波動という言葉に、いつからか関心があって、最近もちょっとしたマイブームです。武田双雲さんも、波動大好きですよね。
波動本のなかで、ダントツのお気に入りはコレ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/32/fe9dfa221edde5cc7b8187b1cca8c1b5.jpg)
10年くらい前に、よしもとばななさんクレジットに惹かれて購入しました。いろんなメソッドが掲載されているんですが、試したことはないんですよね。
何がいいかって読み物として楽しい。笑えます。虫が良すぎるというか、都合の良すぎる話もないドライ感がいいです。
私的には、波動の仕組みが、スーッと抵抗なく入ってくるのがお気に入りのポイントです。
🔹🔹🔹
波動って、エネルギー、気、オーラとも言い換えれるのかな。どちらにしても、その語感にオカルトチックな響きは拭えず、そうしたこともあってかスピリチャル界では量子力学にも通じるというのが専らの宣伝文句になってますね。
私は難しいことはわかりませんが、波動という目に見えないエネルギーに、意識が作用しているというのは信じています。個人的な実感があります。
でも、流行りの引き寄せもそうですが、波動の仕組みって、決して夢物語ではないんですよね。
読んで確かに気分が上がるときはあります。
でも、波動の法則も引き寄せも、早く結果を出したがったり、すがりつくような心情、自分が抱える問題の解決策を「見えない何か」に強く求める依存的な心性だと、相容れない、というか、効果を期待するのは難しい。その心性そのものが、波動的に良いものを引き寄せる状態を作り出せない、という逆説的なことになってしまいます。
今の波動、引き寄せブームに群がる人の多くは、そんな心性を少なからず抱えているような気がします。
私も、そんな心性を抱えていた頃があるので、この辺のからくり、矛盾、が何となくわかります。
🔹🔹🔹
自分を含めて、そうした現象を俯瞰すると、逆に波動というものがつかめてきます。
波動の法則や引き寄せを意識しないで現実的な選択をしている人の中に、その波動の存在を確かに感じるんですよね。
私は、人から出る波動、現象に作用する波動をこんな風に考えています。
波動=その人の実感の集積
身体、五感を通した経験や、思考や感情から生まれた実感が、何度も何度も繰り返されて一つの揺るぎない場となった状態。それが、波動です。
たとえば、私の好きなテニスの錦織圭選手の波動の質というのもわかります。
彼は、現在世界ランキング6位、その6位という波動を持っています。
100位の選手とは質の異なるトップ選手の波動は、錦織選手が、この場所に来るまでに試合の中で何年もかけて、何度も何度も味わった実感の集積です。
生来の才能や技術力、フィジカル、日々の厳しい練習に加え、試合という本番で経験した生の実感---。ボロ負け、番狂わせの勝利、胃のキリキリするような神経戦、悔し涙、突き上げる歓喜、勇気、駆け引き、イライラ、後悔、自信、負けん気、大舞台の数々、めまぐるしい数の観客、プレッシャー、その膨大な実感の全てが彼から今の一流の波動を漂わせる素材になっている。
まあ、当たり前ですが、そんな実感を受け入れない人が、簡単にトップ選手にはなれないわけです。
私たちの日常においても、同じで。
波動を高める、とか、波動を動かす、とか、はそんなお手軽なものではないですよね。
波動を上げるために感謝をする、とか、セルフイメージを上げる、とか、言葉だけ見てたら何だかすぐにでも結果が出せそうですけど、実際はどうでしょう。
それを行動に移して、実感しつづける、ということがいかに忍耐がいるか、気づき力が試されるか。ベクトルは違っても、実は現実的な努力、自己研鑽と同じプロセスを辿るわけです。
例えば、「自分は素晴らしい」という波動を安定したものにするには、その実感を持ち続ける経験や努力が欠かせない。逆に、経験や努力はしたものの、意識が空疎なものや強い義務感に根ざしたものならば、「自分が素晴らしくない」という実感を強めている場合もあるかもしれません。
やみくもに時間を掛ければいいわけでもないし、努力、忍耐ありき、でもなかったり。
もともと自己肯定感の低い人がそれに取り組もうとするときは、清水の舞台を何度も飛び降りるような覚悟も求められます。
つまり、ローマは一日にして成らず、どころか、めっちゃ、バランス感覚が求められる難易度の高いメソッドです。
いや、「波動や引き寄せはお手軽なメソッドだ」という信念があればいいのだ、とか、「良い気分を選択するだけ」だからシンプルだよ、という意見もあるかもしれませんが、その信念だって、シンプルな習慣だって、安定したものにするには、同じような繰り返しの実感が必要なんですよね。
でも、波動にはロマンがあります。そのロマンって、100匹目の猿現象のように、「人事を尽くして天命を待つ」の天命が、思いもよらないサプライズをもたらしてくれるかもしれない、という点かな、と思うんですよね。
ちなみに、私は、この手の、目に見えないもののロマンを感じる話が大好きなんです。だから、波動にも興味がわくんだろうな。
とはいえ、日々を気づきながら生きる、自分の声を丁寧に聞く、という日常の積み重ねを生きていくあり方があってこその、ロマン。
こんなわけで、波動も、引き寄せ、も、実は派手さとは無縁な世界なんですよね。でも、だからこそ、本当なんだってことも言えるような気がするんです。
