平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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哲学を勉強する カント哲学

2015年06月22日 | Weblog

哲学を勉強する  カント哲学

カント

重ねての不幸にうちひかれてついに絶望状態に陥り生きるさえ物うくなりはしたものの、自殺しない理性がまだ残しているとする。  (カント・  岩波文庫)

 まさしく人間が絶望的状態に陥る。誰しもあるかもしれないし、将来的にあるかもしれない。僕もこのような状態に陥ったことがあった。

 聞くところによると、生活保護法が改正なった時に自殺者がでたという。生活状態ができていたのが、厳しくなって生活を変えていかねければならないのだからまさしく人によっては絶望的に陥る。

 サラリーマンでも会社のリストラで家庭生活が闇に陥った時はこの状態になる可能性がある。普通の生活でも事故や人間関係で暗闇に陥ることもある。また、いじめ問題もである。故に、万人の課題である。 カントはこの課題を説いたのは、たとえとして別の意味とも考えられるが、僕としては、万人の課題と思うのである。しかし、カントの生命線の的中には驚くばかりである。

 人間の生命は仏典にはどんな財宝よりも尊い。すなわち、お金で買えない尊いものである。ちなみに、仏様の悩みは、人々をどのように救うかの悩みだった。これは、カントにもいえるのではないだろうか。普通は、僕もそうであるが、お金がほしい、良い仕事がほしい、彼女がほしいとかでいっぱいだと思う。人の悩みを救うたいと行動した人といえば、牧口常三郎もそうであった。 しかし、牧口先生は、当時、昭和19年ごろの権力者軍部に拘置された。のちに、殉死された。

 ここでは話はそれてしまったが、元に戻って、絶望に陥った時の対応策として、日ごろの、世の中の動きなどアンテナを張ったり、勉強など良いのではないか。また、スポーツなどの楽しみも良いと思う。カントは毎日同じ道を通ったという。すなわち、日ごろの生活のリズム感が大切ではないだろうか。酒ばばかりの生活、マージヤンばかりの生活では体も持たないだろう。仏法では、煩悩、菩提と説かれる。

 ちなみに、世界的の中国の道徳家、孔子の弟子、顔回は優秀な学問求道者であった。その優れた学びは孔子もびっくりしたほどである。残念ながら貧乏で若くして亡くなった。この人は節約の人でもあった。運命などの問題もある。しかし、長生のために節約などさまさまなしかたがある。また、カントのようなリズム感生活はよいが、僕には、できない。

 カント哲学の素晴らしさに一筆とりました。謹言。 中道