遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

草枕・那美を巡る人々~#6「卓・民報社勤めと母の死」

2024年05月11日 | 人物
辛亥革命の三尊 左から孫文黄興章炳麟  リンク先はgoo人名辞典or魯迅研究会
民報社時代とその後の卓をもう少し追ってみる
 ベースは 安住恭子著「『草枕』の那美と辛亥革命」+ネット情報他による

上記著書に 中国同盟会や民報社の中国人メンバーと卓の写真が2葉載る
卓は「民報のおばさん」ではなく同志の一員の扱いに見える写真である
・・・女性の革命家メンバーはいなかったのだろうか?

読み進めると 「秋瑾」(しゅうきん)という名が出て来た
彼女の簡潔な紹介~魯迅研究会リンク 
卓は 7歳年下の秋瑾を妹のように可愛がったという
映画「秋瑾 ~競雄女侠~」予告偏(Youtubeリンク)

【中国同盟会~1905/M38年結成~の分裂】
日本への就学生らに熱狂的に支持され1年後に会員が1万人に達する
機関誌「民報」も半年で1万部越え ピーク時には5万部が発行された
この盛況が清国政府を刺激 清国留学生取締り法を日本政府に作らせる

更に 清国は 孫文の追放と「民報」の取締り強化を要請
日本政府は 孫文に旅費を渡して脱出を要請 彼はシンガポールに向かう
その時 「民報社」の維持費を孫文が僅かしか残さなかった
それが遠因となって「同盟会」も孫文派と黄興・章炳麟派に分裂した

民報紙の発行禁止~1908/M41年】
日本政府は 影響力の大きかった「民報」を発行禁止処分にした
”発行所変更の届け出が出されていない” という言いがかり的理由
編集長の章炳麟は裁判に訴えたが敗訴 資金繰りも苦しくなり廃刊となる

【放火・毒茶事件~1908/M41年】
 民報紙の廃刊近い頃 民報社に放火事件が起きる
 深夜 民報社廊下の押入れの襖が燃えたが ボヤで済んだ
 さらに お茶に毒物が混入され 女中と留学生が嘔吐する事件があった
 この頃 清国のスパイが暗躍していたが 犯人は特定できずに終わった

【卓の帰郷と母キヨの死~1908/M41年】
 民報紙発禁や上記事件の頃 卓は熊本に帰郷していた
 母キヨの最後を看取るか 亡くなった後かは明確ではない
 母が亡くなり 卓は前田家の家産をすべて整理した後 東京に戻った

 今日はここまで それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

草枕・那美を巡る人々~#5「卓・東京で働く」

2024年05月10日 | 人物

旅情詩人・川瀬巴水の木版画~本文内容とは関係ありません

1905/M38年 前年 父・案山子を看取った卓は上京する
妹の槌も子供らと少し前に上京 夫・宮崎滔天と共に住む(現・新宿区)
滔天は "アジアの国々が欧米列強の侵略・支配の軛から逃れる為には
もっと強い中国が必要である”と考えていた

そんな時 清王朝打倒を図って失敗 日本に亡命して来た孫文と出会い 
"彼こそ革命中国の中心となる人物である"と滔天は確信する
そして彼を自分の家に匿いながら 犬養毅ら政治家を紹介 孫文たちが
日本を拠点に活動できるよう力添えした

当時 日本には清王朝打倒を目論む中国革命派グループが幾つかあった
孫文の「興中会(こうちゅうかい)」 黄興(おうこう)の「華興会(かこうかい)」
章炳麟(しょうへいりん)の「光復会」(こうふくかい)・・・

この年の夏 これらグループにより「中国同盟会」設立 活動拠点となる
同時に「民報社」も設立され 機関誌「民報」を発行することも決まった
ここに至って ようやく卓の出番がやって来る

参考:「中国同盟会」に関する情報 孫文の革命は東京から始まった 

上京した卓(37歳)は人からの紹介で民報社」に住込で働く(飯田橋駅近く)
編集室の壁には 「平等居」の額が掲げられていたという
とはいっても仕事は編集作業ではなく、ここに集まる同志たちの世話係
女中3人ほどの指揮をしながら 自らも活動家や学生らの世話を焼く
分け隔てなく平等に接し 「民報のおばさん」として誰からも慕われた

編集長?の宋教仁は 黄興の右腕だった人
その彼が 痛む座骨の摩りや膏薬貼り等々 卓への感謝を書き残している
(彼の日誌には 前田氏 と同士仲間と同じ表記の仕方になっているという)
とにかく卓さん 快活で所作も素早く面倒見がよく
「民報のおばさん」として誰からも慕われたようだ

また おばさんとしてではなく 危険な仕事も引き受けている
商人姿で中国への密航を企てる同士を 卓も商人のおかみさんに変装
神戸港まで送り届けたという

中国同盟会で 革命の旗の柄模様が議論ばかりでなかなか決まらない
卓が身に着けたばかりの腰巻を外し "これを使ったらどうです?”
それで旗色と柄が決まったというエピソードもある
・・・とにかく 「草枕」の奈美さんとはだいぶ違う卓おばさん像

今日はここまで 明日またお会いしましょう
[Rosey]

草枕・那美を巡る人々~#4「民権活動・結婚~「草枕」出版まで」

2024年05月09日 | 人物
昨日に続き 安住恭子著「『草枕』の那美と辛亥革命」から我流引用記述

 今日は 前田卓を中心に父・兄妹らも含めた主要トピックを年譜形式で書く
 なお 卓は明治元年生まれ 元号数字で分かるので歳は省略

1880/M13 父・案山子(53)が各地で自由民権活動家の演説会を開催する
1882/M15 小天の案山子別邸で岸田俊子演説会 妹の槌(4歳年下)らも演説
1887/M20 卓が現・玉名市の豪農の長男植田耕太郎に嫁ぐ 案山子の勧め?
植田は案山子らと共に行動した自由民権運動活動家でもあった
1888/M21 卓が植田と離婚し小天へ戻る~理由は不明(植田が不真面目?)

