雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

富山は美味しいし雪だし優しいし!

2025-02-15 08:27:52 | 仕事

水木と、出張で富山に行って来た。

前週が大雪だったので、社長が『長靴履いて行きや~危ないし濡れるよーコケなや~』と

愛のある💧助言。

しかし私は天気予報を観て、私が行く時にはギリ天候良くなっているだろうと思ったし、

現地でご同行してくれる予定の商社さんも『雪も止んで長靴無くても大丈夫ですよ~、でも

暖かくして来て下さいね』と言ってくれていたので、ブーツは無しだがズボンの下にはタイツ。

 

水曜朝、大阪からサンダーバードに乗り、琵琶湖の西側を走る。京都出てどの辺だろう?

気が付くと一面真っ白。さすが凄いね。で、今はサンダーバードは敦賀までしか行かないので

そこで新幹線に乗り換え。敦賀駅のホームに降りた瞬間、空気が違うわ、冷たさが違うわと感じる。

雪国の人は真冬、こんな過酷な中で暮らしているのねと、大雪の大変さだとか酷寒だとか、勝手に

ツライだろうと思い込む。しかし日々の生活を送っている地元の人からすれば、別に他府県の人に

心配してもらうようなことじゃない・・・かも知れない。

 

12:30富山駅待合せだったが、早めに11:30に着くように行ったので、駅で1人昼食。

私は蟹が大好きで、カニカニと思って行ったのだが、へぇ~と思ったのが、富山では蟹も勿論

あるのだが、まずは白エビよ、前面に押し出したいのは と感じたわねぇ。

しかしお昼、探して蟹食べました。どうしても食べたかった(^_^;)

で、約束の時間に商社のIさんが車で迎えに来てくれて、最初の訪問先へ。13:30~1時間打合せし

Iさんの会社へ帰り、Yさんに交代して次は砺波まで。16:30のアポ。ちょっとあるよね距離。

昔々、まだ自分が前職のペーペーに近い頃、そのお客様に設備を納めたことがある。金額もデカかった。

目的の案件の打合せが終わって帰る前に、ちらっとその設備がまだあるのかお聞きすると

順調に動いているよと。そーか◯◯に居たのか・・・と部長さん。今でもちょくちょく来られるよ

Tさん と私の天敵の名前を出されたので ”要らんこと言わんといたら良かった・・・💧” となった。

終わったのは18:00よ。そこから富山に帰って食事に行こうとなって、IさんYさんと3人で居酒屋へ。

 

カニ食べたいカニ食べたいという私に、高級ちっくなところか?気楽なところか?と聞くので

気楽なところでいいと言うと、なかなかレトロなお店に連れて行ってくれた。

そこで!なんと!私が一番食べたかった、松葉の身をほぐしてくれてる一品があったのよ。

これよっ!これっ!いくつでも食べられるわ。お代わりする?なんて若い2人に言って

(私が奢るつもりだったので)超美味しくて満足だった。後で値段聞いて結構高かったから、

そりゃそうよね、手間かかってるもんねと。あれは楽で嬉しい。

のどくろなんかのお魚も他のメニューもどれも美味しくて、支払う段になって彼らが『払う』と。

いやいや貴方たち 私からすればお客さんだし、若いんだし、私が食べたかったんだし、私が払うと

言うのに、引合ばっかりで一個も仕事が決まってない。なのでココは接待させてと言うので甘えた。

普段から『もおっ!引合ばっかり見積させるばっかりで、ちっとも決まらない!先ずは一つ決めようぜっ!』

と言ってる私なので、彼らも気にはしているのだ。某るお客様の周年バーティーで知らない人に声を

掛けられ、それがその商社の本社の役員の営業本部長だった。私はその会社にとっては有名らしい。

結構大きい中堅どころの商社さんだ。『よろしくお願いしますよ』と言われ、その時も 先ずは一回

決めましょう!と言ったものだった。

彼らは契約取れたら奢ってと。ハイ、ではそうしましょう。頑張りましょう。

 

