたが、再び取りに戻ると必ず電車に1本遅れる。
地方にでるのだから撮影したい風景やおいしいものも必ずある、それに行き往復の乗り物でみたいSNSもあるのに、と口惜しい気持ちを抱えながら、待ち合わせの梅田へと急いだ。
 
途中ハービス大阪のイタリアンカフェ「アンティコカフェ アルアビス」でサンドイッチとカプチーノを買って高速バスに乗り込む。

明石海峡大橋と鳴門大橋の、2本も大きな橋をわたった。
瀬戸内の海は、この日も穏やかな凪で、水面はキラキラとしたスケートリンクみたいに眩しく優しい色だった。おもちゃみたいな貨物船が細い煙を吹きながら流れていく。
隣はいつものディレクターのおじさんで、次男坊のお見合い話で気持ちよく盛り上がった。


  
「この前、Hさんに紹介してもろた息子の相手のお嬢さんな、そりゃあきれいでなー。背もスラーっと高いし、顔もまぁべっぴんさんやねん。僕なら、こっち向いて笑ってもろただけでドキドキっとするようなタイプや。ほんで11回もデートをしとるんやで」。

「11回ってすごいですね。それで?」

「そやろ。そやろ。ほんで、この前仲人さん入れて、両家の親同士でも合わせてもろたとこやねん」

「すごーー!もうそんなところまでいっているんですか、今度こそ決まるんちゃいますかねー。もう15回目(約6年間のうち)くらいでしたっけお見合い…」

「それがやな。なかな難しいよな最近のお嬢さんというのは。デートに誘ったら毎回来てくれはるんはええねんけど、お勘定は割り勘らしいねん。昨日うちの女房に聞いたんや」

「もしかしたら夫婦になろうかという女の人でしょ。それあきませんわHさん。無理にでも、息子さん男気だしたほうがいいですよ」

「そやねん、わしらやったらそう思うやろ?相手さんとりはらへんねんて。なーー、ほんで、その娘さん。息子と飯食ったりお茶は飲んでくれはるんやど、肝心なことを切りだそうとしたら、またその話はおいおいに、と言いはるんやて」

「えええーーーー。11回も見合い後にデートしてるのに?それって。まだ私は色々な男性の中から選んでる、選別中です、いうことですよ!!」

「ほんでな。聞いてや。むこうのご両親はそれはご立派でな。相手方のお父さんは海外勤務が多く、お嬢さんも小さい頃はアメリカやらヨーロッパやらで暮らしていた方やねんて。まぁうちとは家同士は釣り合わんけど。それでもむこうのお父さんは僕のことえらい、若う見えるし素敵なお父様やと、こう言ってくれはったらしいわ。ありがたいもんやで、ほんまに」

「まぁ、一般的にはそう見えると思いますよ。もちろんですよ」(ここはニッコリ
&苦笑)

「なのにやで、うちの息子ったらな、お嬢さんのこと、みつながちゃんみたいにな「ほんまは僕もう少し目のぱっちりした子が好みやねん』と、昨日電話でぬかしやがんねん。もうどう思うよ。あいつ41才で、お相手35才。本当に最高の相手やねんで。ほんまあいつは…」(と悔しがっているH氏)

「(絶句)! … 」




というような下りを延々と話し、バスは徳島着。2時間の取材を終了、3人のインタビューをとり、駅前で郷土料理の居酒屋で軽くを食べて、再び高速バスに。帰りは、ディレクター氏とは別々のバスに乗った。行きと同様、梅田経由のバスでも良かったのだが読書もしたかったので、三宮行きに乗車する。

神戸の夜景はすばらしい。 真珠色にライトアップした明石大橋を瞳の中に映しこんだまま、神戸の夜景の泉にだいぶするときのワクワク感は、やはり何度味わっても楽しい。醍醐味だ。

あのものすごい煌めきの小さな一点の中に、自分たちの日々の営みがあるのだ。



生き物たちの希望の朝に

2018-06-06 00:33:37 | writer希望を胸に執筆日記




朝は、とてもいいと思う。

一昨日は朝四時半に目を覚まして、(その日提出予定の案件が昨晩までにできなかった)家の周囲をぐるりと散歩。たくさんの良いものを見た。

例えば、鳥が、姿のみえない鳥と交信しあっている様子。こちらの鳥が鳴いたら、8秒ほど遅れてむこうの鳥がよく似た調子の鳴き方で応える。その声を確認したら、こちらの鳥がその交信に応えていた。朝っぱらから求愛、かしら。
呼びかけるほうの鳥の、鳴き方がか細かったり遅れたりして、不安げな様子も見てとれるのが切なくてよい。

家に戻れば、神棚のおさがりの生米を、雀が5羽ほどでついばんでおり、口を大きくあけてぎゃーぎゃーと鳴きながら、別の雀に入れてやっていた。
最初、くちばしとくちばしを合わせていたので朝っぱらから接吻だ、と思いながら、どうしても観なければいけない仕事のdvdを観ながら、ちらっ、ちらっと横目で雀の様子をみていたのだが、どうやらキスしまくりではなく、口に何か入れているのじゃないかと、いう考えに至る。

