雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

大谷選手の言葉に”あぁ・・これだっ!”とビビっと来た

2024-11-10 14:26:48 | 日記

大谷選手のことは多くの方が賛辞を送っているので今更なのだが、破格外のとても凄い方だと

いうのは、言うまでもない。色んな意味で凄い。野球だけでなく、人としても凄い。

凄いとしか言いようがないが、本当に聖人君子みたいな人だ。

今期は最初に通訳のことでケチが付いた。大谷さんは何も悪くない。でもそんなことは私が記事に

するまでもなく、誰もが思っていたこと。庇いたくて味方をしたくてウズウズしていたが、

チンケな言葉で何を言っても言い尽くせない気がして黙っていた。

で、シーズンが終わればご承知の通りの結果。さすがやる人は違うねと。黙って結果を出す人。

ごちゃごちゃ言う人を黙らせるだけの成績をサラっと残す。

彼の活躍が、多くの日本人を幸せにしていることは間違いないだろう。まあアンチも居るだろうが。

野球の神様に愛されている人。とてつもなく努力をしている人。決して持って生まれた才能だけで

今の大谷選手がある訳ではない。

そして今回、彼はやっぱりただ単に野球のセンスと言うか感覚だけでは無いのだということを

改めて思い知った。

 

金曜日の夜、テレビで大谷選手の特番があったので、音声落として流しながら録画もして仕事していた。

要所要所は気を入れながら聞いていたのだが、私がハマったところ。

大谷選手の言葉。打撃の神髄。一番のポイント。

 ストライクゾーンを振る。同じ位置で同じように構える。動く前の段階が一番大事。

 自分が正しい構えをして正しい動作を行えば、ストライクゾーンに来たボールは自ずとヒットになる。

しかしいくらストライクゾーンに球が来たからと言って、必ずしもヒットになる訳では無い。

ストライクゾーンに来た球のヒット率は大谷さんはメジャーの中でも群を抜いて高いし、ボール玉を

振る割合も極めて低いのだ。

これについて動作分析の専門家は

 これだけのキャリアを積んで来て、段々と無駄を排除して行く・バッティング自体がシンプルになっている。

 今まではボールを凝視していたものが最近はボヤっと見ている。専門的な用語で言えば”周辺視野”と言う。

 メジャーの投手が投げるボールはすごく速くておまけにバッターの直前で変化する。

 それに対して素直に素早く対応する為にはどこかを凝視するのではなく、全体を見ながらわずかな変化に

 対応して行くことが必要になって来る。余計なところに力を入れないで構えて来たボールに素直にバットを出す。

 そう言う境地に至ったのでは?と。

再び大谷選手の言葉。

 『振るべき球を振っている』 

深いねぇ・・・。

大谷選手は自身の構えを動作解析の機械で骨や関節に至るまで確認し、毎日のように正しい構えかどうかを

チェックしている。日々の努力を怠らない。なるべくしてなった結果。ロジックに基づいた分析。

 

要は才能だけじゃない努力だけでもない論理的データも駆使して、ありとあらゆることを総合した結果が

大谷選手と言うことか。常人では考えられないほどのストイックな人生を送っていることだろう。

本人には苦でも何でも無いのかも知れないが。

結婚して美しく控えめで決して出しゃばらない(大谷選手がそんな人選ぶ訳ないけど)聡明そうな

優しそうな良き伴侶を得、可愛いデコピンも交えて、大谷選手の今後益々の活躍と健康と充実と

穏やかな幸せを、親戚のおばちゃんでもないけれど祈ってるわよ。

 

私は、ストライクゾーンに来た球を打つ。そうすれば自ずとヒットになると言う言葉に、

野球だけでは無い全てのことに通ずるのではないかと思った訳。特に営業の仕事にはとても大事なこと。

打率を上げる為には、見極める目も大事だ。無駄なプレーを排除して効率よく成果を得る。

その為には普段の心構えや準備・努力も必要と言うこと。それなくして良い結果は得られない。

そして”周辺視野”というのは、ものごとを大局的に見る俯瞰して見ると言うことにも繋がるのかなと。

大谷さんの様な若くてもさすが超一流の選手は、年配者にも良いお手本になるんだと言うことを

改めてしみじみ有難いことだと、日本のお宝の様な人に思いますことよ。


営業は”センス”よっ!