翌日はYさんIさん2人で朝、ホテルまで迎えに来てくれて、9:30のアポと11:00のアポ。

丸1日で4件行ったのだから結構きつかったし効率は良かったわねぇ。感触はまあまあかな。

お昼は私がご馳走するねと、お寿司やさんに行く。ここが又素晴らしかった。

地元セットという10貫の握りなんだけど、ホタルイカ・白エビ・蟹・鰤・鯛・鯖・鮃・イカ・トロ

もーそれも絶品だったわよ。おかわり自由のお味噌汁も美味しかった。回転寿司屋さんだと言うけれど

回転してた?私たち普通のカウンターだったし、テーブル席にもコンベヤでお寿司流れてくるのは

見てない。彼らに、トロと蟹とホタルイカはお代わりしようよと言って無理やり食べさせ、お昼から

こんな贅沢なと恐縮する彼らに、私は自分が大満足だったし、2日間付き合ってくれた子か孫かという位

若い彼らにお礼を言いたい気持ちだったから良いのだ。仕事の話もプライベートの話もたくさんしたし、

彼らは私が出している資料を彼らなりにまとめてお客様にきちんと提出し、プレゼンも一緒にし

真面目に取り組んで居てくれ(商社によっては、そうではない会社も在る。もっとぞんざいなというか

杜撰なところはある)そこは見直したし感心したし、優しくて親切で、2日間 仕事とは言え

とても楽しかった。

予定より早く帰れたので、帰ってから要求されていた資料と返事の一つだけでもとメール したら、

夜遅く2人とも別々に返事が来ていた。元気をもらった、又富山に来てもらえるよう頑張ると言って

もらえて、有り難たかった。可愛らしいね。

 

私は本当に仕事に関してはツイてるし人に恵まれていると思う。彼らが契約取れるよう、私も一緒に

頑張る。

流石に昨夜はしんどかったが、それでも昨日も週明けのFATに向けて調整している設備のチェックに

出掛けた。73歳と聞いて彼らびっくりしてたよ。50代かと思ってたと。いやいやそれはないでしょ。

あまり言い過ぎると本気にしないよ。せいぜい10歳くらい若く見えるのがいいとこだ。

私、シワ無いしね。髪の毛サラサラだしね。そこはよく褒められる。これ、自慢です💧

 


”太く長く” で行きたいですわ

2025-02-08 12:49:36 | 日記

よく『細く長く』とか『太く短く』とか言うけれど、それ以外の選択肢は無いの?

『太く長く』はアカンの?と思っている。

 

昨日一昨日とめっちゃ久しぶりに、出張に社長同行してもらった。

金曜日に、引合段階から言うと1年以上かかっている茨城県の大型案件設備が先月現地搬入されて、

まだ調整の段階で生産運転には漕ぎ着けていないし、追加の費用のお願いもしたいのだが

社長に『FATにも顔出してない。真剣に設備見て下さってないでしょ!?あんな大きな注文

貰ってるのに、お礼方々挨拶くらい行って下さいよっ!』と誘う。

それに引っ掛けて、既に某設備を昨年から今年にかけて3台購入下さって、更にまだ3台の

引合貰ってる福島のお客様にも行きたい。

そのお客様には2019年に社長と一緒に初めてPRに行ったことがあるのだ。当然その時は話には

ならなかったのだが、今はもう違う。

『実績も出来て更に後の話も下さってるのだから、久しぶりに先方の社長に挨拶行きましょう!』と。

最初の1台が入ったのは、新しい設備の売り込みで営業皆であちこち活動展開している時、

 あっ!あそこっ!とピンと閃いてアプローチしたら、それが当たったのだ。本当ラッキーと言うか

勘というか判断が優れているよねぇ、私。自画自賛。

そして1台入ると、2台目3台目とあれよあれよと決まった。それは設計したり造ったり工事行って

くれたりの社内のみんなにも感謝しなければならない。彼らの対応がマズくても話は続かないから。

今回の更にの3台の引合にも、メカの若手Kさんは『さすが◯◯さんですねぇ。◯◯さんはリピート率

メチャ高いですねぇ』と褒めてくれた。

私は2台目3台目の搬入時に、お客様社長をわざわざ呼び出してもらって、挨拶してお礼は申し上げている。

 

木曜日は、お客様社長・専務・工場長・担当課長以下総勢8人で迎えて下さった。勿論社長同行して

もらうとお伝えしていたので、お客様も礼を尽くして下さったのだと思う。

お礼もお伝え出来たし、今の諸々の設備もPR出来たしで、いい感じでおいとました。帰り道社長が

『◯◯さん(私のこと)はお客様に信用(?だったか信頼?だったか)されてるんやなぁ・・』と。

えっ!?何?何?褒めてくれてるの?珍しい・・・。しかし何で?どうしてそう思う?

