「夏だった。それもほれぼれするような見事な夏だ。空にはキリッとした白い雲が浮かんでいた。
太陽はじりじりと肌を焼いた。
僕の背中はきれいに3回むけ、もう真っ黒になっていた。
耳のうしろまで真っ黒だった。
…(中略)
僕は車の窓を全部開けて運転した。
都会を離れるにつれて風が涼しくなり、緑が鮮やかになっていった。
草いきれと乾いた土の匂いが強くなり空と雲のさかいがくっきりとした一本の線になった。素晴らしい天気だった」
きょう7月19日という日は、本当にこんな一場面(上記は、村上春樹の短編、「午後の最後の芝生」の一節)を頭に浮かべるほどに、
きれいな夏の空。素晴らしい天気だった。
セミは午前中1時間だけ鳴いた。
目の前の山々は、絵の具を流したようなゴツゴツっとした鮮明な緑。
空はどこまでも、どこまでも、どこまでも続き、果てもない水の色に、
薄い雲を浮かべている。
もちろん「午後の最後の芝生」を本棚から取り出したのは、空の色がきれい、という理由だけではない。
今朝から、わが家のある敷地一帯では、芝刈り(草刈り、正確には植栽の剪定)作業が進められていたのである。
それはものすごい騒音だった。
芝刈り機が3・4台は働きっぱなしだったと思う。
最初は耳障りだなあ、全然、集中できない。原稿が進まない…、とばかりに、立ったり座ったりしてイライラ。
そして、仕事部屋とリビングのガラス扉を全部締めてまわったりした。
けれど、しばらくして、どうしても閉鎖された空間に窮屈さを覚えて、
再び、窓を開放する…。
そうすると、ふわっーと。
芝刈りの激しい機械音のなかに、
香ばしいといおうか、生々しいといおうか、草のにおいが一筋、流れ込んできたのだ。
わあー、いい匂い。なに?
天然の緑のアロマだ!
それから、全ての部屋を開放し、写真まで撮ったりして草の香りを愉しんだ。
そして、例の村上春樹の短編を突然、本棚から取り出し、ページをめくる…。
そうやっていると、
人って本当にいい加減なもので、芝刈りの音もなかなか、いい。
ナンテ気持になり、窓を開けたままで午後の仕事を進めた。
なんて贅沢な、と少しだけ特別な気持ちになりながら。
緑のにおいに包まれて…。
ふと、こんなことも頭をよぎる。
(全く先ほどの受けとは関係ないが…)
誰だったか文化人の方(コピーライターの糸井重里さん?)が
コラムで書いていらした。
「自分の年齢÷3」。それが今のあなたの時間です」と。
例えば、あなたが21歳なら、朝の7時となる。
33歳なら、午前中の11時。
じゃあ、60歳なら夜の8時…。
昨今、いよいよ自分の持ち時間を考える年齢になってきてしまった。
そして、午後の時間の美しさを、
しみじみと感じるこの頃であった。
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