はい、というわけで今回ご紹介する軍歌も底本は昭和5年『新進軍歌全集』です。例のごとく作詞者・作曲者・メロディは不明。
新日本の歌
朝日の巻
一
朝日かゝ゛やく日の本は
富士の高峯(たかね)に正気(せいき)みち
わかき生命(いのち)の湧き出でゝ
栄光(はえ)の歴史に三千年(みちとせ)の
礎かたき新日本(しんにほん)
二
宏(ひろ)く文化の粋をとり
世界をてらす御鏡(みかがみ)に
国のすがたの崇(たか)きかな
神武不殺(しんぶふさつ)の御剣(みつるぎ)に
正義の力漲(みなぎ)れり
三
今や大道(だいどう)おこるとき
聖(きよ)き御玉(みたま)のたか光(ひか)り
登る朝日のてらすごと
仁慈洽(あまね)くかゝ゛やきて
四海は一に帰せむかな
桃太郎の巻
一
海の国なる日の本は
島また島につらなりて
世界文化の揺籃に
桃か桜か栴檀(せんだん)か
双葉にかほる新日本
二
忠信(まこと)あふるゝ真心の
凝りてゆかしき大和魂(やまとだま)
金鵄の光かゝ゛やける
父祖建国の遺図(いと)をつぎ
崇(たか)き希望(のぞみ)に胸は燃ゆ
三
腰に着けたる吉備団子(きびだんご)
正義に立ちて雄々しくも
世界教化の鹿島だち
四海の民を友として
天地(あめつち)ひらけ道のため
花咲爺の巻
一
桜花(さくらばな)咲く日の本は
竹の園生(そのふ)も民草も
聖(きよ)き努(つとめ)を励みつゝ
萬(よろづ)の国と共栄の
花をば咲かす新日本
二
国に難(なやみ)の来(きた)るとも
忍慈(にんじゅ)の前に力なく
灰燼(はひ)より出づる鳳凰の
瑞気は四方(よも)にたなびきて
わかき生命(いのち)ぞ甦る
三
天の使の舞ひくだり
花咲爺(はなさかぢぢい)はいさみたち
永久(とは)に栄(は)えよと灰まけば
萬(よろづ)の民はことほぎて
花かむばしゝ全世界
浦島太郎の巻
一
恵(めぐみ)ゆたけき日の本は
天(あま)つ日嗣(ひつぎ)の御位(みくらゐ)の
大地(たいち)とともに彊(かぎ)りなし
龍宮城の海ふかく
恩愛ゆかし新日本
二
姫がかたみの玉手筥(たまてばこ)
開けばかはる白髪(はくはつ)に
既往(すぎこしかた)を偲ぶれば
天の岩戸に神々の
舞ひにし跡は今いづこ
三
時のながれの絶間なく
廻りて茲(ここ)に三千年(みちとせ)の
わかき光の浦島が
神にも似たる姿こそ
久遠(くえん)の生命(いのち)新日本
はい、長いですね。それぞれの「巻」は3番まであり、「巻」自体は4つあるのであわせて12番まであることになります。
最初の「朝日の巻」では三種の神器を歌詞の中に盛り込んであり、「桃太郎の巻」以下は若干無理やりな感じもしつつ桃太郎や花咲爺、浦島太郎といった馴染み深い日本の童話をモチーフにしています。
桃太郎については鬼と戦いやっつけるという内容から軍事的な宣伝と相性がよく、明治45年に出版された『新編軍歌集』(剣光外史・編)に「桃太郎の歌」が収録されているほか、大東亜戦争期には国策アニメーション映画として「桃太郎の海鷲」や「桃太郎 海の神兵」といった作品が作られています。そういった意味でこの「新日本の歌」に「桃太郎の巻」が入っていることはそんなに珍しくはないんですが、花咲爺や浦島太郎といった然程「軍国的」とも思えない題材が取り上げられているのは面白いかもしれません。
昭和5年という満洲事変以前の時期に出版された軍歌集に載っているにもかかわらず「四海は一に帰せむかな」だの「萬の国と共栄の」といった、後の東亜新秩序や大東亜共栄圏の思想につながる部分が見られる点もやや興味深いですね。