社長曰くは、お客様の顔見てたら判かると。商談中、社長が喋っている時でさえお客様はみんな、

私の方ばっかり見てたと。ニコニコうんうんと。いやいや、そんなことは無いよ。社長が喋っている時は

ちゃんと社長の方見ておられたよと私は思うのだが、社長はそう言ってくれる。

午後イチに入るつもりで早く着き過ぎて駐車場で時間つぶしていた時も、昼食終わった課長初め

一個団体が、ニコニコしながらこちらに向かって来て声掛けられた時もそう思ったと。

ふうん・・・そんなふうに思ってくれるんだ。

その社長の言葉は私の中に、珠玉の言葉の一つとして心に残る。

仕事に関して言えば、

・◯◯さんのお客様は幸せ

・お客様に◯◯さんが好かれるのは嘘をつかないからだ

というOさんやHさんが過去に言ってくれた言葉も心に残っている。そんな言葉は仕事をする上で

すごく私の支えになっている。それに匹敵するくらい嬉しいよ、社長。

私は”怒りをエネルギーに変える”らしい。社長がそう言う。『なので、怒っときや』と言うけれど、

いつも怒ってる訳ではないんですが・・・。いつも怒ってたら、それこそ変な人だ。

社長と出掛けるのは久しぶりだったけれど、気を遣わなくていいからやっぱり楽だね。

 

なんでこんな事を思ったかというと、やっぱり仕事が好きなのよね私。歳だからもう、大人しく

引っ込んで・・・が出来るか?ということ。

亡くなった友Oの通夜の帰り、誰かが『最後はイヤだな・・・』と言う。Oのお通夜は人がたくさん

お別れに来られていて、盛大で温かい良いお通夜だった。後になればなるほど送ってくれる友だちが

減って来る、寂しいと、その友は言うのだ。『じゃあ、早く死にたい訳?』と聞くと 早くはイヤだ、

真ん中位がいいと。贅沢なヤツだ。『じゃあ私は最後でいいよ。みんなを見送ってからにするわ』

『友だち居なくてもいいの?』『別にいーよ。少なくとも子どもら孫らは居てくれるだろうから、

それでいいよ』

私はこの世に未練たらたらだから、ちっとやそっとでは死なない。死にたくないのだ。

でも”細く長く”というのは性に合わない。長ければ細いと言う訳でも、太ければ短いという訳でも

無いだろう。

どうせなら、太く長く生きるのよっ!私は。

でもみんな、まだまだアカンよ。もっと楽しもうぜっ!人生を謳歌しようぜっ!

みんなして長生きしよう、年老いてからの生活も”元気で”楽しもう。そう思ってるよ。


あなたが居なくなって”絶望”と言ってもらえるほど愛されてたんだね

2025-02-01 02:14:02 | 日記

もう1週間前になる。

亡くなった友Oの通夜に仲の良かったみんなと行った。8人集まった。

そこで3年近く前にくも膜下出血で倒れたNに久しぶりに会った。3年前のGWだったから。

MとKと私の3人だけは、Nが倒れてから一度も会えて無かった。

ご主人に車椅子押されて会場に現れたNを見て、みんな涙涙。通夜が始まる前に泣いてる。

会話も全く普通。左右どちらかが不自由だとは聞いていたが、それもあまり問題なさそう。

Nんちの近くまで行くから出て来てね。『元気で会える時に会おう』みんなそういう心境に

なっている。優しいご主人が居て良かったねと思う。

 

