アケメネス朝時代(500-330 BCE)に設立されたペルシャ王道は、最終的には19世紀には主要な動脈になります。サマルカンドから直接ローマに薔薇を運んだ王の道は、現代のイラン129号線のペルシャ北部のスーサまで、小アジアの地中海を走っていました。 この道路には、道沿いに郵便局があり、使節がペルシャ帝国にメッセージをすばやく届けるための馬が装備されていました。
下は、5/22に取り上げた地図です
上の地図で示した王の道( Persian Royal Road)はアケメネス朝(BC550~ BC330)にペルシャ帝国の大王ダレイオス1世によって、紀元前5世紀に建造された古代の公道です。王都スーサからサルディスに至る(地図中央の茶色の線で示された)道路で、交通と通信を容易にするために建設しました。道には宿駅が設けられ、守備隊が置かれていました。
スーサからサルディスまでの 2,699 kmを7日間で旅することができ、歴史家ヘロドトスは、「この公道を利用したペルシャの旅行以上に速い旅は、世界のなかでも他にはない」と記しています。
ペルシャ人はこの王の道を整備し、道幅を広げ、メソポタミアを通りインドへ、そしてエジプトへまで通じる道路を作ったのです。(下の図参照)
The Silk Road as Highway
Dru C. Gladneyから、「中央アジアと中国:多国籍化、イスラム化、民族化」オックスフォード大学出版局 441、1999、JohnEsposito
http://users.clas.ufl.edu/mjacobs/WOH3220-04/Basins-Ports-14-January.html
Rosa x damascenaは、古代の西暦前5,000年から、ローズウォーターの生産プロセスについて詳細に書かれ、ローズウォーターを生産するために中央アジアで栽培されてきた唯一の薔薇です。文献には、誰が衛生、健康、宗教儀式でローズウォーターを使用したかが記載されています
https://purehost.bath.ac.uk/ws/portalfiles/portal/187911419/The_Silk_Road_Hybrids.pdf P. 134から引用させていただきました。
[地図18]. 破線で囲ったRosa x damascenaの自生地及び、アムダリヤ川の流域から古代ローマへの移動と方向および日付が地図上にプロットされています。これまでのダマスクローズに関する情報を地図上にプロットしたものです。
- Rosa x damascenaの推定自生地(破線部分)。
- 紀元前の文献等により推定したRosa x damascenaの栽培地およびローズウォーターの生産地と日付(黄色のタッグで示したところ)。
- 紀元後の文献等により推定したRosa x damascenaの栽培地およびローズウォーターの生産地と日付(茶色のタッグで示したところ)。
- 二度咲きのRosa x damascena、ローズウォーターを生産するための薔薇、即ちダマスセナローズを求めた痕跡が示されています。赤い矢印はその進路を示しています。紀元前ca.3000年からAD ca.1300にかけてシルクロードの主要幹線道路であるペルシャ王道のルートに沿って、オクサス渓谷から西へと矢印はローマに向かっています。
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