書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

二条院讃岐

2010-07-25 08:39:26 | Weblog
我が袖は しほひに見えぬ 沖の石の 人こそしらね かわくまもなし

海の底の石のように誰にも見えないでしょうけれども、私の袖はあの人を思う恋の涙に濡れていて一寸の間も乾かないのです。   

二条院讃岐(1141?~1217?)
源三位頼政の娘。母は源斉頼の娘。同母兄に源仲綱、従姉妹に宜秋門院丹後。
後二条天皇に仕えて讃岐と呼ばれたが、天皇の死後、後鳥羽上皇の中宮宜秋門院に仕えた。
式子内親王と並ぶ平安末期の代表的な女流歌人。
「千載集」他の勅撰和歌集に72首入集。家集に「二条院讃岐集」がある。
清和源氏の流れの中で頼朝、実朝に連なる河内源氏に対し頼政を中心とする摂津源氏には歌人が多い。