あおこのぶろぐ

オペラ、テレビ、日常など、気が向いたときに書いていきます!

キース・ウォーナー原演出 二期会「タンホイザー」その1

2021-02-20 21:32:01 | 日記
二期会「タンホイザー」、初日(2/17)と2日目(2/18)に行きました。

東京文化会館に行ったのは、去年の春祭が中止になったので、考えてみれば一昨年6月の「サロメ」以来。
公園口があんなふうになっていたなんて! びっくりでした。


まず演出。
「トーキョー・リング」が大好きな私にとって、楽しみだったウォーナーの演出。

いくつかトーキョー・リングを彷彿とさせる場面がありました。
映像の使い方や、登場人物がスクリーン・舞台を見ているところとかもそうだし、
ヴェーヌスベルクの場面、ソファーベッドを持って動き回る場面などは、ヴァルハラ、つまりストレッチャーを動かすワルキューレたちを想起させられました。

トーキョー・リングに嫌悪感を抱いた人もおられたようだけど、装置と衣装は結構ぶっ飛んでいても、演出そのものは、台本・ストーリーと音楽に忠実だったと思います。
時代設定こそ、フィルムや電子レンジが出てくるなど現代風だったけど、いわゆる流行りの「読み替え」演出とは違う。
ストーリーの、結構細かいところまで具体化しているというか。

今回の「タンホイザー」もとてもわかりやすく、ある意味台本通りに作られていたと思います。

ラストシーンは「そう来たか!」と思いました。
初日は二人の手があと少しで届きそうなところで終わったけど、2日目はがっちり握って終わった。
握るほうが本来の演出だったのかな。

椅子の使い方は印象的だし、鏡の使い方もうまい。全体的にきれいな舞台でした。
出て来た子供は誰? というのが謎のままだけど、私は深く考えず、ヴェーヌスの母性を示すアイテムと解釈しています。

舞台in舞台が奥のほうにあったため、歌手の方々は大変だっただろうと思うけど、うまく使われていました。

余談ながら、ヴォルフラムが舞台で歌う時、譜面台をどかすシーンがあったのだけど、春祭のラング姐さんを思い出しちゃいました。https://blog.goo.ne.jp/aokohime/e/ab0f66c5ec119041df97e93aba5ffe97

全体的に好きな演出でした。
難点を言えば、ホモキの「フィガロ」と違い、おそろく席によっては死角があり、見えない部分があったと思われることですね(今回私は一階席だったから良かったですが)。

コロナがなくても、ウォーナーは来なかったのかな?
演出補のドロテア・キルシュバウムさんのリモートカーテンコールも良かったです。

舞台上も大いに気に入りましたが、つい目が行っちゃったのは、指揮のセバスティアン・ヴァイグレですね。
アクセル・コーバーを聴けなかったのは残念ですが、読響との安定感もバッチリで音楽面は文句なし!
な上に、長身でいらっしゃるから肩から上がピットから見えており、時々笑顔を見せながら振る様がよく見え、癒やされました。
指揮中はマスクしておられなかったけど、エアロゾルは大丈夫かしら。どうかご安全に!

 

オペラを観られる幸せ 緊急事態宣言下の新国立劇場「フィガロの結婚」

2021-02-12 23:42:14 | 日記
約1年ぶりの新国立劇場の主催公演鑑賞です(2月9日鑑賞)。
アンドレアス・ホモキのこのプロダクションは何度も上演されていますが、私は初めて観ました。
(自分でもびっくり)

これだけ何回も上演されるのは、シンプルなセットで低予算ということもあるのかな?
どの席からも死角がほぼないのはとてもいいと思います。
影の使い方や舞台前方の、いわゆる装置の箱の外の使い方など、「なるほど」と思うところはあり、興味深くはありましたが、これは「上級編の演出」という気がしました。

多くの観客はこのオペラを「何度も」か「何度か」は観ていてストーリーを知っていると思いますが、初心者にはわかりにくいのでは?
装置(セット)が段ボール箱のみで、「隠れてるのか見えているのかわからない」というようなところもあり、ドタバタしているわりに笑えないというか。
(コメディは、「わかっていても笑いたい」タイプなので)

ソーシャルディスタンスの関係で今回変わったところもあるのかも知れませんが。
第一幕のケルビーノが隠れるシーン、伯爵が見つけるところがまず笑いどころだけど、ちょっと無理があったし。