Oの通夜は多くの人が参列して、在りし日のOの人柄が忍ばれる。仏式でも神式でもない通夜だった。

お嬢さんが2人居て、長女さんが挨拶された。とても印象に残っている言葉。

『母が亡くなって、今まで生きて来て初めて”絶望”を感じた』と。ちょっと驚いた。

私の子はそんな風には思わないだろうなと思った。

その言葉を聞くだけで、どれほど愛し愛され信頼し合った母子だったんだろうと思う。

大好きで愛おしくて頼りになる肝っ玉母さんだったんだと思う。中学生くらいの男の孫ちゃんは、

ずっと泣いていた。大好きなおばあちゃんだったんだろうな。可愛いがってもらったんだろうなと

分かる。太陽みたいな人だったよ、あなたのお母さんは。あなたのおばあちゃんは。

昨年11月頃に風邪?かなんかでちょっと具合が悪くなって入院したけれど、家に帰りたいというので

長女さんの家に引き取ったと。Oはご主人が数年前に亡くなっていて1人暮らしだったので。

いっとき元気になって、この調子なら又外に出られるかもと思っていたのに、年が明けて元気が

無くなったみたい。亡くなる2時間ほど前まで会話も出来たと。『AちゃんAちゃん』と呼びかける

声がしないなと気になって見に行ったら息をしてなかったというが、一体何が原因かもよく解らない。

そんなことってあるのだろうか。

Oがこんなに早く逝ってしまうとは考えもしなかった。同じ時代を生きた友が居なくなるということは

これほど寂しいものだったんだと感じる。

帰りにSが『何も食べて帰らないの?』と聞く。『なんだか皆で喋りたい』と。珍しいね、おとなしい

Sがそんなこと言うなんて。そう言えば夕食は食べてないわ・・・ということで7人で駅前の中華に行き、

簡単に食事。又来月会おうねと駅で別れる。

 

私はずっと虚脱感。姉に続いて友だちまでも。大事な人が欠けて行く・・。空しい。虚しい。

仕事する気がしない。この2週間、1週間に1回出社出来れば良い方で、アポある来客時だけ仕方無しに

出て行く。社長から電話で『家にこもってばかりやったら足腰立てへん様になるで』と言われたが

放っといて、好きにさせて、人に会いたくないねん。必要最小限の仕事はちゃんとしてるから。

行ったら行ったで仕事モードになる仕事バカの私。ちゃんと仕事しないヤツがムカつく。理解出来ない

のを見るとアホかと思う。周りが愚かに見えて腹立たしい。自分がどれほど出来るんか知らんけど。

老害だなと自分でも思うのは、相手が客でもちゃんと対応しない人には腹が立つ。キャッチボールの

ボールを自分が長く持っていることを私はしない。なので、こちらが返事を返して相手の反応が無い

場合は放っておく。仕事欲しい時はそうでもないかも知れないが。そういう客には相当冷たい。

キツく言う。仕事する以上、最低限の礼儀ってもんがあるだろと思っているから。

 

目薬が無くなっていたので眼科に行った。そこで初めて気がついた。左目が相当見えなくなっている

ことに。生活していて普段は両目で見るので気が付かなかったが、片目を隠すと左の目はモヤがかかった

様に見え、左目だけではちゃんと見えてない。あっ!白内障が進んでいるんだと自分でも気がつく。

先生にも言われた。左目進んでいると。手術するかしないかの境目くらいだと。まずはメガネ替えて

みる?右目が利き目だと知ってはいたがここまで酷いとは思わなかった。ショックだし悩む。

しかし、2週間ボーっとしてたけど、来週からは出張にも行かなければならず、又忙しくなる。

仕事減らすって言ってたのに、なかなかそうも行かない。どーすんだろねワタシ。何も考えてない。

 

そうそう、パソコンが上手く行かないことも面倒なんだよね。

会社の行き帰りにパソコン持ち歩きたくないから1年半前ほどに自分用に買った。家用として。

しかし1年前に液晶を傷付けてしまって放っておいた。で、会社支給のパソコンが壊れそうになって

慌てて自分のパソコンを修理に出した。会社支給のパソコンも新しく買ってもらった。

だがしかし、どれもさっさと今までのように使いこなせてないのだ。だいぶ慣れては来たけど、

まだ思い通りにはなってない。会社用と家用はそれぞれの場所に置いてあるが、壊れかけている

古いパソコンも会社と家の移動に持ち歩いている。サーバーに在るのを触るのは問題ないのだが、

メールの受信がところどころぶっ飛んでいるのだ。3台共同じメーカーだがどれもバージョンが違う。

古いのをさっさと手放し必要無い様になりたい。機械を売っていてパソコン音痴な私。

スマホもiPadもどれもおかしい。それも大きなストレスの原因だわね。

何をやっても腹立たしい私は、今はおかしいのだと思うことにしている。

何も考えてない。何も考えられない。考えたくない。鬱陶しいのだ、深く考えることが。

それも歳のせいかもね。あーあ💧愚痴だらけの記事になったわよ。


もう会えない

2025-01-22 01:24:07 | 日記

何でこんなことに!? 私、何か悪いことしたでしょうか?

