なぜ自殺したくなるのか、を仏教の立場で見てみれば、それはそういう本能があるから、ということになります。本能とは煩悩です。誰にでもある。ワタシは大丈夫、なんて他人事ではありません。
もう少し詳しく説明すれば、
「一切は無常であるという真理を理解しない無知な心」を”無明”といい、無明から”渇愛”「尽きることのない欲望」が生まれる。
(”渇愛”により、”煩悩”が生まれ、”煩悩”によって生命は”輪廻”を繰り返してしまう。無明→渇愛→煩悩→輪廻)
「無常」を理解している人は、自殺しません。煩悩のまま死んでも、問題は解決しないし、苦しみから解放されることもないのですから。そもそも、無常を理解してれば、自殺するような生き方にならない。
「満たされない心、乾いた状態」(渇愛)から苦しみは生まれます。
「五欲」・・・見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触れたりしたい、という欲。
「存在欲」・・・生き続けたい、死にたくない、という衝動。
「非存在欲」・・・破壊意欲。怒りです。
これら三種類の「渇愛」は誰でも感じることで、当たり前のことです。しかも、この渇愛のエネルギーが「生きるエネルギー」になっているのです。でも渇愛が大きくなると苦しくなるし、不幸になる。なのでこれを「理性」でうまくコントロールできるかどうかです。
死にたい(苦しい)人は、根本の解決にはならないけれど、
とりあえず美味しい物を食べたり、いい音楽を聴いたり、”五欲”を満たすことでエネルギーを補充した方がいい。とりあえず・・・。
または、心の中にある怒りを、書いたりしゃべったりして吐き出した方がいい。怒りは一種”快感”でもあるので、生きるエネルギーにもなりますが、ためてしまうと自分を破壊(自殺)してしまいます。死にたくなる人は、思い切り怒ればいいのです。そして、怒りをためないこと、出すことです。
怒りは快感でもありますが、とんでもない猛毒なのです。溜めてはいけません。
一番いいのは、怒りのない人間になる、明るく楽しく気楽な人格をつくることですが。それには、よき仲間(善友)をつくるといい・・・。
恐ろしい怒りについては、次回。
(「自殺といじめの仏教カウンセリング」より)
考えたこともありません。
精一杯生きていれば、そんなことを考えないんじゃないでしょうか^^
したっけ。
「今、ここ」で、目の前のやるべきことを精一杯している人は、”将来”を悲観とか”過去”を後悔とかの「妄想」をしているヒマはないですからね。(無常が分かればそうなる)
頭で考えすぎるからおかしくなる。疲れてしまう。
理性が働かなくなって、本能にやられてしまう。
都月さん、ちゃんとわかってらっしゃる^^