だいすき

基本的に自分の好きなものについて綴っていきます。嫌いなものやどうでもいいこと、さらに小説なんかもたまに書きます。

ロイヤルストレートフラッシュ 2

2009年01月15日 01時15分04秒 | オリジナル小説
 擬音をつければ『ヌッ』という音が似合うであろう。
 大きな影が少女に覆いかぶさる。
 確かに少女は少し震えていたが、それは脅えているからではない。たぶん、痛みのせいでもないだろう。
 ほどなくして全てが終わり、影が引いた。
「あ、ありがとうございます」
 同じ高校の一学年下の生徒であることを示したスカーフを首に巻いた少女は、大輔の顔を見上げながら照れたようにそう云った。
 これまで医者以外の男性に、傷の手当てなどしてもらったことなどないのだろう。ましてや、相手はやたら目立つ校内の有名人だ。こうして接することがあるだなんて思っていなかったから、かなり緊張しているのかもしれない。なにも知らない純情な一年生であれば、これをきっかけに気を寄せることがあるかもしれない。
 だが、彼にとってみればこれは当たり前のことだ。
 下校中、自転車で転倒し怪我をした少女の傷の手当てをするなど、彼にとってみれば日常茶飯事だ。
 その為の救急キットも常備している。
 坂間大輔はそういう男だ。。
 身長二百八センチ。体重百二十七キログラム。十七歳の高校二年生であるが、いまだ成長期の過程であるらしく、つい最近計った身長は前に測ったときより一センチ伸びていた。特に部活動に入っているというわけでもないのに筋骨隆々のその体躯は、小山のような、という形容詞が霞むほどの巨体である。
 近づいてくるだけで威圧感がある。と普通であればなるかもしれないが、不思議と大輔にそれはなかった。
 ただそこに立っているだけで、子犬がなついてくるほどの親しみやすさが大輔にはあり、その巨体に目を惹かれた者は、我知らず相好を崩している。
「どういたしまして。危ないから、今日はもう自転車に乗らず、押して帰るように。もし遠ければ、バスなどにしなさい。自転車も一応お店に見てもらうように」
 そして大輔も自分の外見が他人に威圧感を与える可能性があることを理解し、声を荒げることをせず、乱暴な所作を取ることもなく、常に笑顔であるようにしている。
「はい、わかりました」
 少女が頬を朱らめ、目を背ける。
 勘のいい男であればその行為の意味するところに気づいたかもしれないが、大輔はそういったことにやたら疎く、そのまま少女に別れを告げ立ち去った。
 大輔は図書館に向う途中であったのだ。
 昼間は子連れの主婦が集い、夕方には小学生や、中高生の姿も見られる市民公園の脇の図書館は、学区内では二番目に大きく、三年前に改装されたばかりとあって中もとても綺麗だった。
 大輔は月に四度はこの図書館に足を運んでいる。蔵書が多い。静かで居心地が良い。綺麗な女性司書がいる。本をこよなく愛し、また健全な男子高校生でもある大輔にとって、夢のような図書館といえた。
「おい、こっちだ」
 入ってすぐに本を返却し、新たな本を探し出そうと館内をゆっくり見回す大輔の耳に、馴染みのある声が届く。
 見ると貸し出しカウンターから少し離れた六人掛けテーブルを二人で占拠している少年の片方が、大きな身振りで手を振っている。
 羞恥心を小さなため息で現しつつ、足早にそちらに向う。
「恥ずかしいな。図書館で大声出さないでくれよ」
 小声で洩らしながら大輔も席に着く。六人座ってもなお広々とした印象を与えるはずのテーブルが、大輔ひとりが座るだけで、どことなく小さく感じられる。
「お前が遅いからだろ。同じ学校に通い、同じ時間に授業が終わるはずなのに、どうしてお前だけ遅れるんだよ?」
「やめとけ、ヒロ。こいつはそういう奴だ」
 絡む少年に対し、もうひとりが冷めた口調で挟む。
「表では善人面しといて、陰では親友を親友として扱わないような奴なんだ。どうせ今日の遅刻にしたって、困っている他の誰かの手助けをしてたんだろ。幼稚園から付き合いのある親友との約束より、見ず知らずの他人の方が大事なんだ」
 妙に芝居がかった仕種で悲しむふりをする。
「勝手なこと云うな」
 机の上に無造作に置かれた映画情報誌を手に取り、素早く二人の頭を叩く。派手な音が鳴っても良さそうだが、一切音が立たなかったのは神技ともいえる。
「お前等と約束なんかしてないだろ。人の行動パターンを読んで先回りするのはもうやめにしてくれよ」
 大輔が二人とここで会ったのは初めてではない。先月と今月併せて五回になる。学校帰りに寄っているとはいえ、誰にも云ってないのだから、二度目で偶然じゃないと気づいた。しかもこの二人は昔から、こういうことばかりしていた。
