平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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 9月8日は原水爆禁止誓言の日 (平和は誰もが願う)

2011年09月07日 | Weblog
 原水爆禁止誓言
 戸田城聖先生は1957年9月8日、横浜三ッ沢競技場で原水爆禁止誓言をした。その時代は世界的に科学兵器武力拡大で血眼でもあった。故に、驚いた平和誓言ででもあった。現在は核兵器禁止運動は国際的にもひろまっているが、当時はそれほどでもなかった。戸田城西の先駆的眼力は、未来の人類への平和建設であった。であるから驚きでもある。
 
 その平和建設の一つには、青年の人材育成であった。青年の力を、無限の可能性を知っていた。そして、多くの青年を育てた。その筆頭は池田大作先生であった。池田先生は、のちに、世界に宗教をひろめ、また、世界の大学などと文化、学術等交流され国の理解力など深め平和貢献した。宗教は世界190以上の国に弘教した。また、学術は八王子に創価大学を創立し、アメリカにもSJI創価大学を創立した。

 戸田先生は多くの青年を育てあげた人であるが、平和に関しては敏感であった。それは、戸田先生の過去から来ている。戦争中、平和活動で、軍部からにらまれ監獄に閉じ込められた。そして、牢獄で大変な苦労をしたのだった。今と違って、昔は何もない時代である。国民も我慢をされた時である。故に、牢獄はなおさらであった。罪もなく、平和のために戦い、庶民の幸福のために戦った戸田先生を牢獄であるから軍部もひどいものである。その軍部のひどさは、ある思想家にはバットを用い威したとも。

 時代は軍部の強権、兵隊はスリッパなぐって鍛える。若き人も特攻隊にいかせる。にごりきった時に、戸田は平和活動をやりきった。平和活動には筋金であった。故に、原爆の怖さ、広島、長崎での実証での怖さ。故に、未来の人々のために原水爆禁止誓言をなされた。戸田先生の名言(この地球上から悲惨をなくしたい)この言葉は、今なを多くの人の心を打つ。

                                                 nakamiti
  平和は誰しも願う
 家族と笑う、友と話す、ドライブする人生を楽しむのは当然、しかし、時勢に無関心では、原爆は怖い、一発で多大の生命を奪う。故に、平和に対しては監視は当然である。現在は原発問題もある。外国情勢もある。政治の舵で希望にも、闇にもなる。故に、家族の平和、生活の楽しみのためにも、世の出来事には監視が必要ではないだろうか。平和は誰しも願う故に。
                                              中道 進