書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

待賢門院堀河

2010-07-12 08:56:17 | Weblog
長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ

何時までも変わらないお心を願っていますが本当のところは貴方のお気持ちを何時まで繋ぎとめて置けるのかわかりません 今朝お別れしたばかりなのにもうそんな物思いに耽るのです

待賢門院堀河(生没年不詳)。
父は神祇伯源顕仲。姉妹に大夫典侍、上西門院兵衛。女房三十六歌仙の一人。
鳥羽天皇の中宮待賢門院藤原璋子に仕えて堀河と呼ばれた。
1142年待賢門院璋子の落飾に従い出家。「摂政左大臣忠通歌合」「西宮歌合」「久安百首」などに出詠している。
西行と交友があり贈答歌も残っている。
待賢門院に心を寄せた西行と交友関係にあったことは頷ける。