書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

西行法師

2010-07-17 09:17:50 | Weblog
嘆けとて 月やは物を 思はする かこちがほなる 我が涙かな 

月を眺めていると恋しいあのお方のことがしきりに想い出されて涙が零れ落ちてしまうのです

西行法師(1118~1190)
佐藤義清、藤原秀郷の9代目の子孫、16歳ごろから徳大寺家に仕え、1137年には鳥羽院の北面の武士としても奉仕した記録に残る。23歳で出家。
出家の動機は、親友の急死に逢い無常を感じたという説が主流だが、一方に「源平盛衰記」などに失恋説もある。
失恋の相手は鳥羽院中宮の待賢門院璋子であると言うのが通説である。
歌風は率直質実ながら豊かな情感で寂寥、閑寂の美を表現しいている。 西行をこよなく愛した後鳥羽院は西行の作風を「平俗にして気品高く、閑寂にして艶っぽい」と称している。
当時の歌壇の中心人物であり宗祇・芭蕉にいたるまで、後世に与えた影響はきわめて大きい。