今思えば去年の今頃って、オヤジが最後の晩だったのだよな。
一年後の今頃が忙しくなるなんて、微塵も予想することができなくて、オフクロの認知度低下度合いもこれくらい進むなんて。
オヤジの命日は、午前中にカミさん、娘と面会して「誕生日まではイケる!」と思った。でも、帰宅してから四時間くらいたって、姉貴から「呼吸も危うくなってきたよう。こっちに向かう準備を」と連絡があった。既に夕方なので、いつもの通り一杯飲りながら、晩飯支度していた。
最悪、代行運転も考えたけれど、金額も考えると、カミさんたちの買い物後の帰還を待つしかなかった。
カミさん帰還で、実家へ向かい始めたところで、義兄から入電。
「今、医師が来て死亡確認している」と。
その連絡から一時間半くらいかかって病院に到着。
あの日も暑かった。うちの仏間にはエアコンが無くて焦っていたが、姉貴が家族葬ホールを押さえた。
オヤジは一晩だけ帰宅。あとは家族葬ホールで過ごした。オヤジの亡骸と同乗する気持ちの複雑さときたら、今までに無いものだった。
喪主として過ごさなければならなかった一週間は、とにかく終わらせなければならなくて、喪失感とかに浸る余裕なんてあるはずもない。未だにそんな気持ちにはなっていない。
今でもオフクロは「父さん死んでも、未だに涙が出ねぇ。バガな嫁だと思っているんだべな!」と。そしてオフクロの頭の中は、五体満足だった18年前の姿の記憶しかなくなった。半身不随を看病して外出制限させられて不自由だった17年間の自分は記憶から消し去っている。
目に見えない喪失感が、自分が一番楽しかったくも膜下出血で入院する前の記憶だけをコンクリート詰にして今を生きている。だから、さっきのことは覚えていない、というか余程のことがない限り、覚えない。
自分は、オフクロの頭の中にどんな状態なのか少しづつ理解してきたが、一日に何回も同じことを聞かれたり、自分が生まれる前のことを、さっきのことのように何回も言われたり、さっき話したことをすぐ忘れられたりすると、言葉が荒くなる。怒ってしまってから後悔が重くのし掛かる。
オフクロは未だに「死ぬの早ぇで!」というが、男性の87歳なんて平均寿命より長いんだけれど。
最近は「80歳になったら良いこと何も無ぇな!」を毎日。そりゃ自分達は長生きをする準備期間で何も学んでこなかったんだもの。自分達の両親が無くなった年をクリアした時点で何かを考えなければなかったと思うが、その頃は色々と忙しかったのかも知れない。
でも長生きは考えものだ。最近はいつもそう思う。