波動本のなかで、ダントツのお気に入りはコレ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/32/fe9dfa221edde5cc7b8187b1cca8c1b5.jpg)
10年くらい前に、よしもとばななさんクレジットに惹かれて購入しました。いろんなメソッドが掲載されているんですが、試したことはないんですよね。
何がいいかって読み物として楽しい。笑えます。虫が良すぎるというか、都合の良すぎる話もないドライ感がいいです。
私的には、波動の仕組みが、スーッと抵抗なく入ってくるのがお気に入りのポイントです。
🔹🔹🔹
波動って、エネルギー、気、オーラとも言い換えれるのかな。どちらにしても、その語感にオカルトチックな響きは拭えず、そうしたこともあってかスピリチャル界では量子力学にも通じるというのが専らの宣伝文句になってますね。
私は難しいことはわかりませんが、波動という目に見えないエネルギーに、意識が作用しているというのは信じています。個人的な実感があります。
でも、流行りの引き寄せもそうですが、波動の仕組みって、決して夢物語ではないんですよね。
読んで確かに気分が上がるときはあります。
でも、波動の法則も引き寄せも、早く結果を出したがったり、すがりつくような心情、自分が抱える問題の解決策を「見えない何か」に強く求める依存的な心性だと、相容れない、というか、効果を期待するのは難しい。その心性そのものが、波動的に良いものを引き寄せる状態を作り出せない、という逆説的なことになってしまいます。
今の波動、引き寄せブームに群がる人の多くは、そんな心性を少なからず抱えているような気がします。
私も、そんな心性を抱えていた頃があるので、この辺のからくり、矛盾、が何となくわかります。
🔹🔹🔹
自分を含めて、そうした現象を俯瞰すると、逆に波動というものがつかめてきます。
波動の法則や引き寄せを意識しないで現実的な選択をしている人の中に、その波動の存在を確かに感じるんですよね。
私は、人から出る波動、現象に作用する波動をこんな風に考えています。
波動=その人の実感の集積
身体、五感を通した経験や、思考や感情から生まれた実感が、何度も何度も繰り返されて一つの揺るぎない場となった状態。それが、波動です。
たとえば、私の好きなテニスの錦織圭選手の波動の質というのもわかります。
彼は、現在世界ランキング6位、その6位という波動を持っています。
100位の選手とは質の異なるトップ選手の波動は、錦織選手が、この場所に来るまでに試合の中で何年もかけて、何度も何度も味わった実感の集積です。
生来の才能や技術力、フィジカル、日々の厳しい練習に加え、試合という本番で経験した生の実感---。ボロ負け、番狂わせの勝利、胃のキリキリするような神経戦、悔し涙、突き上げる歓喜、勇気、駆け引き、イライラ、後悔、自信、負けん気、大舞台の数々、めまぐるしい数の観客、プレッシャー、その膨大な実感の全てが彼から今の一流の波動を漂わせる素材になっている。
まあ、当たり前ですが、そんな実感を受け入れない人が、簡単にトップ選手にはなれないわけです。
私たちの日常においても、同じで。
波動を高める、とか、波動を動かす、とか、はそんなお手軽なものではないですよね。
波動を上げるために感謝をする、とか、セルフイメージを上げる、とか、言葉だけ見てたら何だかすぐにでも結果が出せそうですけど、実際はどうでしょう。
それを行動に移して、実感しつづける、ということがいかに忍耐がいるか、気づき力が試されるか。ベクトルは違っても、実は現実的な努力、自己研鑽と同じプロセスを辿るわけです。
例えば、「自分は素晴らしい」という波動を安定したものにするには、その実感を持ち続ける経験や努力が欠かせない。逆に、経験や努力はしたものの、意識が空疎なものや強い義務感に根ざしたものならば、「自分が素晴らしくない」という実感を強めている場合もあるかもしれません。
やみくもに時間を掛ければいいわけでもないし、努力、忍耐ありき、でもなかったり。
もともと自己肯定感の低い人がそれに取り組もうとするときは、清水の舞台を何度も飛び降りるような覚悟も求められます。
つまり、ローマは一日にして成らず、どころか、めっちゃ、バランス感覚が求められる難易度の高いメソッドです。
いや、「波動や引き寄せはお手軽なメソッドだ」という信念があればいいのだ、とか、「良い気分を選択するだけ」だからシンプルだよ、という意見もあるかもしれませんが、その信念だって、シンプルな習慣だって、安定したものにするには、同じような繰り返しの実感が必要なんですよね。
でも、波動にはロマンがあります。そのロマンって、100匹目の猿現象のように、「人事を尽くして天命を待つ」の天命が、思いもよらないサプライズをもたらしてくれるかもしれない、という点かな、と思うんですよね。
ちなみに、私は、この手の、目に見えないもののロマンを感じる話が大好きなんです。だから、波動にも興味がわくんだろうな。
とはいえ、日々を気づきながら生きる、自分の声を丁寧に聞く、という日常の積み重ねを生きていくあり方があってこその、ロマン。
こんなわけで、波動も、引き寄せ、も、実は派手さとは無縁な世界なんですよね。でも、だからこそ、本当なんだってことも言えるような気がするんです。