あの日の旅 2008年6月
東京の旅
荒川 医術の発祥地
江戸時代には医術研究所があった。
荒川区の千住というと、庶民的な街であるが、江戸時代、芭蕉が奥の細道に旅に出たときの出発地としても有名である。その江戸時代の荒川は農村であった。その当時の絵をみると、ひろひろの畑に鶴が描かれている。そのような場所なので、将軍の鷹狩りの場としても指定されていた。又、大名、旗本屋敷などもあった。そして、
あの日の旅
大工、植木屋などの職人さん、商人、町人もいた庶民の街であった。また、江戸、庶民が楽しむ場が隅田提やひぐらし園であった。庶民が四節の花や虫の声などを聞き遊楽、行楽地としてにぎわっていた。そして、荒川の南千住には、小塚原処刑場があった。ここは、罪人は本より、幕末の活動家も処刑された。処刑された罪人を医学のための研究の解剖する解剖所もここにはあった。近代医学の道を開いた杉田玄白も、ここで最初の解剖を眼にした。また、この地は昭和の戦争では東京大空襲で大被害を受けた。荒川ふるさと文化館にある、その当時の写真を見ると焼けた野原が一面に広がっていた。戦争の残酷を示していた。荒川ふるさと文化館というと、荒川の歴史を写真、模型、ビデオ。実物品で展示されわかりやすく郷を紹介している。日本の歴史も理解できる。荒川に来た時は来館をおすすめしたい。
案内
荒川ふるさと文化館
(写真)
開館時間 9時30分―17時
入場料 100円
休館 月曜日(祝日は翌日9
交通 南千住駅(日比谷線)から徒歩約10分
参考
医学は今も昔も人間にとって大切。誰しも病気はするからである。その源をしるのも良い。荒川といえば、吉田松陰が処刑された地として有名である。ペリー艦隊と渡米で交渉の失敗で殉死された。殉死とは昔は言わなかった。しかし、今は、その松陰の思想の学校もあり、松陰の行動は大多数に讃嘆されている。鎖国だった日本、今は変わったが、しかし、体質は変化したのかな? 言えるは先を見て行動しよう。
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