月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

生命を輝かせた最後の華、京の紅葉と寺院のイルミネーション

2014-12-13 02:30:27 | どこかへ行きたい(日本)



木枯らしの舞う季節だ。いよいよ師走となった。
年内に印刷アップする制作物に追われている毎日。

こんな時でも、ふとある瞬間、今年1年をやっぱり振り返ってしまう。
そして思う。うん、良い1年ではなかっただろうかと。
毎年決まってそう思うのは、私の思考が総じて楽観的に出来ているからなのだろうな。
心配症であるにも関わらず、脳はポジティブである。未来は今日よりもきっと良い、と。この年齢になってもまだそう思えるというのは、
打たれても打たれても、懲りない性分なのだ。



さて、寒い木枯らしのなか、今年の「紅葉」を書くといえば笑われそうだけど、
とりあえずメモ代わりにアップする!

「群がって見事なトンネルをつくる紅葉を美しいと思うか。
たった1本の紅葉、1枚の葉に心を奪われるか、その時の心次第である。
京都を訪れるたびに、ひとつの寺か、ひとつの場所を訪ねることにしている」。

作家の下重暁子さんが、確か雑誌「クロワッサン」のエッセーで書いていらしたように記憶する。

1本の紅葉に心奪われる自分でありたいもの…。まだまだ、である。

奈良の紅葉も素晴らしかったが、
やはり鯛は明石と作家谷崎がいうように、京都の紅葉を観ないでは、秋が過ぎていかないのである。







先月のこと。
1人娘が携わっていた京大祭のイベント(サークルの出し物)を見に行くという小さなオマケ付きで、
学生時代の友人と紅葉散歩へ出掛けた。



まず、ランチを目的に立ち寄ったのが、以前から行ってみたかったカフェ「茂庵」(娘のオススメカフェ)。
吉田山の頂上付近にある民家風の佇まい。





小さいのや大きいのや、沢山のどんぐりが落ちている山道をダラダラと駆け足で上がること15分。

銀閣寺道から、少し入っただけで山の空気を存分に味わうことができるとは、ナンテ素敵。



ウエイティングは少し長かったが、ようやく入店。
格子戸に填められた自然に歪曲したガラス窓と、真っ赤な椅子がかわいい店内。
窓からは京都市街と比叡山までの景色が一望でき、
胸のすくような素晴らしい絶景だった。
大文字の舟のマークを発見。
窓越しのカウンター席が一番上席のようである。









この日はお昼がまだだったので、
「ピタパンサンド(スープ、豆のマリネ付、 1260円)」を注文。

きんぴらごぼうのサンドと、トマトとモッツァレラチーズからチョイス。

調理時間は少しかかったが、ヘルシーだし、ソースの味も濃すぎず、満足な味だった。





それから駆け足で、
「真如堂」の夕景を観に。
赤、黄、オレンジの紅葉が境内一面を覆い尽くす様は圧巻。
黒々とした三重塔や墨色をした寺の深い庇と大きな灯籠。釣り鐘。
それらの重厚な古めかしさと、自然の色の対比が実に美しい。
オレンジ色のカエデ、境内に降り積もる黄色のイチョウの落ち葉、どの場所どの角度からみても美しい紅葉を拝観する。





















夜は、青蓮院門跡の夜間拝観へ。
ここは、高い楠の木が覆い茂る天台宗の寺院。
蝉しぐれが鳴いて青々として楠が傘のように空に広がる、そんな夏のイメージの寺院。
うす暗い黒の境内から、陰翳礼賛的な角度で南側の庭を見るというシチュエーションをたまらなく思い出すが、しかし当日は晩秋の夜なのであった。





山門をくぐって宸殿(しんでん)を上がると、宸殿南側に庭園。
海の底に潜っているようなブルーの光が、ゆっくりと点滅を繰り返す。
墨のような黒からブルーの蛍が飛ぶように光り、そして緑の木々が表れ、紅葉が紅に光る演出。
紅葉は命あるものの、最後の華。ここでもそう思う。

ひときわ大きな木が赤に映りこんだ瞬間に、ブルーのライトは消える。
滝のある庭園や竹藪の林や、庭をそぞろ歩くのが趣もあって素敵であった。