2024-11-10 12:10:42 | 仕事

又2週間ぶり。

本当はもっと書きたいのに、都度書きたいこと山ほどあるのに。全く時間が無い。

当然、書きたくても書けないことは記憶の彼方に飛んで行って過去のこととなり、

ちゃんと覚えても居ない状況になる。その時の熱でないと、思いのたけは吐露出来ない訳で。

 

何故だか今年は関東方面の仕事が多い。勿論それらは実を結んでいるからいいのだけれど、

出張ばっかりで身体がくたくただ。移動がとにかく長い。それがしんどい。

ふと気が付き、初詣で引いたおみくじを見た(1年間、キッチンの壁に貼っている)。

何と!吉報は”東北の方”と書いてあるでは無いか。栃木・群馬・埼玉・千葉・茨城。

そして福島も何度か行った。ものごとは自分の都合良いように解釈したい私は、それらは

我が家から見ればすべて東北の方。”おみくじも結構当たっているのかもね”と思った次第。

現金な奴だ💧

 

打合せ・現場確認・FAT、そして接待。盛沢山だった。

栃木では現地搬入の前々日にお客様オーナー社長から電話あり『いつから来るの?』と。

私『搬入の前日移動して泊まります』 『ではその前日に食事しようか』

私『メカ・電気の担当らも一緒です』『いいよいいよ一緒で』

で、結局現地工事が始まる前にお客様社長さんから接待を受けて食事をご馳走になった。

食事の時に社内の仲間に社長が仰る。『親から社長を引き継いだ時は、結構会社が苦しかった。

どこも相手にしてくれなかった。そんな時〇〇さんは関東まで来て話を聞いてくれた』と。

もう5年ほど前の、私がまだ今の会社ではぺーぺーの新人だった頃の話だ。

その時は単体機を1台購入いただいた。

今回、業績も改善され新工場建設されるにあたり、全自動機と半自動機の2機種購入いただいたのだ。

『業績が良くなって新工場建てるとなった途端、今まで相手にもしなかった会社が手の平返しみたいに

すり寄って来た』と仰る。私のいつどんな時も変わらないスタンスが良いらしい。

面識があるからと、途中で商社の社長が割り込んで来た時も『〇〇さんから買うんだよ!』と言われてた。

その商社さんはうちの会社では、仕事をよく下さる大事なお客様。私の一存で今回の2台のうち

1台だけその商社さん経由にしてあげた。勿論ENDユーザー様への金額は変わらないので、うちの

取り分が減る勘定だ。しかしそこは恩を売っておこう。損にはならない。うちの社長の了解も貰った。

私の好きにしたら良い。コミッションも任せると。

お陰でその商社さんは、別途ランニングで流れる製品も契約出来た。

商社の社長は最終、そこが狙いだったのだろう。

お客様社長は、その商社の営業マンに『〇〇さんのお陰だよ。社長に言っておいてね』と仰る。

はいはい、その商社の社長は私には誠意を尽くして丁寧に対応して下さってますよ。

食事時に『〇〇さんのはっきりしているところが良い。速いしね。私ファンなんでね』と。

有難い話だ。

又自慢みたいになってしまったが、私は仕事は結構ビジネスライクだし、押したり引いたりの

駆け引きは得意じゃない。いつも直球勝負と言われる。ダメなことはダメ・出来ないことは

出来ないとはっきり言う。言うことを聞いてばっかりでは納期は遅れる・お金は余分に掛かる。

『納期ずらしていただけますか?追加の費用お願い出来ますか?』ちゃんと言うよ。

他の営業はそこ、なかなか言えないらしい。お客様の言いなり・やられっ放し。

なので社内では評判悪い。無理なことを社内の皆に押し付けていることになるのだから当然だ。

良い機械をお納めしてお客様の生産性が上がり儲かって喜んで下さる様に。

我が社も儲けてboth happy が私の信条。誰も泣く人が居ない様にが理想。

お客様にもキツイと言われるけれど、だからと言って私はNG・担当代えて!と言われたことは無い。

ちゃんと心情的なこともカバーはしているつもり。

それは年の功?だけじゃないんだよね。どんな仕事もそうだと思うけれど、いわゆる”センス”と言う

ものが必要。特に営業は、その”センス”というのがとっても重要だと私は思う。

私はたまたま機械メーカーの営業が向いていたのだ。天職とも思える仕事に巡り合えた幸せ。

そしておまけに天も私の味方。とてもラッキーな仕事人生。運が良かったのだと思う。

 

