二〇一五年も明けてはや一月下旬となりましたが、本年も当ブログとTwitterアカウントの方を宜しくお願いいたします。
さて、今回ご紹介するのは、満洲国の文教部が募集して作られた「萬壽節歌」です。これは満洲国の皇帝であった愛新覚羅溥儀の誕生日を祝う歌として、「政府公報」第八百五十七號(1937年2月1日)に掲載された「萬壽奉祝歌徴集公告」(同年1月29日)によって募集がかけられたものです。歌詞は満文で、その内容については
歌詞ハ今上ノ天生聖智ニ在ラセラレ新國ヲ創立シ世ヲ拯
ヒ民ヲ救ヒ仁ニ親ミ鄰ニ善クシ和平ヲ維持セラレ三千萬
人民ガ同ジク萬壽無疆ヲ慶祝スルノ意トス
という注文が付けられています。締切は同年2月20日で、文教部禮教司社会教育科が受け付けるものとされました。また当選作には一等(一人)で百円、二等(二人)には五十円の賞金が出されるともされています。
当選作の発表は当初、萬壽節の当日である2月23日に行われるとされていましたが、実際に発表が行われたのは3月2日のことでした。同年3月5日付の『大阪朝日満洲版』では、この募集には140篇の歌が応募され、煕洽・宮内府大臣や阮振鐸・文教部大臣など8名が審査委員として選出に当たったとされています。一等に当選したのは豊寧縣の縣長であった王冷佛の作品で、二等は新京地方法院後胡同門牌六號に住む閻光天の作品でした。今回は『大阪朝日満洲版』に掲載された、王冷佛の「萬壽節歌」をご紹介します。
萬壽節歌
作詞 王冷佛
楠公父子(「青葉繁れる櫻井の」)の曲譜
雲霞燦爛 上元春 亞東氣象新
皇恩雨露 深山川 草木皆欣欣
國民思想 如満月 皓々無眩缺
一徳一心 日満提携 萬年無渝越
恭逢萬壽 節五大 民族齊歡悦
祝賀國基 祝賀帝位 萬歳萬々歳
「一徳一心」や「日満提携」などの文言が入っているのは、この種の満洲国の歌ではいつもの事ですね。
面白いのは、作者の王冷佛自身がこの歌について「日本唱歌…の曲譜を採りたいとの希望」をしていることです。軍歌や唱歌を作る際に他の歌のメロディーを流用することはよくあることですが、皇帝陛下の誕生日をお祝いする歌でもそれをやるか、と。もっともこれは作者の希望というだけですので、実際に歌われた際には別の曲譜が使われた可能性もあります。
因みに、この歌が発表された翌年の1938年9月15日には、民政部によってこれとは別に「萬壽節」という名の学校式日唱歌が作られています。
さて、今回ご紹介するのは、満洲国の文教部が募集して作られた「萬壽節歌」です。これは満洲国の皇帝であった愛新覚羅溥儀の誕生日を祝う歌として、「政府公報」第八百五十七號(1937年2月1日)に掲載された「萬壽奉祝歌徴集公告」(同年1月29日)によって募集がかけられたものです。歌詞は満文で、その内容については
歌詞ハ今上ノ天生聖智ニ在ラセラレ新國ヲ創立シ世ヲ拯
ヒ民ヲ救ヒ仁ニ親ミ鄰ニ善クシ和平ヲ維持セラレ三千萬
人民ガ同ジク萬壽無疆ヲ慶祝スルノ意トス
という注文が付けられています。締切は同年2月20日で、文教部禮教司社会教育科が受け付けるものとされました。また当選作には一等(一人)で百円、二等(二人)には五十円の賞金が出されるともされています。
当選作の発表は当初、萬壽節の当日である2月23日に行われるとされていましたが、実際に発表が行われたのは3月2日のことでした。同年3月5日付の『大阪朝日満洲版』では、この募集には140篇の歌が応募され、煕洽・宮内府大臣や阮振鐸・文教部大臣など8名が審査委員として選出に当たったとされています。一等に当選したのは豊寧縣の縣長であった王冷佛の作品で、二等は新京地方法院後胡同門牌六號に住む閻光天の作品でした。今回は『大阪朝日満洲版』に掲載された、王冷佛の「萬壽節歌」をご紹介します。
萬壽節歌
作詞 王冷佛
楠公父子(「青葉繁れる櫻井の」)の曲譜
雲霞燦爛 上元春 亞東氣象新
皇恩雨露 深山川 草木皆欣欣
國民思想 如満月 皓々無眩缺
一徳一心 日満提携 萬年無渝越
恭逢萬壽 節五大 民族齊歡悦
祝賀國基 祝賀帝位 萬歳萬々歳
「一徳一心」や「日満提携」などの文言が入っているのは、この種の満洲国の歌ではいつもの事ですね。
面白いのは、作者の王冷佛自身がこの歌について「日本唱歌…の曲譜を採りたいとの希望」をしていることです。軍歌や唱歌を作る際に他の歌のメロディーを流用することはよくあることですが、皇帝陛下の誕生日をお祝いする歌でもそれをやるか、と。もっともこれは作者の希望というだけですので、実際に歌われた際には別の曲譜が使われた可能性もあります。
因みに、この歌が発表された翌年の1938年9月15日には、民政部によってこれとは別に「萬壽節」という名の学校式日唱歌が作られています。