雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

姉が倒れた

2024-12-07 13:10:50 | 日記

又超久し振りだ。ブログを書く気もしない。興味が失せているのかも。

このところ、何ごとにもあまりやる気が出ない。

今週は珍しく出張も無く、従って出社もせずにひたすら自宅で電話やメール対応・見積などの資料作り。

ただの引きこもりでしかない。でも気乗りしなくても仕事だけはやっている。

何となく精神的にキツイと言う気はするが。

電話の声で元気だとか元気が無いとか、相手にその日の調子を指摘される私って、

つまりは自分勝手でワガママなんだろうな。気を遣わせてるってことだろうから。

 

姉が倒れた。3週間ほど前に。

私には2歳上の兄と、更に2歳上の姉が居る。姪から姉が倒れて救急車で運ばれたと連絡を貰い、

兄夫婦と一緒に病院に行った。

脳梗塞?正しい病名は解らない。不整脈で心臓近くの血栓が脳に飛んで脳血栓起こし、

お風呂からあがって洗面所で倒れたと。既に脳の左半分以上(3分の2と言ったか)が壊死していて、

意識が無い。目も開いてないし喋ることも出来ない。

駆け付けたその日は、熱が出ていて、脳圧で脳が腫れるのを押さえているとか聞いた。1週間様子を見ると。

手術は出来ない?のか解らないが、しないと義兄。

 

不整脈で血栓が脳に飛んで脳血栓。母と同じだ・・・。しかし母は最初はもっと症状は軽かった。

皆が病院に駆け付けた時は話もしたし、やがて早々に退院もした。その後2度ほど同じように発作を起こし、

徐々に進んで行ったのだけれど。

最初は孫の名前などを言い間違えたりはしていたが、まだ普通の生活は出来ていたし外出もしていたと思う。

そのうち入院が長くなってもたまに外泊出来たし、兄宅だけでなく私んちにも泊まって、娘と一緒に世話を

したりもした。

でも姉は、いきなり何も出来ない人になった。

1日に面会は2人まで。それも1人15分までと厳しいが、とにかく自分が行ける日は見舞いに行った。

目も開いてない。しかし身体は無意識に?動く。左の耳は聞こえているはずと姪が言うので耳元で

『おねーさん』『〇〇〇さん』『聞こえる?』と何度も声を掛ける。普通のお喋りもする。

発症時は肺炎も起こしていたが、今は熱も下がり症状は収まっている様子。

手をさすり腕をさすり脚をさする。15分の間ずっと手を繋ぎながら。ちょっと手を離すと無意識にか、

追いかけるような動きをする。身体は温かい。3回目の時には目も開いていたので、視界に入るような

位置で眼を見て話する。返事はないけど。

 

姉とは特に仲が良かった訳でも悪かった訳でも無い。普通の姉妹だ。どちらかと言えば私は

兄夫婦との方が仲が良い。家も近いし会う回数も多い。兄夫婦が好きだし世話にもなってるし。

姉は私とは180度反対のタイプの人だ。口数は少なくおとなしい。おっとりしている。動作もゆっくり。

背が高く細い。

ただの一度も外で働いたことは無い。短大卒業してから、日舞・お茶・お華・お料理・お菓子・和裁・

洋裁と、1週間毎日のようにお稽古事で忙しく、私より余程贅沢でお嬢様だったと思う。

子どもの時から身体が弱く、体育の授業はいつも”見学”の人だった。両親からは、姉に身体的な負担を

掛けることは禁止されていた。一度不注意で痛がらせて、父にボコボコに怒られたことがあった💧

姉は高ビーでもあった。庶民派普通感覚の私には、理解出来ない言動は多々あったが、偏りはあると

感じながらも毅然としている姉の姿は、ある意味カッコよく見えたりもした。

”本物のパリの”ではないけれど、お出掛け時はいつもいわゆる 一品物 誂えものと言う意味の

”オートクチュール”の姉がお洒落して出掛ける後姿を”カッコイイねぇ・・”と惚れ惚れと見とれて

見送ることもあった。

後に私に、野生児みたいで自分の思う通り好きな様に振る舞っている私のことが羨ましかったと

言ったことがあった。ふうん・・・そーなんだ、そんな風に感じてたんだと、素直に吐露する姉を

珍しくも思った。

当然お見合いで結婚すると思っていたのに義兄と恋愛し、親の大反対にあったが結婚した。

一男一女をもうけ孫ちゃんも4人、よく出来た専業主婦として夫唱婦随でやって来た。

私がいつも結構だな有難いなと思うのは、兄弟姉妹が皆同じように経済的にも家庭的にも精神的にも

安定していて、それに依る心配事が無いことだ。

お互いの関係も悪くはない。結構前に一時期、姉夫婦と兄夫婦が一瞬険悪になったことがあったが、

そんな時は私が まあまあ・・と仲裁する。近年は年に一度くらいだが皆で食事に行ったりもしていた。

 

私は姉の人生を思う。考えることがもう出来ていないのかどうかなんて判らないのだけれど、

あの3週間前のあの時点で、姉の思考は停止したのか?何かをしたいだろうに、何か考えたいだろうに

それさえも無理なのか?出来ないことなのか?伝えたい思いはいっぱいあるだろうに。

脳が壊死して戻ることは無いそうだ。今までの様な生活にはもう戻れない・・。

ベタベタするような仲の姉妹では無かったけれど、それでも私の姉だ。高ビーだった姉だ。

今後のことについては、世話をするのは姉の家族、義兄であり子どもたちだ。私が日常的に何かを

してあげれる訳では無いので、口は挟めない。

義兄と姪の意見と、甥とは違うらしい。私が40年以上前に離婚した時、今と時代が違うとはいえ

『離婚する人間は 〇〇〇だ』と差別用語で表現した義兄が、体裁を気にする傾向にある義兄が、

どうするのか?どうか姉にとって望ましい判断をしてくれるようにと、今は祈る気持ちだ。

私は兄弟姉妹の中で多分一番元気だ。両親の良いとこどりを独り占めしているみたいで

申し訳ない気持ちになる。お姉さん、又会いに行くからね。