直近の1週間は3泊4日で四国の事業所で、丸2日間、大きな案件の中間立会があった。

接待が2日続きで、2日目は社内の関係者らも混じって皆でワイワイ居酒屋。

皆現地工事が始まれば行く人たち。私がセットしたのじゃないけれど、お客様もイヤではなさそうだった。

楽しそうで良かった。しかし私は超疲れた。さすがに2軒目のカラオケ?パスして先にホテルに戻った。

接待続きよねぇ。

日中は出っ放しなので資料作りは夜しか出来ない。食事の付き合い迄あると、その時間が取れない。

いつするねん!てことだ。

しかし、どんなにしんどくても、上手く行った時の達成感・喜びは何物にも代えがたい。

身体元気で、好きな営業の仕事が出来ると言うことに感謝の日々です。


衆院選ねぇ・・・・

2024-10-28 01:33:00 | 日記

観るつもりはないと思っていながら、結局は音量落としてテレビ点け、選挙速報観ている。

土曜日は京都南座まで、いつもの食事会の友らとお芝居観に行った。友が出ているので。

『あなたが主役?』と言うくらい出番もセリフも多かったわねぇ。カッコよろしいなぁ。

面白かったし楽しかったわよ、ありがとう とLINEすると『ありがとう!役者冥利に尽きます!』

と返事。翌日曜日が千穐楽でヤレヤレでしょう。お疲れ様でした。

観劇の後、皆であの四条大橋のたもとの中華で食事。エレベーターがレトロと言うかクラッシックと

言うか、いいよね。もう今は無くなったけれど、大阪梅田の阪急百貨店のエレベーターが懐かしいわ。

 

で、そこで出たのが政治の話。

『今回みたいに興味?関心?がない選挙も珍しい。滅多にこんなこと無いわ』と誰かが言う。

そうそう、私も同じこと感じてた。投票日いつだっけ?とハタと考える位だった。

自分の中で全く盛り上がってなかった。いつもは期日前投票行くのに今回は忙しいのもあって忘れてた。

で、今日は危うく区役所に行こうとして”違う違う!小学校よっ!”と気が付いた。何でだろう?

私はずっと思っていたのだが、そもそも何で岸田さんが総理大臣?自民党総裁?辞めたのか?

解ってない。

私からしたら途中退場みたいな感じで、気合入って無いなぁ・・・と。

ちょこっとだけ総理大臣して、さっさと辞めてしまうのね。何とかしようとか思わないのね。

意欲の欠片もないのね。そんな感覚だった。もっともっと何期でもとか思わないのかなぁと。

無責任な気もした。まあ大変な重責ではあるのだろうが。でも、そんなこんなも覚悟して政治家に

なっているのではないのかなぁと、岸田さんはやっぱり軽い人だった。

 

で、次に登場したのが石破さん。今しみじみ思うのは、やっぱりビジュアルって大事だよねと

言うこと。美醜のことを言っているのではない。とにかく顔が愛想無さ過ぎ。別に笑って欲しい訳でも

無いけど、なんか変。喋り方も相変わらずだし。もう少しどうにかならないのでしょうか?

食事中に『何で今解散したんだろ?』と聞くと『遅くなるほど分が悪いと考えたんじゃない?』と友。

ふうん、そうなのかなぁ・・。何だか石破さんが総裁なら、選挙いつやっても結果は同じ様な気がする。

結果は散々だわね、自民。自滅したかったのかな。勿論、汚くてズルくて、そのくせエラソーで

ロクに仕事もしない政治家はキライだ。そんな輩はことごとく落ちてるわ。いい傾向だ。

でもだからと言って、どこの政党が良いか?も解らない。消去法かな。

ま、政党ではなく、人に依るのかな、やっぱり。政党でひとくくりにしてはいけないよね。

今の日本の政治見ていると、誰がやっても同じみたいな気がして。若い人なんか興味無いんだろうな。

投票率悪過ぎるし。

 

