書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

能因法師

2010-07-01 09:01:51 | Weblog
嵐吹く三室の山の紅葉ばは龍田の川の錦なりけり 

三室の山から流れてきた紅葉が竜田川の一面に散り敷いてまるで錦の織物のようだ

能因法師(988~?)
俗名橘永、父は肥後守橘元。 26歳で出家し摂津国に住む。 奥州・伊予・美作など諸国を旅し各地に足跡を残したが、特に陸奥での「都をば霞とともにたちしかど秋風ぞふく白河の関」は名高かい。
風狂な逸話が多く、この歌も実は日焼けして陸奥への旅を装って作ったとも言われる。
内裏歌合など多くの歌合せに参加し、源道済・藤原公任・大江嘉言・相模達の歌人と交流があった。
自選の歌集、歌学書、の著のほか多くの勅撰集への入集がある。