新日本の歌
朝日の巻
一
朝日かゝ゛やく日の本は
富士の高峯(たかね)に正気(せいき)みち
わかき生命(いのち)の湧き出でゝ
栄光(はえ)の歴史に三千年(みちとせ)の
礎かたき新日本(しんにほん)
二
宏(ひろ)く文化の粋をとり
世界をてらす御鏡(みかがみ)に
国のすがたの崇(たか)きかな
神武不殺(しんぶふさつ)の御剣(みつるぎ)に
正義の力漲(みなぎ)れり
三
今や大道(だいどう)おこるとき
聖(きよ)き御玉(みたま)のたか光(ひか)り
登る朝日のてらすごと
仁慈洽(あまね)くかゝ゛やきて
四海は一に帰せむかな
桃太郎の巻
一
海の国なる日の本は
島また島につらなりて
世界文化の揺籃に
桃か桜か栴檀(せんだん)か
双葉にかほる新日本
二
忠信(まこと)あふるゝ真心の
凝りてゆかしき大和魂(やまとだま)
金鵄の光かゝ゛やける
父祖建国の遺図(いと)をつぎ
崇(たか)き希望(のぞみ)に胸は燃ゆ
三
腰に着けたる吉備団子(きびだんご)
正義に立ちて雄々しくも
世界教化の鹿島だち
四海の民を友として
天地(あめつち)ひらけ道のため
花咲爺の巻
一
桜花(さくらばな)咲く日の本は
竹の園生(そのふ)も民草も
聖(きよ)き努(つとめ)を励みつゝ
萬(よろづ)の国と共栄の
花をば咲かす新日本
二
国に難(なやみ)の来(きた)るとも
忍慈(にんじゅ)の前に力なく
灰燼(はひ)より出づる鳳凰の
瑞気は四方(よも)にたなびきて
わかき生命(いのち)ぞ甦る
三
天の使の舞ひくだり
花咲爺(はなさかぢぢい)はいさみたち
永久(とは)に栄(は)えよと灰まけば
萬(よろづ)の民はことほぎて
花かむばしゝ全世界
浦島太郎の巻
一
恵(めぐみ)ゆたけき日の本は
天(あま)つ日嗣(ひつぎ)の御位(みくらゐ)の
大地(たいち)とともに彊(かぎ)りなし
龍宮城の海ふかく
恩愛ゆかし新日本
二
姫がかたみの玉手筥(たまてばこ)
開けばかはる白髪(はくはつ)に
既往(すぎこしかた)を偲ぶれば
天の岩戸に神々の
舞ひにし跡は今いづこ
三
時のながれの絶間なく
廻りて茲(ここ)に三千年(みちとせ)の
わかき光の浦島が
神にも似たる姿こそ
久遠(くえん)の生命(いのち)新日本
はい、長いですね。それぞれの「巻」は3番まであり、「巻」自体は4つあるのであわせて12番まであることになります。
最初の「朝日の巻」では三種の神器を歌詞の中に盛り込んであり、「桃太郎の巻」以下は若干無理やりな感じもしつつ桃太郎や花咲爺、浦島太郎といった馴染み深い日本の童話をモチーフにしています。
桃太郎については鬼と戦いやっつけるという内容から軍事的な宣伝と相性がよく、明治45年に出版された『新編軍歌集』(剣光外史・編)に「桃太郎の歌」が収録されているほか、大東亜戦争期には国策アニメーション映画として「桃太郎の海鷲」や「桃太郎 海の神兵」といった作品が作られています。そういった意味でこの「新日本の歌」に「桃太郎の巻」が入っていることはそんなに珍しくはないんですが、花咲爺や浦島太郎といった然程「軍国的」とも思えない題材が取り上げられているのは面白いかもしれません。
昭和5年という満洲事変以前の時期に出版された軍歌集に載っているにもかかわらず「四海は一に帰せむかな」だの「萬の国と共栄の」といった、後の東亜新秩序や大東亜共栄圏の思想につながる部分が見られる点もやや興味深いですね。