それと字幕。
原語上演なら字幕+演技で笑わせるところは笑わせられるはずなのに、少なかった。

字幕はずいぶんはしょってるなという印象。
それに、プログラムには「初夜権」と書いてあるのに字幕では「領主権」となっている。領主権ってどういう権利か少々わかりにくい。
U-25のお客さんを意識して? など、色々な制限はあるのでしょうが。

私は以前書いたウィーン国立歌劇場の来日公演をテレビで観たのが人生初フィガロだったので、それがベースになっています。
https://blog.goo.ne.jp/aokohime/e/7b0ed672100e71840f09eade619ef280

とてもオーソドックス、古典的と言ってもいい演出でした(ヘルゲ・トマ演出)。
今でも忘れられないのが、第二幕、出てくるのがケルビーノだと思ったのにスザンナが出て来た時の伯爵夫人(ヤノヴィッツ)の、驚きをごまかしたリアクション。面白かった!

考えてみれば当時は劇場での字幕もなかったので(イヤホンガイドみたいのはあったかも知れないけど)、同じ時の来日公演の「セヴィリアの理髪師」にしても、場内から笑いが結構起きていたので、「見せて笑わせ」ていたのはすごことだなと改めて思いました。
歌手の方々も何度となく歌っていて「こなれて」いたのでしょう。

その後邦人による公演は数々観ましたが、私が印象に残っているのは、バス歌手の池田直樹さん演出による公演です。
具体的にどこがどうだったとは言えないのですが、非常に無理のない自然な演出で、歌い手さんならではの視点というか、演じていて感じた不自然な点を解消したのかも、と思った記憶があります。
可能ならもう一度観てみたい。

で、今回の公演ですが、歌手陣は素晴らしかったです。

まず外人男性お二人。
お二人とも背が高い! 脚が長い! スタイル良い!

フィガロのダリオ・ソラーリはトスカのスカルピアで来日しており、急遽連投で登板、とのことでした。
えー、こんなスカルピアならいいじゃん一晩くらいトスカ!
と思ってしまいました♪

伯爵のヴィート・ブリアンテは、イタリア人らしい色気で好色な伯爵にぴったりでした。
日本で歌って下さってありがとう!
どうか帰国されてもお元気で!


日本人のみなさんも良かったです。
スザンナの臼木あいさんは、おきゃんというか少々蓮っ葉にも見えるこのプロダクションのスザンナを好演。
伯爵夫人の大隅智佳子さんは、確か私は、東京オペラプロデュース公演のワーグナーの「妖精」以来かと……。こちらも急遽の出演だったそうですが、声も役に合っていました。
(日本人のブロンドに違和感がなくなってきたのは、ひょっとしてローランドのせい?)

そして一際大きな拍手を浴びていたケルビーノの脇園彩さん。歌だけでなく容姿、演技も文句なく世界レベルですね。
“少年”というより立派な“ドンファン”でした。

バルトロ&マルチェリーナペアも流石。
竹本節子さんは、東京シティフィルやびわ湖のエルダが印象的で、好きな歌い手さんです。
そして妻屋秀和さん。まるで追っかけをしているように、私が観る作品への登場率が高いですが、それだけバスの第一人者ということでしょう。サービス精神も◎。

また、バルバリーナの吉原圭子さんも良かった。そのうちスザンナに昇格しそう。

考えてみれば一年前の「セビリア……」でロジーナを歌った脇園さんがケルビーノ、そして昨年バジリオだった妻屋秀和さんがバルトロ。
感慨深いです。

演奏は東京交響楽団を、こちらも代打・沼尻竜典さんが指揮しました。
日本人率が高くなりましたが、決してレベルは下がっていませんでした。

世界ではまだまだオペラが上演出来ないでいる国も多いようです。
そんな中、オペラを観られる幸せを感じました。

次の「ワルキューレ」もキャスト変更が発表され、残念ではありますが、仕方ないですね。

早く感染拡大が収まって、安心出来る世の中になりますように。 

圧巻! 森谷真理さんの夜の女王 びわ湖ホール 「魔笛」

2021-02-02 23:25:56 | 日記
1月31日、びわ湖ホールの「魔笛」を有料配信で、鑑賞しました。

まず、聞き慣れた鈴木敬介さん訳詞による日本語での上演だったので嬉しかったです。
ちょっと文語調が気になる部分もあり、そこは変えても良かったのでは、とも思いましたが。

「オペラへの招待」という、入門編的上演で、お子さんも多数いらしていたそうなので、訳詞は賛成。
喜劇作品や魔笛のような作品は訳詞で上演して欲しいと常々思っているので。
ドイツ語のほうが飛沫が飛ぶと言うし、そういう意味でも良かったのでは?

