平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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旅   中華街

2020年04月03日 | Weblog

旅         中華街
 3月1日に中華街に行った。日曜日は観光客でいっぱいであるのが、この日は、観光客はまばらであった。ウイルス問題があるようである。ここ、中華街の先の山下町はフットボールの発祥地である。1899年に英国人中心で試合は行われた。のち、慶応大学と外人クラブとの試合もあった。
 昼近くに、中華店に入った。様々なメニューから五目焼きそばを注文した。しばらくすると、五目焼きそばが来た。早速に箸で大きなえびをつまみ口へと、美味しい。なかなか行ける。そして、焼きそば(P4 写真)に箸がいった。うまい、よく焼けている。本場の味だ。そして、うずらの卵、ニンジン、白菜と橋がいった。うまい。そして玉子入りのスープと。
 メニューには、中国のお酒、カクテル、ワイン、日本酒などさまざまにあった。お酒の好きな人には中華料理とお酒は合うので楽しみであろう。
 お酒と言うと、ビールが最初に日本に来たのは横浜であった。ペリー艦隊が」来航した時に伝わった。この時に、中華、機関車、新聞なども伝わった。中華と言うと、仏経が伝来したのが、600年頃、当時は、日本は神の国で人々は神を信仰し生活が成り立っていた。
故に、外国の仏教に拒否反応があった。神派の物部と仏法派の蘇我氏と対立が深くなり戦争となったのである。この戦争は、仏法派が勝利し蘇我氏は政権の実力者となった。そいsて、仏教は全国へと弘教された。のち、仏教派は慢心となり方便教や権教など功徳がない教えが広まった。その教えでは、災難を呼び込め国内も濁ってしまうのであった。のち、伝教大師が出現し国の安全、人々の幸のため活躍し誤った教えを破折し、天下泰平の世を迎えたのだった。
 話は、それたが、中華街の近隣には山下公園、元町、氷川丸、遊覧船など観光地がある。食事と共に楽しみなコースである。

 


no2 青春日記  疫病は退治できる

2020年04月03日 | Weblog

NO2  青春日記

1999年

7月8日

 人間は人によりさまざまな病気がある。見える病気ならよいが、見えない病気はは厄介だ。例えば、不幸病、未来不幸病、金欠病、

贅沢病など医者でも治せない。だが、正法で治せる。医者でも治せなかったアジャセ王ノ病気を釈尊が治した如くである。

7月9日

 医師という立場ではない、皆、その(行動)を見ているのです。(尊敬される姿について) 指針

 

解説 医者や弁護士ら社会的尊敬される立場の人だけでなく、無名のひと、普通のひとでも、その行動は見ているのである。説には、両肩に、報告者がいて、善い行いした時は、肩にいた、天子者が、それを天に報告し、又、悪い行いをしたときは、反対の方にいる天子が天に報告をすると言います。故に、誰も見ていなくても、善い行いを遠慮なくしても損はありません。

 

7月22日

 岩手の同志には(落胆)という二字はない。(勝利)という二字と、(栄光)という二字しかない。 指針

 

解説 人間の心は空より広いと有名な言葉がある。その如く、喜びもあれば悲しみもある。故に、落胆、堕落の言葉で沈んでいては敗北だ、勝利、栄光の気持ちで進もう。心は自由なので心次第で勝利があるのである。

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