すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

時には、弱くなってみるのも・・・

2005-08-10 00:26:34 | ひとりごと

昨日の話。

まだ不安定になることの多い女性利用者との面談中、
彼女は、家族への不満や、
周囲にNOと言えずにつぶれてしまう自分の性格について、
あれやこれやと語っていた。

彼女は、自分が思いのたけをある程度ぶつけると、
私の言葉を待っていた。
普段も援助者や仲間の言葉を必要以上に欲するタイプの人で、
手元には他の人の言葉でぎっしりと埋まったメモ帳が常に置かれていた。

最近どうもふさぎこむことの多い私。
彼女の中に、自分の課題と同類のモノを見つけてしまったのだろう。
ふっと気づくと、何やら雄弁に語っている。

「あなたの場合は、いつも他人を優先するから疲れるんじゃないかな。
まずは、自分を優先させることを学ぼうよ。
我慢して周囲を思っていい子になるのはあなたの美点ではあるけれど、
でも、それで最後にはつぶれてしまうということは、
あなたの心にすごい負担を強いているってことになるんじゃないかな。
本当にしたいことをする、言いたいことを言うってことも時には必要だよ。
そんなあなたを見ても、誰も遠ざかっていかないし、
むしろ、付きあいやすい人だと思ってるくれるかもしれないよ。
まずは、自分の心の声にじっくり耳を傾けてあげることを練習しようね」

その力みよう、ゼッタイいつもの自分と違う、
と私は語りながら感じはじめている。

彼女を勇気付けてづけてるのか、自分を励ましてるのか、
わからなくなっている自分を察して、
しゃべり終わった後には少し恥ずかしくなる。

彼女から意外な反応がある。

「熱く語ってくれてありがとう。ayaseさんも大変なんだね。
いつも私が聞いてもらってばかりだけど、
辛いこととかあったら、ayaseさんも私に話してね」

彼女はそうして、ちょっと晴れ晴れした様子で帰っていった。
ばれていたのだ。
私の異常な雄弁さが、私の不調から来ていることを。
そして、そんな弱った私を、彼女は支えるスタンスに立ち、
自分の悩みを一時的にせよ、隣においてしまっていたのだ。

彼女が帰った後、自分に向けられた哀れみの視線を思い出しながら、
私は心の中で苦笑いした。
そして、ふっと思った。

自分の弱さが、人を強くさせることもあるんだ。
時には、弱くなってみるのもいいものなんだ。