ある新聞の読者投稿欄に、戦時中、自分の家で飼っているねこを(毛皮を作るため)供出しなければならなくなったことを書いたものを読んだことがあります。
その時は、本当にそんなことがあったのか・・・という、なんとも暗い気持ちになりました。
この本は、戦争中に犬やねこ(実際にはウサギなども含め)を差し出したときのことを当時の証言や資料を元に、子供向けに書かれたものです。
戦時中はどんな事にも異議申し立てせず、言われたことに喜んで奉仕することが「お国のため」という風潮で、国に対して意見するものは拘留されたり、周囲の人間からも白い目で見られるような時代でした。
そんな中、「犬やねこを供出せよ」との命令があったわけです。
証言の中には、犬やねこを泣く泣く手放した人、その犬やねこを棒で殴って殺して皮を剥ぐ事をさせられた人、命令に背いても自分の犬やねこを守ろうとした人たちの事が書かれています。
どの場面も悲しく心に重くのしかかるような、そんな内容です。
実は私もKindleでこの本を購入したものの、読み始めるまでにかなり勇気が要りました。
でも、読んでみて良かったと思います。
筆者は最後に子供たちに向けてこんな問いを投げかけています。
「犬やねこを殺した人を、ひどい人たちだと思いましたか。わたしは、そうは思いませんでした。また、命令を守らないで犬を隠した人をずるいと思いましたか。私は、そうは思いませんでした。」
戦争は人間を気が狂う一歩手前まで追い詰めるもの。
そしてひとたびそれが始まってしまえば、個人がどうにかできるものではなくなるものでもあります。
戦争はそれが防衛であったとしても、始まってしまえば同じ事。
自衛隊だけが戦争をするわけではないのです。
では二度とこんな悲しいことが繰り返されないようにするためにはどうしたらいいのでしょう。
フランクルの『夜と霧』はユダヤ人収容所での事を書いたものですが、夜と霧もこの本も、追い詰められた時の人間がどのような行動を取ってしまうのかが良くわかるものです。
敗戦を迎えて、年々、戦争を語り継ぐ人が亡くなっていきます。
「戦争は絶対にいやだ」と誰もが思っているはずなのに、どうして戦争が起こってしまうのでしょう。
暖かくて柔らかいこの子たちを、ずっとこのまま大切にしていくにはどうしたらいいのでしょうか。
犬もねこも、鳥やハムスター、ウサギに魚、他にも沢山の動物たちがいます。
そして悲しいかな、これら小さい(でも重い)命は人間の手にかかっているのです。