今週(というか昨日までのこと)は月水金土と4日も出社してしまった。勿論行かなければならない
用事があったのだから仕方ないが、往復3時間を週4日はもうしんどい。
昨日は工程会議の後、草むしりまでした。よく働いたこと。
そして今日は今日で、実はクラス会だったんだよね。超楽しかったので、それはそれで別に書こうと思う。
で先ずは、今回の『タイタン』の事故のこと。
ニュースで事故のことを知り最初に思ったのは、”そんなツアーがあるんだ・・・”ってこと。
そして、何で?探索や調査ではなく、”観光ツアー?見学ツアー?”なの?だった。
こういうコトが行われているということ自体、多分今回の事故がなければ知らなかったこと。
3800mの深海。太陽の光なんか到底届かない静寂で漆黒の世界。何も見えない。怖い。
ホント、多くの人が言うように、海の底には宇宙とは又別の怖さってものがある。
宇宙にはある種”希望”みたいなものがあるが、深海にはそれは感じない。
深い深い海の底に戦時の戦艦や戦闘機、それ以外にも民間の事故や様々な事情による機体や船体。
そういったものが海の底には眠っている。遺体も一緒だったことも多かっただろう。
そういう意味では鎮魂の世界だと感じる。
そういうところに興味半分で(見学ツアーなんてその最たるものだろう)見に行くという神経が、私には
解らないが、世の中何でもありなのね。なんでもビジネスにしてしまうのね。
そんなリスキーなことに、それも大枚はたいてと。不安・心配、無いのだろうか?恐ろしくないのだろうか?
一言でいうと、”触らないほうが良い”のでは?と思うのだ。
もう40年以上も前に四国で、戦時中の戦闘機『紫電改』が海から引揚げられたことを知っている人は少ないかも。
太平洋戦争末期の戦闘機紫電改が南予の海に沈んでいる、海底に眠っているとして、引き揚げが試みられたのだが、
水深は40~50m位のものではなかったか?
私はその時の状況をライブというかリアルタイムというか、テレビで観ていたのだが・・・。
引き揚げの状況を各局が取材している中、あろうことか某局のセスナ?が近付き過ぎてバランスを失い、
真っ逆さまに海へ墜落してしまったのだ。操縦士とカメラマンは亡くなった。
何ということ・・・。カメラマンは、子どもたちと同じ幼稚園に通う子のお父さんだったのだ。
なのでその時のことは今でもよく覚えている。忘れたりはしない。
なんだか海の中から呼ばれたと言うか引っ張り込まれたと言うか、そんな気がしたりした。
私が感じだただけかも知れないが。
引き揚げられた紫電改は修復されきれいになって、南予の方に展示されている。子どもたちと見に行ったりもした。
しかし、あれだけ大騒ぎして引き揚げた紫電改だが、実物を見てそれほどの感動も感慨もなかった。
一体何で?あんな犠牲者を出してまで引き揚げたのだろう。何か得るものが有った?零戦に匹敵すると言われた
大日本帝国海軍の優秀な戦闘機を、引き揚げて分析する必要があった?飾りたかった?
海底に眠っていたかったんじゃないの?そんなこと色々考えたりもした。
人生にタラレバは無いけれど、紫電改を引き揚げさえしなければ、◯◯くんのお父さんは亡くならずに
済んだんだろうな・・・と、そんなことを思ったりもした。
静かに放置することは出来ないの?海底に眠っているそれらの怒りは買わないの?
冒険家とは危険と背中合わせ、”観光”なんかではないそうだ。
しかし確率の問題かも知れないけれど、命を投げ出す覚悟がなければ冒険なんかしてはいけないってこと。
今回犠牲になったパキスタン?の富豪の19歳の息子さんは、怖がっていたと何かで読んだ。気の毒に。
”爆縮”という状況が一瞬のことで、彼らが恐怖も痛みも感じず苦しむこともなかったのだとしたら、
まだそれだけが救いだけれど。
日常の生活に追われている一般人には縁のない話ではあるけれど、なんだかなぁ・・と感じる話。
原因究明だとか確認だとか調査だとか必要不可欠の理由以外、触らずそっと静かに眠らせておいてあげてと
思うけれどね。