明日からはこちら関東地方も雪が降るようなので心配です。
皆様の地域でもお気をつけください。
今日の川柳
返納は八十だったがもう八十
へんのうははちじゅうだったがもうはちじゅう
自動車運転免許、予定は未定とする。
さてどうしたものか。
☆
煮込んでも下仁田の葱凛として
にこんでもしもにたのねぎりんとして
天晴なこと天晴なこと。
スキ焼きのネギはこれに限る。
☆
村人の願い叶わぬおらが村
むらびとのねがいかなわぬおらがむら
そうだったんですか。
どこかの国に似ていますね。
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ヨーロッパ青春ドライブ紀行
1972 年7月30日(月)~8月27日(土)
(8)
8月6日(日) フランクフルト→ハイデルベルグ→フュッセン
(走行距離385K)
今まで宿泊したユースはどこも時間に厳格である。特に門限に厳しい。
このフランクフルトのユースは、
駅に近いこともあtって、大変な数のホステレラーが宿泊している。
ユーレイル利用の利用者には便利なユースである。
ただ連泊するには、清掃など奉仕活動をすることが義務付けられている。
午前9時30分ユースを出て、昨日お世話になった邦人にお礼に行く。記念撮影。
今日の目的地は、ロマンス街道の起点フュッセン。途中、ハイデルベルグに寄る。
運転に慣れてきたせいもあるが、時速120~130走行が可能。
道路状況もよい。車も小排気量(1100cc)ながら、よく走る。
ハイデルベルグ(Heiderberg)着午前11時30分。
河の畔に車を止め、旧市内を散策。日曜のせいもあるが町中観光客で溢れている。
アルトブリュッケ、アルトハイデルベルグ、あのハイデルベルグに今いるんだ!
名前こそ知っていたが実際にその街中を歩いていると思うと興奮する。
ハイデルベルグ城に昇る。
歴史ある階段を数百段上がると、城の前に出る。
城の前面は崩れ落ちているが、貫禄十分な城。
テラスに立って眺めると街が一望できる。
旧市街と新市街の別がよく分かり、城の周囲は古い家並みが城を囲むように続いている。
テラスのすぐ下には、ハイデルベルグ大学の医学部、その右手にブリュッケ。
旧市街の家の屋根は赤レンガ。
全く日本の田舎とは異なる風景が目の前に広がる。
昼食は市内にある有名なレストラン、Roter Ocksen(赤雄牛)でとる。
ビール(他の3人はワイン)、ソーセージ、ジャガイモでお腹一杯。
一人8マルク(800円)。
ハイデルベルグは哲学者、科学者が思考を巡らした街。
それに相応しい中世の面影をあちこちに残す小さな街だ。
さようならハイデルベルグ!
アウトバーン経由で、Memmingen,Fussen,そして今日の宿泊予定のOttobreinenへ。
午後7時、静かで美しい小さな田舎町オットーブロイネンのユース着。
ソーシャルウオーカー数人に引率された小学生の団体が入っている
賑やか。食事後、彼らと片言の英語で交流した。
午後10時30分就寝。
~続く~