中村敬一さんの演出はわかりやすく、入門編として打ってつけでした。

出演者の皆さんは若い方が多く、こうやって若手が実際の舞台で経験を積める劇場があるというのは、本当にいいことだな、と思いました。

皆さん良かったですが、まず、タミーノの山本泰寛さん、見た目のいいテノールは本当にいいですね!
弁者の市川敏雅さん、パパゲーナの熊谷綾乃さんなど印象に残りました。

でも圧巻だったのは、夜の女王の森谷真理さんですね!

6年ぶりの夜の女王とのこと。

私自身、最初に森谷さんを聴いたのは、2015年の二期会公演の夜の女王でした。

が、その時よりグレードアップした感じでした。

夜の女王はコロラトゥーラの割と軽い声の人が演じることが多く、「パミーナの母親に見えない」と思うことも多かったのですが、森谷さんの夜の女王は、迫力がありました。
第一幕のアリアでは母親の苦悩を、第二幕のアリアでは女王の怒りを、まさに体現していて、引き込まれました。

このご時世、観客は声を挙げることが出来ませんが、アリアの後、長くて力強い拍手が続きました。心の「ブラヴォー(ブラーヴァ)」が聞こえるような拍手でした。

サロメの時も思ったけど、なんて言うか、うまいとかテクニックがあるとか以上の、オペラ歌手としての“凄さ”を感じました。

アーカイブ配信もあるので、是非多くの人に観てもらいたいですね。


4月からの延期公演・「サムソンとデリラ」

2021-01-09 22:21:15 | 日記
昨年4月上演予定だった公演の延期公演。
「緊急事態宣言」発令直前の1月6日鑑賞しました。
指揮者は二度変わりましたが、無事上演出来て良かったです。

「サムソンとデリラ」を最初に観たのは1986年のロイヤルオペラの来日公演でした。
エレーナ・オヴラスツォワ目当てで奮発してチケットを買ったのに、来日不可能となり、ブルーナ・バリオーニがデリラを歌いました。ちょっと残念な思い出がです。
サムソンはジョン・ヴィッカーズ。大司祭のジョナサン・サマーズでした。サマーズの声は私の好みの声でした。

有名なアリアやバッカナールだけでなく、大司祭の歌なども耳に残ったし、ラストシーンの光景は目に残っています。

もともと悪役が好き、男くさいのも好き(女声のキャストはメゾのデリラだけ)ということもあり、お気に入りの作品の一つになりました。

とは言え、上演機会があまりない作品ということもあり、その後は生鑑賞機会がなく、数年前にMETライヴビューイングで観たくらいでした。
(ちなみにオブラスツォワは、その二年後、METの来日公演で、コッソットの代役で歌ったアズチェーナを聴くことが出来ました)

簡単に感想を。

なかなか豪華な配役で、聴き応えがありました。
特に、デリラの池田香織さん、サムソンの福井敬さん、老ヘブライ人の妻屋秀和さんが素晴らしかったです!
この時期に渋谷の街を歩くのは、ちょっと怖くもありましたが、行った甲斐はありました。

二人のペリシテ人を歌った若手のお二人(市川浩平さん、高崎翔平さん)にも今後注目したいです。

セミ・ステージということで、特別な扮装は無く、演奏会の延長という感じではありますが、十分楽しめました。
福井さんは鮮やかな青いストールを肩にかけていました。
ストールが髪の毛(怪力の秘密)の役割をするのかなとの予想通り、2幕最後にデリラがストールを奪っていました。3幕ではストールで目隠しをして盲目になったことを表すなど、工夫が見られました。
(でも、妻屋さんは長髪ということもあり、妻屋さんのほうがサムソンっぽく見えてしまった)

合唱団の前に紗幕を張り、そこに映像を投射するという形でうまく情景を表していました。
が、バッカナールの場面、紗幕で特に映像が流れるわけでもないし、やっぱりバレエがないと物足りないなー、と最初は思ったのですが、いえ、見事なダンサーがいました!
代役の代役でオケ(東フィル)を指揮したマキシム・パスカル氏の躍動的なタクトさばき。充分楽しめました。
パスカル氏は終演後、帰国の途につかれたそうです。
どうかお健やかに!

