7月1日(木曜日) 晴れのち雨 豊岡から西宮
豊岡の光はつよい。周囲を山に囲まれた盆地に、一級河川の円山川が日本海へと長いせせらぎをうねらせている蒸し暑い大気がいやおうなく、照りつける夏の時間よ。
1週間、実家で過ごす予定を、5泊6日で切り上げて、西宮へ帰る。
昨日、某クライアントのディレクターから資料をおくるから7月10日までにあげてくれないか、と連絡があったためだ。
電車の中では、4泊5日の東京遊覧の日々を、忘れないうちに綴っていた。
兵庫豊岡から丹波路の路線はまがりくねった山道が多いうえ、トンネルが多い。山をのぼったりくだったりの高低差があって、よく揺れる。ごとごと、ごとごと、お尻やおなかを左右にゆらせながら書くので、途中で気持ち悪くなって汽車に酔ってしまった。
JRから宝塚で下りてスーツケースを引き、阪急電車に乗り換える。
今回早い時間に家を出たのは、きょうまでの映画「水を抱く女」を見るためだった。クリスティアン・ベッツォルト監督。水の妖精、ウンデーネを、下敷きにした映画。
春から何度も見過ごしているので、どうしてもみたかったのだ。
ウンデーネは、ベルリンの都市開発を研究し、博物館でガイドをする。解説シーンも颯爽としてかっこよかったし、潜水作業員のクリストフと愛に落ちていくシーンもよかった。
ドキドキと胸がつまる魅惑的な映像、パッパのピアノの旋律が、わたしの鼓動に寄り添ってくる。映画にしろ、小説にしろ、よい作品には一切の無駄がない。すべてに完璧で美しく、迫りくるシーンの連続である。
深淵の水、プール、音楽、愛、別れと復讐と。そして赦し、悟り、怒り、再び哀しみに還ってくウンデーネ。人魚姫に例えられる。見られてよかった。
映像に助けられてはいるが、ミステリー小説に仕立てても魅力的な作品になるだろうと思いながら。再びスーツケースをひいて、宝塚の駅前で鯖寿司を買って、家にかえる。
自分の家を拠点にして、東京のNの家と母の家。ふりこのように、あっちからこっちへと行く日々が、これからさらに、こんな日々が増えるのだろう。
夫、娘、母。父の先祖。わたしは、その中央にたちすくんでいる。
だから、せめて家のいる時には、家の時間を大事にしていこうと誓う。
実家にいると、ここに暮らしていた様々な時代の家人の記憶が宿っている。と思う。
記憶に、守られているのだ。そして、どこにいても、眼がある。
実家を往復する日々(2ヶ月)で、改めて知った。母という女のことも、家のことも。さてと、仕事の日々に戻ろう。