昨日の続きで書きたいと思っていたことが、今日何と『たかじんのそこまで言って委員会』で議論されていた。
『死刑』のこと。
渡辺真理?と言う人は左の人なのか?田嶋陽子と似たような発言をする。気分悪い。
渡辺真理が言った。『人を殺しちゃいけないと言っている国家が人を殺していいんですか?』と。
これ死刑反対と言う意見でね。おかしなこと言うなと思った。
では、人を殺しちゃいけないと言われているのに人を殺した人は、どうなるの?
やってしまったから国家が法で裁くの?決まりごと破ったんだ。なら同じ様に殺されても良いじゃん。
本当はね、殺された人の身内の人はね、その殺した犯人を自分の手で殺したいと思ってるよ。
みんながみんなそうかどうかは分からないが、少なくとも自分ならそうする。
法に、国に、裁いてもらわなくても結構。
初犯ならせいぜい懲役何年とか無期懲役とかで、いつかは出て来る。死刑にはならない。
それは遺族としては我慢ならない。はず。
人を殺したのなら、本人も死をもって償えばよい。死刑まで待てない。死刑になるかどうかさえ分からない。
人を殺した人を何故殺したいけないんですか?私なら絶対仕返ししに行く。自分の手で殺す。そうでないと気が済まない。
何も自分から仕掛けている訳じゃない。先にやられたんだ。やられたらやり返さなくては。目には目をだ。
私は、冤罪でさえない限り、犯人だと間違いないなら、人を殺した人は『基本』死刑でいいと思う。
『基本』と書いたのは、介護疲れで思わず連れ合いだとか親だとかを手にかけてしまう人もいるだろうし
正当防衛とかで仕方なくとか、諸々除外せざるを得ない事案もあると思うから。
誰の目から見ても凶悪犯罪だと断定出来る件なら、殺した人の数だとか、過去の罪歴だとか、そんなの関係無しに
人を殺したら死刑にすればいい。
だって昨日も書いたように、他人の人生抹殺しているのだ。そんな権利、本人以外誰にも無いのだから。
人を殺したら、自分のこれからも終わりにすればよい。死をもって償えよ。それでこそ本当の償いだ。
人を殺しておいて自分は生きながらえるなんて、全くもってアンフェアだ。卑怯の極みだよ。
『死刑』のこと。
渡辺真理?と言う人は左の人なのか?田嶋陽子と似たような発言をする。気分悪い。
渡辺真理が言った。『人を殺しちゃいけないと言っている国家が人を殺していいんですか?』と。
これ死刑反対と言う意見でね。おかしなこと言うなと思った。
では、人を殺しちゃいけないと言われているのに人を殺した人は、どうなるの?
やってしまったから国家が法で裁くの?決まりごと破ったんだ。なら同じ様に殺されても良いじゃん。
本当はね、殺された人の身内の人はね、その殺した犯人を自分の手で殺したいと思ってるよ。
みんながみんなそうかどうかは分からないが、少なくとも自分ならそうする。
法に、国に、裁いてもらわなくても結構。
初犯ならせいぜい懲役何年とか無期懲役とかで、いつかは出て来る。死刑にはならない。
それは遺族としては我慢ならない。はず。
人を殺したのなら、本人も死をもって償えばよい。死刑まで待てない。死刑になるかどうかさえ分からない。
人を殺した人を何故殺したいけないんですか?私なら絶対仕返ししに行く。自分の手で殺す。そうでないと気が済まない。
何も自分から仕掛けている訳じゃない。先にやられたんだ。やられたらやり返さなくては。目には目をだ。
私は、冤罪でさえない限り、犯人だと間違いないなら、人を殺した人は『基本』死刑でいいと思う。
『基本』と書いたのは、介護疲れで思わず連れ合いだとか親だとかを手にかけてしまう人もいるだろうし
正当防衛とかで仕方なくとか、諸々除外せざるを得ない事案もあると思うから。
誰の目から見ても凶悪犯罪だと断定出来る件なら、殺した人の数だとか、過去の罪歴だとか、そんなの関係無しに
人を殺したら死刑にすればいい。
だって昨日も書いたように、他人の人生抹殺しているのだ。そんな権利、本人以外誰にも無いのだから。
人を殺したら、自分のこれからも終わりにすればよい。死をもって償えよ。それでこそ本当の償いだ。
人を殺しておいて自分は生きながらえるなんて、全くもってアンフェアだ。卑怯の極みだよ。