Already 三丁目は夕日

徒然なるままの些細なブログ

受容、需要、いろいろあるもので

2015-10-08 08:11:47 | 日記
人は多かれ少なかれ、誰もが避けて は通ることが出来ない災いに遭遇す る。災いを和らげるために金銭的な もので解決出来そうな「保険」とか いうものに手を出したりする。しか し、それは家族を含めた他人が、そ れなりに物質的、金銭的な安心を与 えるためだけである。精神的なもの のフォローに役立つことは僅か。あ くまでも、自分が居なくなったこと が前提。 夫婦という関係を考えて見れば、二 人同時にあの世へ行くってことは、 確立がゼロではないがかなり低い。 十数年前の職場の先輩が話してくれ たことが、今でも頭の奥にこびりつ いている。「人間、保険加入ってい うことは、自分が最初に死んじゃっ て、残されたカミさんとか、子ども のためなんだけれど、自分のカミさ んが先に死んじゃって、残された時 のことなんてカンガエル人はいない んだよね」と。 その先輩の奥さんは、この話をする 数ヵ月前に、結構進行 していた癌の手術をしたらしく、手 術の前の日は二人で泣いて過ごし た、と話してくれた。確かに、自分 がそのような状況にならなければ、 あのような言葉は出ないと思う。そ の奥さんは、無事に手術も成功して 孫に囲まれて暮らしている。 とかく、人間ってヤツは自分勝手で イヤなことがあれば、自分が居なく なればいいっ、てすぐ思ってしま う。だから、セーメーホケンとかと いうものに頼って安心したりする。 しかし、その逆の立場の残されてし まった時のことなんて考えようとも しない。そう、現実を受容して進ま なければいけない、とてつもない、 苦しさ、厳しさなんて、予想出来る はずなんてない。 昨今の有名人が癌で逝去されている ニュースを見て思った秋の夜。