2018年9月15日(土)
今週の峠はどうやら乗り越えたのじゃあないかと、自分では思っている。
16ページものパンフと冊子が2つ。
月刊誌の定期もの、原稿が3本。
それらの印刷入校のための、やりとりと何度かの戻しと校正を数回。
電話や校正や、訂正やのやりとりをしていると、あっという間に時間はすぎて、落ち着いてテープを起こしたり、その原稿をつくるのは夕方以降、それも夕食後が多かったけれど、もう少しあと一息だ。
ときどき、なんのために心を砕いて、これほど原稿の果たす役割を考えてどう書くかに専念したり、内容に意味をもたせ膨らませたり。制作物の出来のよし、悪しにばかり細心の注意を払う必要があるのだろうと思うこともある。
(これだけ、まじめに1つの事に取り組んだら、きっとひとつの哲学だって生まれるんじゃないかとか)
それでも勝手にそういう思考になる。長年、積み重ねた習慣だ。
ほかにすることがあるわけでなし、これでいいのだと妙に納得してみたり。
義務だけでもないだろう。
自分が心から知らないニュースにふれ、「驚き」「おもしろさ」「価値ある内容」だと、
知的好奇心が、私を動かしているのだと分析もする。
危惧するのは、こうやって3連休も仕事する最中にあっても、いざ納品(入稿)してしまえば
その制作物にも仕事のプロセスや出来にも、全く興味をなくしてしまうのが、困ったところなのだけれど。
次のことに関心(課題)が移ってしまうから、だ。
こんなので、遅々としても前に進んでいるのかしら?
せめて、好き好き!楽しい!とか心がさわぐ案件をつくっていかないとね。
「いま」、この瞬間に集中できる環境とか、「面白い」を大事にいきよう。
そして、他人事ばかりでなく、もうそろそろ自分を一番大事に労ってもいいお年頃なのだ。
育てられてきたように感じています