※ キュプリス
アプロディーテー(古典ギリシャ語:ΑΦΡΟΔΙΤΗ, Ἀφροδίτη, Aphrodītē)をローマ神話ではウェヌス(Venus)、ギリシャ神話では「愛と美の女神」を指します。
サッポーはアプロディーテーをアプロディタ(Ἀφροδιτα, Aphrodita)とも、キュプリス(キュプロスの女神の意)という別名でも呼んでいます。
ロードス(Rhodes)で見つかった、陶製の酒杯の上にアッティカ様式で描かれた白鳥(π. 46-470)に乗っているアフロディーテ、アプロディーテー(ΑΦΡΟΔΙΤΗ, Ἀφροδίτη, Aphrodītē)愛と美と性を司るギリシャ神話の女神で、オリュンポス十二神の一柱。パリスによる三美神の審判で、最高の美神として選ばれ、戦の女神としての側面も持っています。日本語では、アプロディテ、アフロディテ、アフロディーテ、アフロダイティ( Aphrodite)とも表記されます。元来は、古代オリエントや小アジアの豊穣の植物神、植物を司る精霊、地母神であり、生殖と豊穣。すなわち春の女神です。
サッポー(Sappho、BC630年~BC612年-ca.BC570年)は、詩の中で薔薇を「花の女王」と謳っています。サッポーは生前から詩人として著名で、プラトンは彼女を十番目のムーサ(ギリシャ神話で文芸を司る女神たち)と呼んでいます。パピルスに残された記録によれば、サッポーはレスボス島で生まれ、BC596年にシケリア島に亡命し、その後、レスボス島に戻ったということですが、サッポーに関する文献は少なく、その生涯ははっきりしません。
恋愛詩人としてのサッポーは古代ローマ時代にもよく知られ、オウィディウス(プーブリウス オウィディウス ナーソー、 Publius Ovidius Naso, BC43/3/2日 - AD17/または18、帝政ローマ時代最初期の詩人の一人)は抒情詩「愛について」の中で『いまやサッポーの名はあらゆる国々に知られている』(Ars Amatoria, 第28行)と述べています。
しかし、その後、キリスト教が興隆し、独善的な性格を強めてゆくに従い、サッポーの詩は反聖書的であるとされ、キリスト教の力がエジプトにまで及ぶとサッポーの作品の多くが失われることになります。この頃から薔薇の花は邪悪な花、ローマ人のぜいたくな暮らしを象徴する異教の、退廃的な花、教義に反する花であるとの評価がなされます。ギリシャ学問の学校の女性校長であり著名な数学者、新プラトン主義哲学者、無神論者でもあったヒュパティア※( Ὑπατία, Hypatia、ca.350~ca.370- 415/3、東ローマ時代のエジプトで活動 )がキリスト教徒によって裸にされて吊され全身の肉を牡蠣の貝殻でそぎ落とされる虐殺事件が起こります。更に、エジプトのキリスト教司祭により、アレクサンドリア図書館をも破壊し蔵書を焼き払ってしまいます。所蔵されていた大量のギリシャ学問、ヘレニズム学術の成果がすべて消失し、サッポーの詩も失われました。サッポーの一部の詩は、キリスト教徒の迫害を逃れてサーサーン朝ペルシャへ亡命した学者たちにより現在まで残っているのです。
アレクサンドリア図書館 https://talesoftimesforgotten.com/2020/04/04/what-was-really-in-the-library-of-alexandria/
アレクサンドリア図書館はかつて世界最大の図書館でした。エジプトの都市アレクサンドリアの地中海沿岸にある文化の中心地でした。紀元前3世紀初頭、エジプトのプトレマイオス2世の治世中に、父親がムセイオンの神殿を設立した後、設立されたと考えられています(当時は「博物館」と呼ばれていました)。初期の組織はメトリオス ファレレウス ( 前 350-前 280 ) に起因し、ピーク時には40万から70万の羊皮紙の巻物を保管していたと推定されています。
サッポーの考えを彼女の詩から推し量る事は難しいのでヒュパティアの履歴を知ることで、当時の女性の考えを振り返ってみようと思います。彼女が述べた言葉から、『それでも、考えるあなたの権利を保有してください。なぜなら、まったく考えないことよりは誤ったことも考えてさえすれば良いのです・・・・・、真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです。』
これらの言動は、当時のキリスト教徒を激怒させ、キリスト教から見て神に対する冒涜と同一視された思想と学問の象徴とされたのです。
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