 御子薙比呂と葵奈緒斗は古い馴染みだ。家が隣同士なんてこともないのだが、奈緒斗が口にした通り、幼稚園からの腐れ縁が続いている。正確には続かされている。
 幼稚園の頃から大輔は愛想がよく、誰からも好かれる子だった。反面、誰に対しても卒なく接する為、親しくなる友人はほとんどいなかった。大輔も幼心にそれを寂しいなどと考えはしなかったので、本当なら心許せる友達が出来るのはもっと先になっていたはずだ。
 それをさせなかったのが、お互いの家が隣同士という御子薙比呂と葵奈緒斗の二人だ。
 二人が大輔のなにに興味を持ち、どういうつもりで接近してきたかはいまもってわからない。本人達曰く「お前のような面白そうな人間はこの世に二人といないと思った」からだそうだが、どこまで本当かは二人の普段見せているふざけた態度からはわからない。
 わかるのは二人が意図的に大輔から離れようとしないこと。幼稚園で始めて大輔に声を掛けてきたとき以来、ずっと大輔に自分たちから率先して話しかけ続けているということだけだ。
 一時は鬱陶しいなと思った大輔だが、いついかなるときも、自分がどんなことをしたとしても変わらぬ笑顔を向けてくれる二人のことが、段々と好ましく思えてきて、いまではなにをされても本気で怒ることが出来なくなっている。また、他の人達にはあまり見せることのない、気を抜いた素顔を見せることが出来る二人と過ごす時間が、ひとりで読書をするのと同じくらい心地良く感じられるようになっていた。
「なにを云っている。俺達がここに来なければ、困るのはお前の方だろ」
 奈緒斗が意味ありげな笑みを浮かべる。
「別に。困らないよ」
 努めて冷静に大輔は応える。
「そうか? 俺たちの手助けなしで、どうやってあの司書さんにアタックするつもりなんだよ」
 比呂は奈緒斗以上にはっきりと、嬉しそうな笑みで話し掛けてくる。
「ア、アタックってなんだよ。俺はそんなことしにここに来ているわけじゃないぞ」
 頬を朱らめながら応える大輔の反応は、他の誰も見たことのない、十七歳の年頃の高校生に相応しいものだった。
「だ、か、ら、俺達が来てやってるんだろ。眺めているだけで幸せ、なんて云ってたら、いまの世の中ストーカー扱いされちまうぞ」
 身を乗り出して語る比呂に、奈緒斗も被せてくる。
「そうそう。お前はどこからどう見てもこの手の話題には初心そうだし、おまけに底なしのお人好しだからな。初恋の茉莉ちゃんにしたって、俺達が温かく見守っててやったら、お前彼女の恋の手伝いしちゃって、結局三組の長谷川と彼女付き合うことになっちゃったじゃないかよ」
 それは中学二年のときの話だった。誰にも話した事のない。ましてや彼女からの秘密の相談事だったから、自分の気持ちはおろか、相談に乗っていたことすら他人に気づかれないように気を使っていた。それなのに、この二人はどうやってそれを知りえたのだろうか。
「だから、今回はちゃんと面倒見てやるよ。付き合えるかどうかまでは保証しないが、とりあえず後悔のないように告白ぐらいはちゃんと出来るようにしてやるって」
「だからしないって! ここは図書館だぞ。そんなことする場所じゃないだろ」
 頬どころか顔中真っ赤にして大輔が叫ぶ。それでも周囲に迷惑をかけぬように、懸命に声を抑えているから立派だ。隣の大学生と思しき男性がじろりと三人を見たのは、大輔ではなく、比呂と奈緒斗がうるさいが故だ。
「まぁ、そう興奮すんなって。とりあえずいつものように本を借りて来い。その間に、しょうがない。ここ以外でコクる方法を考えといてやる」
 と、これは奈緒斗。
「ここで告白っていうのも、楽しいイベントだと俺は思うけどね」
 比呂の意見は無責任極まりない。
「望んでないぞ。俺はなにひとつ。余計なことしないで、大人しく雑誌読んでてくれ」
 これ以上は相手をしてられない、と大輔は席を立った。大きいながらもスラリとした端整な顔を真っ赤にし、荒々しく歩を進めていく。周りの目が気になったから速やかに本棚の列に身を隠したが、どうやらそれ程気にしなくても良かったようだ。誰とも、なにともぶつからず、まさにつむじ風の如く駆け抜けた大輔の表情など、気にする者などひとりもいやしなかった。
 ――それにしてもあいつ等ときたら、好き勝手なことを。
 火照った顔を冷ます為に手で仰ぎながら、大輔は思う。
 自分は別にあの司書が好きとかそういうことではなく、ただ純粋に本を借りにここに来ているだけなのに。そりゃあ確かに、頻繁に顔を出すことも会って、あの司書とは知り合いにはなったけど、だからといって惚れた腫れたとかそういうのじゃなくてさ。まぁ、会って話すのは楽しいとか思うけどさ。
 誰にというわけでもなく胸の内で言い訳は続く。