いずれにしても「サムソンとデリラ」、次はフルオペラステージで見たいと思いました。


当時のロイヤルオペラのパンフを見てみましたが、他公演もすごい豪華なメンバーでした。
最近外来オペラには行けていなかったけど、今後しばらくはこういう引越し公演も出来ないんだろうなと思うと寂しいですね。

オペラを取り戻した日 深作健太演出 二期会「フィデリオ」②演出編

2020-09-10 09:33:40 | 日記
続いて演出&アフタートークの感想。

演出は、近代史の授業のような感じでした。
「壁」を描きたかったということと、戦後75年の祝祭公演にしたかったという、深作氏の意図は伝わってきました。アフタートークで、それらにこだわった深作氏の強い思いもわかりました。

いろいろな映像、映し出される言葉には唸りましたが、「ドラマ」として観るとわかりづらくもありました。

アフタートークで、「オペラを初めて観た」という若者に「オペラって何やってもいいんですか」と言われたり、男性(多分年配の)には「文字を読んでいて音楽が入って来なかった」というようなことを言われていました。

私は10代のまだオペラ初心者の時、以前書いたサヴァリッシュ指揮・鈴木敬介演出の「フィデリオ」を観ました。正統的な演出で、今でもあれが「ベース」になっています。
「読み替え演出」は20世紀にはほぼなかったですしね。

ある程度オーソドックスなものを観てこそ、読み替え演出を楽しめると思いますが、「初めて観る」という人も楽しめるわかりやすい読み替えならば良いかなと思います。
今回の演出は、そういう意味ではややハードルが高かったかも?

個人的には「ベルリンの壁」だけをモチーフにしたほうが、わかりやすく面白かったんじゃないかと思いました。
(今年、須賀しのぶさんの小説「革命前夜」を面白く読んだので。オペラは出て来ませんが、音楽と青春と歴史が描かれた秀作だと思います)

アフタートークで、1階席だったら深作氏に訊いてみたいと思ったこと。
序曲(今回はレオノーレ第3番)中に一つのドラマが描かれるわけですが、その時一旦手にした銃をレオノーレは手放します。
第2幕でピツァロと対峙する時に、銃は持たず、体だけで立ちふさがります。
アフタートークで進行役の広瀬大介さんが言及して下さり、質問の必要もなくなったのですが。
その場面が印象的だった、と広瀬さんはおっしゃっていました。
そして「武器を持たせたくなかった」と、深作氏は強く思いを語っていました。
それはよくわかりました。

が、私と、多分多くの観客は、カタリーナ・ワーグナーの「フィデリオ」も観ているのです。
「ピストルがなかったら、やられちゃう!」って思ってしまうのです(苦笑)。
大臣のラッパが鳴った時、ドラクロワの絵画が映し出されましたが、体を張って守るレオノーレの姿に、ピツァロが「自由の女神」を想起させ観念した、と思うことにしています。

このように新しい演出で「フィデリオ」を観て、私はカタリーナの演出、結構好きだったなあとしみじみ思いました。
登場人物の描写(ピツァロがレオノーレを想っていた、とか)が細かかったし、ドラマとして面白かった。賛否はあるでしょうけど。というか否のほうが多い?

でも私の一番のお気に入りは、BSで観た2014年のデボラ・ウォーナー演出、バレンボイム指揮のスカラ座の公演です。
演出もだけど、歌手の歌、ヴィジュアル、演技、全部良かった。特に終幕は、マルツェリーネに寄り添った演出で、好きだったな。

今回の二期会のプロダクションは、ソーシャルディスタンスを取らなければならない中で、様々な工夫がされていました。
ほぼ横並びで、距離を取り、向かい合っては歌わない。合唱団は声だけで登場せず、というように。

特に「どうするんだろう」と思っていたフロレスタンとレオノーレの二重唱。
抱き合いながら歌うことの多い場面ですが、レオノーレはフロレスタンの代わりにFの文字、フロレスタンのF、そして自由(FREIHEIT)を胸に歌い、歌い終わって抱き合う、という形で、極力違和感ない形で動かしていました。
改めて観たら、スカラ座の二人(フォークトとカンペ)も歌っている時は離れてました。

無理矢理感もあった終幕の「戦後75年式典」ですが、ああすることによって違和感なく合唱団を登場させることが出来たと思います。
レオノーレが合図を出し、鎖でなくマスクをはずさせた瞬間の字幕(広瀬大介さん)。
「神様! このような瞬間がまた訪れようとは!」(確かこんな感じ)
思わず、うるっとしました。
オペラに関わるすべての人、ファンも含めたみんなの気持ちだったと思います。

いろいろな見方や意見があると思いますが、歴史と記憶に残る演出だったことは間違いありません。
 


余談ながら、全く同じ時期に中劇場で東京03の「ヤな塩梅」が上演されていて、そちらも見たかったけれど、お笑いはもっぱらテレビ・動画で楽しみます。