年明け早々姉が亡くなり、それでなくても普段より落ち込んでるよ、確実に。

金曜日から関東に出張し日曜日に帰阪した。深夜、日付が変わろうとしている頃に友からLINE。

こんな時間に来るのはいい話じゃないなと予感。

Oが亡くなったと。一瞬、”信じられない・・・・”

 

私には今も仲良くしている友だちが2組ある。

ひとつは中高一緒だった友だちの、最後の2年間(組替えが無い)同じクラスだったグループ。

月イチの食事会に行くのはこのグループ。皆大阪だから。

そしてもうひとつは短大の2年間一緒だった友ら。4人グループでMiと私は同じ中高からで

MeとKは同じ学園だけれど、隣の姉妹校から来た。年イチの旅行に行くのは、こちらのグループ。

皆が結構離れたところに住んでいるので、会うのは年イチと言う訳。

勿論どちらのグループも、学校卒業してからずっと頻繁に会っていた訳ではない。仕事や結婚・子育て

などで皆忙しい時期は夫々の生活があって、なかなか会えなかった。今みたいに会えるのは、そこそこ

落ち着いてからだった。

 

Oとは中2・高2・高3が確か同じクラスだった。明るくて親分肌で統率力が有って、リーダー格で

クラスの人気者だった。どのクラスにもそう言う人が1人は居たが、彼女はクラスのと言うより

学年の人気者で有名人だった。華があった。別嬪さんだったし、実家はデパートにも入っている

大きなお店と言うか会社で、お嬢様だった。全然そんな雰囲気は漂わせていなかったけど。

公明正大でイヤなことをしない言わない、性格の良い人だった。

私は中2で初めて同じクラスになった時、席が近かったからか出席番号が続いていたからか

仲良くなって色んな話をしたけれど、彼女には結構深い話をしたような記憶がある。

真面目に親身になって人の話を聴く。アドバイスもくれる。そのくせおバカな話をして

ふざけたりもして、楽しい信頼のおける人だった。

 

歳を重ねて月イチの食事の頃には、彼女はあまり集まりに出て来ない様になった。”面倒だ”と

言う理由で。それでも私たちは面倒がる彼女の近くのお店で予約を取って引っ張り出したり、

家に行ったりして、それなりに会うのを楽しみにしていた。

ご主人を先に亡くしてからは更に出不精になって行ったように思う。骨折も何度もしたし、

どこかが悪いと入院もたまにしていた。

昨年の夏の終わりに彼女の近くのお店で月イチの食事会を予約した。しかし生憎その日、

大型台風が関西を襲って来て、危険だと言うことでキャンセルになった。その時電話で

何度か話をしたのが最後だった。

超久し振りでも、しょっちゅう会っている様に何の抵抗もこだわりもなく普通に喋れる。

世事も難しい話もする。突っ込んだ話も出来る。私にとってはそんな人だった。

いつも守って貰ってる様な、庇ってくれてる様な、そんな気にさせる人だった。叱咤激励も。

懐の広いあったかい人だった。

 

