書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

皇太后宮大夫俊成

2010-07-15 08:44:28 | Weblog
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる 

憂き世から逃れたくて山奥に入ったのだけれど 何か悲しいことが有ったのだろうか こんな山奥でも物悲しげに鹿が鳴いてる

皇太后宮大夫俊成(1114~1204)
藤原俊成。権中納言藤原俊忠の子。当代一の歌人で「千載和歌集」の編者として知られる、最終官位は正三位・皇太后宮大夫。
藤原基俊に師事する。
息子定家をはじめとして、門下に寂蓮、藤原家隆など優秀な歌人を多数輩出した。 門下の一人平忠度とのエピソードも有名である。

さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな  平忠度

平家から源氏への政権の移行の最中、俊成はこの歌を「読み人知らず」として「千載和歌集」に撰歌した。