一体日本はどこに行くのか?政治家は日本をどうしようと思っているのか?政治家になりたいと思う

若い人居るのかな?何十年先までは見れない私は、半ばあきらめにも似た気持ちで選挙速報を見ている。

もう寝よっ。


私より若い人が先に逝く。お疲れ様、よく頑張ったねと言ってあげたい

2024-10-14 00:09:40 | 日記

昨日今日、少しはマシになったかもしれないが、数日はボーっとしながら、そのくせ間違っては

いけないという緊張もありながら、何故だか黙々と仕事していた。おかしな状況だった。

心ここにあらず状態だったのかも。

10日ほど前、前の会社の本社営業Hさんから電話貰って、私が居た大阪営業所々長が重病で、

年内もつかどうか・・という状況だと。は?ちょっちょっちょっと待って!一体何の話?どういうこと?

意味分からない。何で!?電話を受けてから呆然としていた様に思う。入院していると。

夜に大阪営業所のアシスタントのUさんに電話して詳細は聞いた。会社の携帯は電源切っていると。

どうにかして連絡の方法は無いかと頭を悩ませた。オロオロウロウロ状態だった。

がしかし・・・1週間も経たない日に再度Hさんから着信。イヤな予感がしたが”まさかね”と。

しかし電話の内容はその”まさか”だった。”所長亡くなったよ”と。

信じられない。何で?って、そればっかり思ってた。

 

先週状況を知った後から、じっとしてても涙が出て来る。仕事をしながら泣けてくる。

所長は9月に64歳になったばかりだったはずだ。私より9歳年下だったから。

所長とは40年位前からの知り合いだ。最終的には”所長”と呼んでいたが、その前は皆、下の名前で

呼んでいた。オーナー一族だったので同じ苗字が多かったから。

機械メーカーの営業としては彼の方が先輩。私が新人の時は、彼に付いて回ることが多かった。

機械の構造などで解らない時はフリーハンドで3D目線のマンガを描いたりして教えてくれた。

解り易かった。上手だった。器用な人だった。私の言わばコーチャーだった。

頭が良くて先を読むことが出来る人。マンガだけでなく字もキレイ。難しい漢字もよく知っていた。

気は優しくて親切丁寧・・・というか気が小さい(と本人は言ってた)。身体大きいのに小心者?

怒るところも見たこと無く、性格も穏やかな人だった。むかーし、一度だけ怒っているのを見たことが

あり、珍しいな・・・と思ったことがあったが。

営業成績いつも競ってた。2人で営業所の1・2位を争ってた。年間通してコンスタントな仕事の

仕方の私に対し、最初は低空飛行が続き、今年は勝ったかな!と思わせといて最後の最後にドカン!

と決められて負ける。悔しい!そんな思いを何度もした。

 

昔ブログにも書いたこと有ったと思うが、私は前の会社を辞めたくて辞めたのではなく、致し方なく

だった。会社に凶暴で逆ギレするな若い子が居て、誰もが怖くて何も言えない中、私だけが注意をする。

が、ある日身の危険を感じた。営業所内では勿論皆私の肩を持ち、あちらを辞めさせるべきだと言った。

しかし社長は『余程のことが無い限りクビには出来ない』と言った。余程のことって何やねん!と。

あちらが居る限り私は出社出来ない。泣く泣く辞めた、その時存命だった会長は、私を辞めさせては

いけない!と言ってくれたらしいが、社長は聞く耳持たず。逆恨みが怖かったんじゃない?

因みにその私が辞める原因になった子は、私が辞めた半年後、違法に海外の3Dソフトを長期間使用

していたとかで会社に凄い金額の請求が来たことにより悪事が発覚し、会社に損害を与えたと言う理由で

クビになったと。それが社長の言う『余程のこと』なんだろう。私を辞めさせても痛くも痒くもないが

会社に金銭的に損害を与えたらNGと言う訳だ。

 

