論語で最も有名な言葉のひとつであるこの言葉ですが、普通は
「自分がされたくないことは、人にしてはいけない」
と解釈されていると思います。
ところが、これ、安冨歩先生(東京大学東洋文化研究所教授)によると、
「自分がやりたくもないことを、人にしてはいけない」
ということなのだそうです。これを「恕」と言います。恕も「思いやり」とか「やさしさ」という意味かと思ってたのですが、
「自分の心のままに」「心の如く」ですね。
心のままにやりたい放題せよということではなく(迷惑や失礼になる)、「したくないことはしない」ということ。否定であることに意味がある。
実際、いじめっこに”命令されて”誰かをいじめてしまったとしても、「やりたくなかったんだけど、やらないと自分がやられるから仕方がなかったんだ」という言い訳はできません。「やりたくないならやらなければいいでしょう」ということです。結局、自分の保身のためと思ってやったんでしょ?”やるという意志”が全くなかったらできないだろうし。やりたくないら、やらなきゃいいんです。
「親切」にしても、したくもないのにやったって、そんな優しさも思いやりもない嫌な心のままされたくはない、心は伝わる。親切なやさしい心があるならその心の如くすればいいし、嫌だと思うならその心の如くしないほうがいい。
勉強だって仕事だってなんだってそう。やりたくない、嫌ならその時はやらないことだね。人を言い訳に使わない。自分がやろうと思うか思わないか。自分の事なら自己責任、自業自得(善因善果、悪因悪果)。
そもそも、自分の心に背くのは苦しいことです。
「自分がされたくないことを」だと、それが何なのかわからない人いるよね。自分がされたくないことと人がされたくないことって、同じとは限らないし(かまってほしい人と、かまってほしくない人とか)、、、て、ちょっとモヤモヤしてたので、スッキリしました。わかりやすい。
子貢(しこう)問うて曰(いわ)く、一言(いちげん)にして以て終身これを行うべき者ありや。子曰(のたまわ)く、
其れ恕(じょ)か。
己の欲せざる所、人に施すこと勿(なか)れ
子貢が尋ねた。
「一言で、一生行うべきことを表現する言葉はございますか?」
孔子が答えた。
「それは『恕』かな。自分がやりたくもないことを、命令だからとか仕方ないからとかいって、人にやってはならない。それが『恕』だ」
(「超訳 論語」安冨歩 編訳)
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