自分を含めて、ありとあらゆる全ての物、万物は超高速で変化し続けている。物質は全て同じ速さ(光速)で変化している(心の変化はさらに速い)。そして、決して止まることはない。人間が灰になっても、灰になった物質は次の物質へと変化し続ける。止まらない。エネルギー(心)は無くならない。すべては変化(超高速で生→滅→生→滅の連続)するだけ。事実であって、それを感傷的に捉えようが明るく捉えようが関係ない。
(何だかすごい…けど事実なんだな。2600年前に一人で観察して発見したお釈迦様ってすごい…)
>世間では、変化、無常を、主観的、感情的に、自分勝手に評価しています。
>あまりにも身勝手なのです。好きなところで、好きなものを、勝手気ままに観察しているだけです。それにもかかわらず全体を語るのです。
>観察能力が乏しくて、無常の一部だけを好きなようにハイライトしているのです。
>どうにも能力が低くて、無常、変化に気づくのが遅すぎます。子供の成長にも、会社の経済状態にも、世界の変動にもきちんと気づきません。無常に気づいたときには、すでに危機的な状態になってしまっているのです。
世間の無常は、変化に対する主観、感情でしかありません。役に立ちません。お釈迦様の言う「無常」を理解し、ありのままに見る能力を高め、ちゃんと焦点を合わせてしっかり観察する。
そして手遅れにならないうちに、手を打つべきです。
(青い字は「無常の見方」より)
大事なのは観察能力が乏しいことを自覚して能力を高める努力をすること。
何もかも変わっている。自分も変わっている。同じスピードで絶え間なく変化していくものだという事実に気づくことです。
万物は変化している。変化するものをずっと見ていれば、どれも面白い。
無常を知ると、あらゆるものが一時的、自分も一時的な現象だとわかる(←無我)。
あらゆるものが執着に値しないとわかる。怒りが成り立たなくなる。
無常は個人の感情とは関係のない事実・真理です。無常だからワクワク生きる。無常だから努力が実る。無常だから進歩する。無常のお陰で生きている。
無常を知ると、
子育ても上手になる。性格が柔軟になる。注意深い。落ち着いている。パニックにならない。明るく生きる。楽しく生きる。心を育てる。
「無常」はすごい!
人の批判をしても全く意味がないし、反対に自分の心が汚れるだけです。”ワタシはすべてを知っている神であ~る”と表明しているようなものだし、(感情的に)批判することで(心が汚れてしまって)さらに物事は見えなくなる。
批判するのではなく「見る」ことです。そして、結果を予測して対処する。
「無常」を知れば”予測”が出来るようになります。何故?どうやって?
「無常」は、幸福へとつながる明るい真理です。
でも、観察能力はどうしたら高められる?
もう少しつづく・・・
中学生の自殺のニュースですが、本人もいじめられて気の毒、親御さんもお子さんを亡くして気の毒、担任の先生も生徒の自殺を防げなくて気の毒、いじめた生徒もいじめてしまって気の毒、関わった人みんな気の毒です。どうしたらみんなが幸せになるのか、その方法をみんなが見つけることです。不幸な事件です。
生きとし生ける者の悩み苦しみがなくなりますように・・・
生きとし生ける者が幸せでありますように・・・
>何もかも変わっている。自分も変わっている。同じスピードで絶え間なく変化していくものだという事実に気づくことです。
何も変わっていないように見えて、変わっているのですね。
私も朝自分の顔を見ますと昨日はなかったシミに気付きます。
昨日はなかった白髪に気づきます。
知らぬ間に変わっていますね。
ただ見慣れているので気づきませんが。
こんな話ではないですよね!(笑)
>いじめた生徒もいじめてしまって気の毒
いじめられた子のプライバシーは、ここまで書くかよと思うくらいマスコミに報道されます。
いじめた子はあまり報道されません。
いじめたら世間にどれだけパッシングを受けるか身を持って知らせるべきだと考えます。
老化は感じますね~すごく感じる~
ま、当たり前ですけどね。仕方ない^^;
生まれたときから私たちは老化し続けているのだそうです。
どちらもプライバシーは守るべきだと思います。報道の仕方には疑問が大きいです。(悪意さえ感じることがある)
バッシングは自業自得かもしれませんが、何も解決はしないでしょうね。「目(いじめ)には目(バッシング)を」の考え方はさらに物事を悪化させます。「いじめ」「悪口」そのものが悪行為なんだから、どんな立場であってもやってはいけない。
いじめの「原因」をなくすことだと思います。いじめる子を育てない。
子供たちには、どんな小さな悪行為でも、すれば必ず自分に返ってくる、自分も含めて不幸になるんだ(自分の首を絞めているんだ)、不満があるなら善行為をするんだということを、小さい時から大人が慈しみの心で、しっかりと教え続けなければいけないと思います。(因果法則、善因善果悪因悪果の自然法則)
世の中は自分の思い通りにならなくても当たり前で、自分は神様じゃないのだということを教えなければいけない。想像力(思いやり)の乏しい子には人の痛みを身を以て感じる経験も時には必要かもしれません。でもそれ以上に、人に八つ当たり(いじわる)しなくてもいいように、”真の”愛情をかけて穏やかな子に育てることです。
大人の責任だと思います。
いじめた子供たちは、死ぬとは思わなかったのでしょう。愚かですがこの子たちも不幸です。
今こそ、お釈迦様の教え(仏教)じゃないかな?