私が辞めてから募集して何人もの営業が入っては辞めたらしい。続かない。仕方なしにこの6年間、

所長は私の分も合わせ2人分の顧客の対応をして来た。仕事量は倍に増える。

機械メーカーの営業なんてせいぜい1人年間2~3億じゃないのかな。会社の規模や扱っている機械にも

依るだろうが、私ら界隈ではそれ以上は難しい・しんどいと思う。

何とかしようとすれば仕事が雑になり、寝る時間を削らなければ間に合わない。

そんな状況を所長はやって来た。会社は助けてくれなかったということだ。他にも役立たずの

営業は居るには居るが、モノの勘定に入って無いわ。少しでも手伝ってあげようと言う気に

ならなかったのかね。不思議だ。所長1人に営業所皆がぶら下がってたって感じ。

この数年間で何度か会いもしたし食事にも行ったし仕事の話もした。しかし、長い間コンタクト

してなかったなぁ・・・と後悔。最後にひとことで良いから言葉を交わしたかった。

私は私の顧客を押し付けた形になって申し訳なかったと言う気持ちになる。私のせいではないけれど。

私を辞めさせた社長・凶暴逆ギレ設計を採用し、そのくせ何も言えなかった設計部長らに腹が立つ。

反省しているのだろうか。会社に〇〇されたみたいなもんじゃないか。

 

仕事に自分の時間の何%を入れ込んでるかと言う話を、昔彼としたことがあった。

私のことを80~90%だろ?と彼は言う。オレは30%位だよと。えーっと・・90%の人と30%の人の

成績が同じ位ってことですか・・・💧

お金がうなるほどあったら働かないと言う。私には、お金有っても働くだろ?と。

オレはね、南の島の海岸で日がな一日寝そべってたいんだよと。そんなぐーたらな生活がしたい訳と。

私はそんな彼を知っていたから、しんどい・時間が無いと言いながら、最後一生懸命仕事していた

彼を思うと泣けてくる。あーた、ぐーたらなんかじゃないじゃない。真面目じゃない。どーして

もっと不真面目にならなかったのよ!

昔のお客様から電話があった。病院からこれだけは!って電話くれたよと。

最後の検査検査の入院時はもう覚悟していたんだろうな。

私にとっては一番長く一緒に仕事して来た人。言わば同士であり戦友みたいな人。

オレはぐーたらだと言いながら、よく頑張ったねぇ、働いたよねぇ。お疲れさん、ゆっくり休んでと

言ってあげたい。

最近、結構多くの先輩たちを見送って来た。しかし自分より若い人が先に逝くのはやっぱりツラい。

 

私は通夜も告別式も運悪く、福島県へ泊りの出張で行けなかった。何と言うタイミングの悪さだろうと

思ったけれど、もしかしたら来なくていいよと言っているのかなぁ仕事せーよと言っているのかなぁと、

遠い東北の空から思いを送った。

葬儀の時の写真をUさんが送ってくれた。娘さんたちが、ゲームが好きだったお父さんを思い

私はそういうのに疎いのだけれどドラクエのスライムって言うの?アレをお花で作って、札には

『〇〇の あらたな ぼうけんのたびは いま はじまった』と 書かれていた。

そうだよね、若いお父さんだったね。娘さんたちの気持ちだね。胸打つわ。

私はやっぱり悲しくて寂しいよ。どうぞ安らかに・・・。


狭心症の発作起こした💧

2024-10-05 09:18:57 | 日記

又々2週間ぶりくらい。

実は狭心症の発作を起こした。明け方急に胸が刺すように痛くなり喉が苦しくなって、やばい!と。

1年ぶり以上かな?

今回は慌てず結構早い段階でニトロを噴霧。10分15分くらいで痛みが収まった。

過去2度ほど救急車で運ばれている。心臓カテーテル検査もしている。

笑い話じゃないけれど、私は怒りは我慢出来ないけれど痛みは結構ギリギリまで我慢出来る。

お腹が痛くても相当な激痛でも、何の痛みか判らない時は我慢したら収まるかも?一時的なものかも?

と思ってしまう。尿管結石の時も救急車を呼ぶまで1時間以上我慢した。のたうち回りながら

脂汗ながしながら、1人で我慢する。

しかし主治医に『痛みを長時間我慢するな』と言われているので、今回はさっさと処置し大ごとに

ならなくて済んだ。

1週間は怖くて出社しなかった。出来なかった。テレワークで そろそろダラダラ過ごした。

そして1週間くらい経ってから、日々の薬も無くなったので掛かりつけ医に行き、コトの次第を説明した。

先生曰く『何でさっさと電話して来ない?』と怒る。私『お休みの日でしたし、すぐに収まりましたから』

先生『その為にホットラインが有るんだろ!?』『24時間以内なら調べれば判るのに』と。

 