1889/M22 宮崎滔天がイサク・アブラヒムを伴い小天へ 滔天が槌と出会う
 ・・・自由恋愛主義者イサクが二人を煽り縄梯子で槌の部屋に忍び込ませた・・・
1890/M23 第1回衆議院銀選挙実施 案山子が熊本1区から出て当選する  
1891/M24 槌が滔天と結婚 現・荒尾市に新居を構えた 槌20歳 滔天21歳
1893/M26 この頃迄に卓は民権活動家の永塩亥太郎と同棲(東京で)
 案山子は東京にも家(妾宅?)があり卓は幼少時から父と何度も上京していた
1896/M29 永塩と別れる 彼は移民斡旋事業に関わる

1897/M30 暮れから翌正月にかけ 漱石が山川と小天へ 別邸に滞在する
1901/M34 前田家に相続争い勃発 本家は下学・清人が継ぐ
また他の弟妹は隠居した案山子と分家 すでに家産は大きく傾いていた
1904/M37 卓 軍人加藤練太郎と結婚 1年で離婚 原因は加藤の妾問題
案山子没する(77歳)
1905/M38 卓上京する 民報社で働き辛亥革命と関わる 
1906/M39 漱石が「草枕」を発表する

今日はここまで 年譜整理で終ってしまった
3人の男ども 誰も那美さんの男女同権の願いを叶えてくれなかったようだ
実は "野武士"のモデルは誰か・・・探したが 結局 見つからなかった
それより上京後の卓のスパイもどきの働きのほうが面白そう

グールドの32章・・・の続きはいつか改めて・・・
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

草枕・那美を巡る人々~#3「10代の卓(つな)」

2024年05月08日 | 人物
安住恭子著「「草枕」の那美と辛亥革命」を我流摘記しながら話を進める
今日のテーマは【10代の卓】

卓は1868/明治元年生まれ 思春期の頃に自由民権運動が盛んになった
前田家でも父・案山子(かかし)や兄・下学(かがく)らが運動に携わった
案山子は村民の権利や地位や教育向上のため 私財を投じて尽くした

卓は 幼い頃から父に槍術や武芸の手ほどきを受けた
また 学校に通う傍ら 父が開いた私塾「蒙生館」で受けた
活発で奔放 思ったことはすぐ行動する・・・そんな女の子だったという

案山子は民権活動の地域リーダーとして中江兆民らの演説会を度々開催
時には女性向けに女性活動家たちの講演会も行った
 岸田俊子 福田英 清水紫琴(しきん) ~下の写真左から~



当時の女性活動家たちの演題は 男女同権・教育・参政権・夫婦別姓等々・・・
~卓の妹の槌(つち)が演説したのは 1883/明治15年の岸田俊子の演説会
前田家別邸の2階大広間で行われ 500人の村民が参加したという~

そんな環境に身を置いた思春期の卓 「男女同権」の考えを身につけた
「草枕」でも・・・私なら身投げするより2人の男を妾にする・・・と那美さん・・・  
とはいえ 卓は活動家になって演説するタイプの女性ではない

「草枕」で想い出した
名古井の宿で 那美が振り袖姿で2階の廊下を往き来する描写がある
後年の卓が語った言葉 「嫁入りの時以外に振袖を来たことは無い」
ぜひ見てみたかった・・・画工(漱石)の未練?が文字にさせたのだろう・・・  

思春期の卓は 頻繁に訪れる客の応対や食事の世話などに飛び回っていた
そして19歳の時 民権活動家の植田耕太郎と結婚する

今日はここまで 昨日の続きを(今日は埋込ではなくYoutubeにリンク)

それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

草枕・那美を巡る人々~#2「初っ端から道草」

2024年05月07日 | 人物
  昨日紹介した安住恭子著「『草枕』の那美と辛亥革命」を基に話を進める・・・
つもりだったが 色々と余計な道草をしてしまった
そこで今日は道草で見つけたものを紹介することにする

【これならわかる草枕!】
「草枕」本文と以下の資料編が含まれている
  1.作時期 2.書誌情報 3.あらすじ 
4.本文に登場する主な絵画及び那古井の宿 5.熊本の漱石  6.漱石年表 
7.草枕の道コースマップ 

【草枕絵巻】奈良国立博物館サイトにリンク 診たい絵の上でクリック!
馬上の花嫁 服部有恒筆


水の上のオフェーリア 山本丘人筆


【グレン・グールドをめぐる32章】
グールドの死後に作られた自伝的なドキュメンタリー映像
(全部で1~10あるが 今日は3まで)

Part1

Part2

Part

それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]