今日の川柳
孫の顔浮かんで残る庭みかん
まごのかおうかんでのこるにわみかん
鳥に食われるか孫に食われるか・・。
☆
本年は令和何年うら憶え
ほんねんはれいわなんねんうらおぼえ
どうも覚えが悪い。
☆
東京の直下も倣うトルコ地震
とうきょうのちょかもならうとるこじしん
今回のトルコ地震、Mは8に近い7.8。
30年以内に発生する確立が70%といわれる東京直下地震。
仕組み、規模などそっくりさん。
震度は6~7になると予想されている。
耐震性が高い建物が多いとはいえ、古い木造家屋が密集している地域も多い。
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ヨーロッパ青春ドライブ紀行
1972 年7月30日(月)~8月27日(土)
(7)
8月5日(土) ケルン→フランクフルト 走行距離271k
生まれて初めての分厚いベッドで熟睡。気持ちのよい一晩を過ごせた。
午前8時45分、フランクフルト向けホテル発。
フランクフルトへは、
アウトバーンを使わずライン河沿いの一般道を行くことにする。
ドナウ河沿いの道は、ドイツにしては珍しく道は狭く、両岸にある。
鉄道もライン河に沿って敷設されていて、頻繁に走っている。
このフランクフルトに向かう途中のドナウ河沿いには、
ドイツの旧首都ボン、コブレンツなどの名だたる街がある。
出発当初は左岸の道を往ったが、ラインの眺めが右岸の方がよいことに気づき、途中で橋を渡る。
ただライン河を渡る橋は数十kごとにしかないので注意を要する。
このあたりの水量は大変豊かである。水は濁っている。
船の行き来も盛んで、1千トン級の貨物船(タンカー、鉱石船)が多く、重要な輸送水路であることが分かる。
それらの船に混じって、大きな観光船が客をいっぱい乗せて行き来している。
ボンで市内観光。
ボンはかつての首都とはいえ、こじんまりとした静かな街である。
ボンといえばベートーベン。彼の足跡があちこちに残っている。
昼食(例によってパンとハム、果物)をとったキャンプサイトでは、家族連れが思い思いで休んでいる。
その子どもたちと交流(?)した。
記念にと五円玉をあげようとしたが、断られた。
理由もなしにもらうことはいけないと躾けられているのだろうか。
ライン河沿いにはホテルが各所にあり土曜のこともあり賑わっている。
ローレライに立ち寄る。
ライン河が左へ大きく湾曲している小高い丘の頂がローレライ。
3人で上ってみる。
丘の上からの眺めは大変よく、
ラインの悠々たる流れ、行き来する船、両岸にそれぞれ街道と、鉄道。
鉄道は日本の国鉄同様かなりの過密ダイアで頻繁に列車が行き来している。
ローレライは故事にあるようにその美しさに見とれてしまい、河の暗礁にぶつかってしまった箇所。
確かにドナウ河は大きく蛇行してその危うさはあるんだが、予想していたより平凡な風景で早々に引き上げた。
かつてローレライ付近のライン河は、川幅も狭く流れも早く、船乗りにとって難所であったらしい。
今は掘削などして改善されたようだ。
フランクフルトへ向かう
街道の途中には数々の古城が佇んでいる。
そのうちの一つに入ってみた。今はホテルになっている。
かつての主が、こんな眺めのよいところに住んでいたんだと思うと羨ましい。
ライン河を見下ろす城壁には小さな砲台がいくつも置いてある。
この城の建築材は近くの山から調達らしい。粘板岩、スレートを巧みに重ねて城全体を築いている。
ライン河に一時別れを告げて、アウトバーンにてフランクフルに入る。
父上の知人がここにすんでいるというので訪問。
M物産の商社員で高級オーディオ製品を売り込んでいるという。
新しいマンション21階建ての12階に住まわれている。家賃は6.5万円という。
日本からの土産品を渡して、ユースへ行く。
マイン(Mein)川の畔にあるユースは、かなり大きなもので、建物内も人でごったがえしている。
運よく、4人分のベッドが取れる。
再び先ほどの商社員の家を訪問、夕食に日本食をご馳走になった。
なんとのり巻きとアゲ寿司である。
食材はほとんどこの地のスーパーで手に入るとのこと
値段は日本の3倍くらいとのこと。
ユースの門限が午後10時なので、早めにお暇を告げた。
~続く~