私の主治医は本当に有り難い先生。神様みたいだ。深夜でも休日でも、緊急の場合は電話すると

すぐに電話には出られなくても、どこの誰べえと入れておくと必ずすぐ折り返しが有る。

そして症状によって最適な病院に連絡をして搬送や受け入れ、入院などの手配をして下さる。

今までも随分助かっている有難い存在。

後日行った診察時に言われたのは、狭心症の発作後、収まるのに24時間くらい掛かるんだよということ。

レベルが5段階くらいあって、5が4に4が3に下がるのには夫々数時間掛かるんだと。だから通常の

普通レベル1?だか0だかに戻るまでには1日位は掛かるんだと仰る。だからすぐに検査すれば症状?

状況?の判断が可能と言うことらしい。

まあ流石に今回は、自分でも何となく怖くてすぐに動く気になれず、おとなしくしてましたが・・・。

 

考えてみれば忙し過ぎだ。9月に入ってからは更に激しかった。

4日間連続して関東であちこち移動しての出張し、その翌週も2日続けて別の来客とテストがあり、

週末は名古屋まで出張もあった。そしてその次の週も夜の接待と翌日のFAT。

身体と気の休まる時が無かった。日中に出張・来客・打合せなど接客があると、書類仕事は当然

夜しか出来ない。その夜の作業がもう最近はしんどくて出来ない。知らずのうちに寝てしまう。

そして処理出来ないものが溜まって行く・・・。気ばかり焦る。

今回はちょっと考えた。いくら何でもやっぱり身体が大事と。いくら仕事が好きでももう無理はしない。

第一したくても出来ないわ。

そして一番アカンのはストレスだ。私は言いたいこと言ってるからストレスなんか無いだろうと

よく言われるが、そんなことあるかいっ!私が何も我慢もせずに生きていると!?

私だって最低必要限の我慢はしてるんだよ、これでも。円滑に仕事を回す為に、お客様より

社内に気を遣ってる。若い子は良い。皆親切で協力的だ。テストは手伝ってもらわなければ

1人で出来ないし。

問題は化石のような高齢者と勘違いの上司よ。

今の仕事上のストレスはその2名に限定されている。1名に関しては完無視・完スルー。

話もしない顔も見ない。言葉を交わすのも顔を見るものイヤな位ムカついている。

もう1名に関しては、今関わっている案件が終われば、二度と一緒に仕事はしないと決めている。

それが年明け2月頃まで掛かるので、それが難儀だ。ひっくり返したくないので我慢が続く。

 

『今後、新規のお客様の対応はご容赦下さい。自分の既存のお客様の新規案件は対応します。

社内の会議も出来ればWebで済ましたい』的なことを上に伝えた。

それでも1週間家で過ごしたその翌週、つまりは今週。結局テレワーク出来たのは1日だけだった。

2日続けて4件の来客があり、それが超しんどかった。準備に1日潰れるしね。

そして最近の私は例え昼食であっても、一緒に食事に行くのもしんどいのだ。

嫌いなお客様でなくても、喋るのに疲れるのだ。誰か代わりに相手して欲しい位。

そして日中テストすると、まとめはやはり夜にするしかない訳で、それもしんどい。

そして昨日は1日外出。容赦ない。全く楽にはなって無いよね・・・。

 

自分のことは自分で守るしかない。何が大事で優先されるべきか?

もうこの歳だもの、いつなんどき、どうなるか分からない。先のことなんて判らない。

そんなことをしみじみ考えさせられた、この数日。少しは、いや結構、心境の変化はあったと思う。

残された日々を大事に生きたい。

仕事は辞めればボケるかも?と言う心配もあって続けているが、急に辞めざるを得ないとしても

心残りは無い。仕事人としての自分はもう精一杯やることやって来たと思っているから。

あとはプライベートだよね。居なくなった後、子どもらが困らないようにきちんとやるべきことを

やっておかなければと、そっちの方が心配だ。

早くて1年、長くて2年。後期高齢者になったら仕事は辞めると決心はした。そしてその後の後始末を

きちんとキレイに出来るまで、どうかそれまでは最低生かして欲しいと神様にお願いしよう。

元気で生かして貰ってるだけで有難いと思ってます。