この時期はよろしくない。
52年前に結婚した日と、43年前に離婚した日の両方がこの1週間に含まれている。
別に意識している訳ではないが、気分的には良くない。
”円満な離婚” なんてあるのだろうか。そんなの嘘だ。どんなにスムーズに離婚出来たとしても、
その後のあれこれはさまざまな問題を引き起こす。大事なのは”その後”だ。
子どもが居れば尚更のこと。
元夫は2年前に亡くなった。でもそれで終わりではない。思うことは色々あるが今更考えても仕方ない。
いつまで経っても過去は過去にならない。引き摺っていることはある訳で、問題があるたびに憂鬱と
言うより心がかきむしられる気分。
”これしか無い”と自分が思っていても、果たしてそれが正解かどうかなんて判らない。
いや、正解なんて無いのだろう。その時自分が思う、多分”better”でしかない。
どうしてあんな選択を?判断・決断は間違っていなかった?もっと他に方法があったのでは?
そんな思いをこの数十年、何度繰り返してきたことか。苦し紛れに逆恨みもした。
恥ずかしながら酷い時は今も恨めしい。身近なある人が。愛憎取り混ぜた複雑な思い。
今の自分ならやり方は違ったかも知れない。とは思う。しかしそれは今の私だから思えることであって
あくまでタラレバの話であって何の意味もない。過去の自分には届かない。
”時を巻き戻せたら””やり直せたら”何度思ったことだろう。
しかし悔やんでも悔やんでもどうしようもないこと。
”未練はあるが悔いは無い” そんな人生を送りたかったが夢のまた夢だ。
未練たらたら後悔だらけ。そんな人生だ。一生引き摺っていくのだろう。一生開放されることはない
のだろう。それもこれも自分で選んできたのだから仕方ない。
仕事では負ける気がしない強気の私も、こと個人的事情になるとからっきしダメだ。
仕事仲間からしたらびっくりだろうな、こんな私。
仕事の悩みは辞めれば終わる。しかしプライベートの問題は一生だ。何かコトあるたびに落ち込む。
懺悔したい気持ち。私の黒歴史。闇。
大体、考えが浅いのがいけない。いくら言われても治らない。ノーテンキが仇になる。
取り返しのつかない歴史を引き摺り、諦めにも似た気持ちで普通の顔して生きている。
いつも悩んでいる訳ではないけれど。
私に結婚だの親だのは向いてなかったのではないかと考える。大体、覚悟は有ったのか?という話だ。
仕事だけの人生だったら良かったのかも知れない。そしたら誰をも巻き込まず苦しめず
1人悩んで済むことだったかも。
こんな親に生まれて子どもたちにはホント迷惑だったろうな。
謝って済む話ではないけれど、許してもらおうとも思ってないけれど、それでもごめんねと言いたい。