 その間も大輔の足は止まらず、気づくと図書館内だというのにやたらと周りが騒がしい。
 理由がわからず、足を止めて周りを見回すと、いつの間にか児童書コーナーの脇に来ていた。
 まだ五時になっておらず、児童書コーナーも閉まっていなかったから、児童がいるのは当たり前なのだが、それにしても騒がしすぎるだろう。
 注意する大人を探すも、保護者らしき人も司書さん達も側にはいないようだ。
 そのうち大声を出すだけでは飽き足らず、走り回る子達も出てきた。
「だって、お前大きな音で腹鳴らしてたじゃないか」
「ふざけんな、腹なんて鳴ってないだろ」
 小学校の、まだ低学年か。元気の良さそうな二人が、本棚やテーブルの間で追いかけっこをしている。
「ウソつけ。オレ聞いたもん。グゥって大きな音鳴らしたじゃんか」
「してないって!」
 これは良くないな、と大輔は児童書コーナーに入って、二人を捕まえる。
「こら。図書館では静かにする。静かに本を読んでいる人の迷惑になるだろ」
 大の大人でさえも見上げる体躯だ。十になるかならないかの子供にしてみれば、巨人に手を掴まれたようなものだ。
「わかった?」
 呆気に取られながら大輔を見上げていた二人が、口をあんぐり開けたまま頷いた。
「よし」
 大輔は笑顔で手を放し、二人を解放してやった。
 二人はその後もしばらくは呆然としていたけれど、大輔はもう構っていなかった。
 それよりも気になることがあった。
 あまりおおっぴろにはしてないが。大輔は敏感な男である。最新のトレンドなんかについてはまるで詳しくないけれども、おかしな気配という奴にはやたらと反応する。
 この時も、児童書コーナーの一角にある本棚の列の間から、馴染みのある気配を感じ取っていた。
 他の誰でも気づかないだろう。いや、多少でも敏感な者なら気づいたか。普通の者なら無意識に避け、ちょっと勘の良い者なら気分の悪さを感じてあえて避ける。さっきの子供達の片方は、きっと勘の良い子なのだ。正確には感。俗に云う霊感という奴に優れているのだろう。だから、もう片方の子が聞かなかったお腹の鳴る音を聞いたのだ。
 いまは大輔もその音を聞いている。普通の人なら近寄ることもないだろう列の間を覗き込み、盛大にお腹を鳴らしている子供を見つめながら。
「君、なにしているの?」
 わかっていたが、あえて訊いてみた。
「……おなかすいた」
 三歳ぐらいに見えるその少女はそう応えた。
 そうなんだろうな、と大輔は納得した。
 少女は床に座り込んで、本を齧っていたからだ。
「それ、美味しい?」
 大きく咲いた夏のひまわりを連想させる。そんな笑顔で大輔は優しく問いかけた。
「……おいしくない」
「じゃあとりあえず、その本置こうか」
 少女は少し躊躇っていたけど、すぐに本を放り投げた。
「おなかすいた」
 今度ははっきりと主張する。
「そうか。お母さんか、お父さんは?」
「……いない。ママはどっかいっちゃった」
 パパはどうしたの? と思ったが聴かなかった。こういう子は特に印象に残っていることしかわからないのだ。生前があまりにも短すぎたから。
「そうか。じゃあ、ママを探しに行こうか?」
「うん!」
 大輔に負けないくらいの笑顔で、少女は大きく頷いた。
 そして、またもお腹が大きく鳴った。
「その前に、腹ごしらえもしようか」
 その小さな手を、少女の顔をすっぽり隠してしまいそうな大きな手で握り、大輔は連れ立って歩き出す。
「おい、どこ行くつもりだよ?」
 友人達の元に戻り、先に帰る旨を伝えると、びっくりした顔で比呂が問いかけてきた。
「いや、お腹減っちゃったから、先帰るよ」
 少女のことは話さない。二人が見えない人間であることは幼い時に気づいたし、そうであるなら説明は面倒だからだ。
「だったら俺達も帰るよ。どっかでラーメンでも食おうぜ」
 奈緒斗の提案も普段であれば悪くないが、今日はそういうわけにもいかない。
「いや、今日は遠慮しとくよ。持ち合わせもないし、家で夕飯が待っているはずだから」
「おいおい、どんだけの自由人だよ?」
 相変わらずの大袈裟なリアクションで、比呂がテーブルの上に上体を投げ出す。
「ねぇ、おなかすいた」
 そんな友人二人に構わず、少女が大輔の手を引っ張る。
「うん、すぐ食べに行こうね」
 小声で応えたのだが、奈緒斗の耳にも届いたようだ。
「おい、誰と喋ってんだ?」
「小さな妖精さん」
 真顔で応えたら、二人の動きが止まった。赤と白のボーダー柄の服を着ている有名な漫画家が描く、シリアス調の顔で固まっているのに少しショックを受けたが、大輔は振り切るようにして図書館を後にした。


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