いや、もしかしたら、おいしい生米に興奮しながら、愛を確認しあっているかも、とか。ともかく昼間は聴いたことのない声で鳴くので、びっくりして、しばらくは目をそらせることができずにいた。

早朝での主役は、人間ではない。鳥や昆虫、花々をはじめとする、すべての生き物たちの「あらたかな」時間が流れているのだなと知る。
  
紅茶と宇和島柑橘フルーツ、青い系のサラダを食べて、さ、仕事。原稿を書いている最中で、一度頭を冷静にするため必要がありシャワー。ひときわ香りのいい石けんで体を洗った時に幸福を感じた。強烈なプルメリアの香り…か。ジャスミンだ。嗅いだ途端に本物のジャスミンの花びらや咲いていた花壇ね情景が瞼の中に迫ってきた。
客室乗務員をするNが世界各地の石けんとおいしいお茶を帰省のたびに持ち帰ってくれるおかげだ。ありがとう。



執筆日記のほうは、少し時間があいてしまったが、先週と今週、依頼原稿のほうは毎日なんらかの締め切り案件をこなしている。かわりなしだ。

先週は、j社さんの少しまとまったページを頂いて、取材を補うために大量の資料をコピーしてそれらを元に、どうにか記事を仕上げた。
その間、飛び込みで入った単発も同時に進めたり、観たかった「ペンタゴンペーパーズ」を観たりと間にいろいろ、突発的なものを挟みながら書き進めると、提出する段階になってこれで良いのかどうかもあやしい状況になってしまって。大いに焦ったが、ぎりぎりの段階でかたちにして提出。

引き続き、定期刊行物のほうにとりかかる。取材が入るので書くのは夜。もしくは朝。
企画から、編集・ライティング・校正段階まで携わっており、それを何十年とやっているので慣れているとはいえ、版元のクライアントさんとはよく顔を合わせる案件なだけに質を落としてはいけないと自戒する。
 
ゆとりなどないくせに、すぐに余裕しゃくしゃくとこの仕事をタスクを後ろへ後ろへと押してしまう。
短い時間での案件を優先するためだ。昔から優先順位のつけ方が下手である。

着手をもっと早く。もっと瞬発力を。
いったん書いてしまって。そして時間を置いたものを改めて推敲の段階でまっさらな目で確認する。これを課したいのに、ここ1カ月ほどは、最初の段階でうんうんといったり、あーーといったりする書き始めるまでの時間が長すぎる。


自分で決めた約束事を、守れないと。
自分が自分にだって信用を落とすというよくない連鎖に陥るのでそれをどうにかせねば。
ペナルティでも課そうか。




「湯を沸かすほどに熱い愛」ようやく鑑賞

2018-05-19 00:12:01 | writer希望を胸に執筆日記




5月19日(土) 晴れた日。でも寒い。

昨晩は珍しく2時半まで執筆の仕事をしていたので、今朝は8時まで寝ていた。
気分よく目覚め、広島のはるみ(柑橘類)と、メキシコ産のアップルマンゴー、キウイ、珈琲で朝食。
よく眠れたせいか、今日は元気。

昨晩ダウンロードしても聴くことができなかった編集からの音声データーを、デザイナーのところに送り、電話する。「保存形式が違うだけで、Macで聴くことができない。どうしたらいいの?」という旨を話ながら、直近の近況報告に脱線し、アッという間に30分以上経過。
慌てて周囲をざっと片づけて仕事にかかる。
すぐに電話があり、万能変換ソフトを教えてくれた。万事解決。持つべきモノは良きブレーンであり頼りになる友人の存在。

ホッとしたのか、それから今日提出の原稿も、あっという間に最後の1行までダダダっと書けてしまった。2回読んで少し修正を加え、提出。
以前は提出前の前日には必ずできていたのに、いつの間に当日勝負の体質になってしまったのだろう。ジレンマでいっぱい。

今週も先週に引き続いて、ハードだったが無事全部出し終わる。

来週は一冊まるごとの案件のほか、連載ページの特集案件にかかる予定。でも、それらにかかる気になれず、真っ昼間から、お風呂で少し読書(「存在の耐えられない理由」。(何年もかかって再読中)
出て、「湯を沸かすほどに熱い愛」を観た。昨年、映画館で見たかった作品だったが、どうしても時間がとれず。ようやくその時が来た。
言葉にならないくらい良いシネマで泣いた。
来週火曜に検査があるが、そのことが頭をふとよぎった。

夕食は手羽先のトマト煮(春タマネギ、セロリなど香草たっぷり)、アボガドメーンの緑のサラダなど。

夜。今晩は仕事をせずにお風呂の中で日記を書いて就寝(12時30分)