私たちまだ73歳だよ。なんでそんなに早く逝くの?もっと会いたかったよ、もっと話したかったよ。

アホ言うて笑いたかったよ。

通夜に皆で会いに行く。でももう何も言ってくれないんだ。こっちを見てくれることも無いのね。

大事な人がこうも続いて居なくなるなんて・・と凄く恨めしい。

亡くなった姉はもう灰になってしまい姿かたちは無い。友もそこに身体は在っても、もう生身では無い。

何がツラいって、もう会えないことだよ。会いたいよ、こっち向いてよ、喋ってよ。そう思っても

叶わないんだ。

共に過ごした楽しかった懐かしい日々、こっちが生きてる限り忘れないよ。


姉が亡くなった

2025-01-13 12:19:24 | 日記

姉が亡くなった。1月5日に。

前回のブログで姉のお見舞いに行ったと書いた。行ったのは4日のことだった。

面会時間は午後1時~3時の間だけと限られているので、必然と言えば必然だがそこでたまたま

義兄・甥の奥さんと子どもたち・姪の子どもたちに会った。

皆の顔を見回し、何か言いたくて喉から声が出そうで、じっと目を見つめてくれた。

興奮して疲れが出なければいいがと思っていたが、翌5日の朝に姪と甥から続いて連絡有り

血圧上がらない・一気にレベル落ちて来そう・昨日と違ってしんどそう・又連絡するとLINEあり

昨日はしゃぎ過ぎた?落ち着く様祈ってると返信してしばらく、昼前に呼吸が止まったと。

えっ?えっ?訳解らない。”嘘・・・”としか思えない。昨日あんなに元気だったのに・・・。

しばしぼーぜん。

後から思えば、あれは姉の最後のお別れだったのか?力を振り絞って皆に挨拶したの?

訴えるような眼は”ありがとう”を言いたかったのね。解ってるよ、おねーさん。

 

私はその日、翌日仕事初めの日からのいきなりのFATに向けて、四国の事業所に移動の予定だった。

しかし出張行く気がしない。

近頃亡くなる人が増えているそうだ。とても多いと。おまけに年末年始。友引もある。火葬場が

混雑している。結局土曜通夜・日曜告別式と1週間先になった。私は2日遅れで渋々仕事に行った。

そして土曜に帰宅し、その日の夜通夜、そして昨日告別式と参列した。娘たちと一緒に。

バタバタして時間が無い中、アルバムの中から姉の写真をチョイスし、持って行った。甥にも頼まれて

いたし。勿論、娘時代の古い写真だ。結婚してからの家族はそれ以降の姉しか知らない。

しかし私にとっては逆に、娘時代の姉の印象の方がやっぱり強い。

兄は亡くなる前日に私が面会に行くのに一緒に行かなかったことをとても悔やんでいた。

 

姉の人生を思う。

幸せだったよね?おねーさん。スーパーモーレツサラリーマン・トップ営業のお義兄を支え

文句言わずに黙々と専業主婦で子どもたちを立派に育て、孫ちゃんからも『おばーちゃん!』と

泣いてもらえる優しいおばあちゃんだったんだよね。お嫁さんも泣いていたよ。いいお姑さん

だったんだろうと思う。甥が市販のおやつ食べたこと無かった。全て母の手造りだったと言っていた。

お正月は毎年年末から実家に家族で泊まり込んで、姉のおせちで年明けだったみたい。

私と違って先ずは夫・子どもだったんだろうね。主婦の鏡みたいな人だった。口数も少なくおとなしい

人だった。本当は中身はキツかったけど。

そんな姉を、11月中旬に倒れてからのことを思うと、私や兄夫婦は諸々もう少し優しく考えてくれても

良かったんじゃないの?と義兄と姪には思うが、そんなことはココロの中だけ。決して言わない。

甥家族だけが私たちと同じ考えだった。甥は姉に似ている。今後の残された家族の在り方が変わるかも

知れないなとちょっと思う。まあ皆大人だから余計な心配かも知れないが。

 

火葬が終わってお骨拾いをする時は、皆諦めの心境にも似た感じ?泣く訳でも無く黙々とお骨を拾う。

”あっけないな”と私は思った。もう姿かたちは無い。肉体が滅びるだけで魂は輪廻転生なのかもだが、

実際の目の前には姉はもう居ない。無常を感じる。

同じジェネレーションの人が亡くなるのはツラいし寂しい。同じ親から生まれた姉兄が居なくなる

と言うのは、何かが欠けた感じ。私は連れ合いが居ないので余計そう思うのかも。

母の年齢まで生きられなかった姉。元々身体が弱かった姉。よく頑張ったねと言ってあげたい。

遅かれ早かれ皆同じようにそっちに行くからね。でもまあ私はまだまだ行かないつもりだけど。

安らかであるように祈ってるよ。私のおねーさんで居てくれてありがとう♡