子曰く。由(ゆう)や、女(なんじ)にこれを知ることを誨(おし)えんか。
これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為す。
これ知る為り
先生は言われた。由よ。お前に「知る」ということを教えよう。
「これを知る」は「これを知る」とし、「知らない」は「知らない」とする。
これが「知る」ということだ
「知」とは、「知っている」ことと「知らない」ことを峻別することで新たな「知」を創り出す、回路の作動、運動をいいます。
知と不知の分別の過程が「学」であり、
それが自らに跳ね返って「知」が変貌する瞬間が「習」
「知らないものがある」と認識することで、探究の過程が始まり、新しい知識状態に向けて遍歴することが可能になるのです。
いつでも常に「学習の構え」ができていること(こういう人が仁)
素直に正直に
「知らないことを知らないとする」
ことが重要です。(無知の知ですね)
そして「知らないこと」をそのままにせず、「知ろうとする」ことが「知る」なのでしょうね。
(これって、”自称”知識人や”偉い”人、エリートの人ほど苦手な傾向がありませんか?つまり、頑固、保身や見栄、エゴが強い)
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