書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

式子内親王

2010-07-22 08:17:00 | Weblog
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする

私の命よ、絶えるなら絶えてほしいの。このまま生き永らえていると、貴方を思う恋心を胸の内にしまっておくことが出来なくなって、
秘めている思いが世間に知られてしまうのが怖いの。


式子内親王(?~1201)
後白河天皇の第3皇女、母は藤原成子(藤原季成の女)、守覚法親王・亮子内親王(殷富門院)・高倉宮以仁王は同母兄弟。高倉天皇は異母弟にあたる。兄以仁王の挙兵と敗死、甥に当たる安徳天皇の壇ノ浦での投身など、源平の盛衰を目の当たりに見た生涯であり、
父後白河法皇の崩御後は不遇の内に没した。式子内親王は絶唱ともいえる恋歌を多く作っているが、
藤原定家との恋愛説があるくらいで、浮いた風説は無く生涯を独身で過ごした。 
藤原俊成を歌道の師とし新三十六歌仙の1人に数えられ、千載集に9首(女性では第3位)、新古今集には49首(女性では第1位)ほか、
多くの勅撰集への入集があり歌人としては非凡であった。