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「慈悲」 岡本かの子

2014年01月29日 | 読書

慈悲

【人にものを与えるのに適当な事情を持つ人がいるとき、その人にふさわしい程度のものを与えるのが慈悲であると説くかの子は、トルストイの作品などから例えをひいて語る。自分の「志」を立てることばかり考えるのは、自己満足、利己主義の慈悲であると述べているのである。】

「芸術は爆発だ~」の岡本太郎さんのお母さん。明治から昭和にかけて活躍した小説家、歌人。

私は、人に物をあげたり、お世話をしたり、直接その人に関わることは頼まれなければしないようにしている。自分にも関わること(共同のこと)なら、自分のこととしてするけど。 で、ちょっとしたこと(親切)なら、黙って気づかれないようにやってる。していいか、大丈夫かどうか尋ねる。
それは、相手の自由を奪ってはいけないし、大きなお世話、押しつけになってはいけないと思うから。

でも、人から頼まれたとき、家族や親しい友人なら出来ることは無条件で喜んでできるし、出来ないことは気軽にゴメンねと言えるのに、人(特に大人)によっては”ちょっと勘弁して欲しいなあ”と思うことがある。(強引で欲だと感じる人、私が必要か?と思うことを何度も頼まれ負担、執着を感じる人)

私の慈悲の心が、まだまだ出来ていないのだろうなあ、と思う。私の能力が及ばないのだろうと思う。
「あたかも母が、たった一人の我が子を、命がけで守るように、そのように全ての生命に対しても、無量の(慈しみの)心を」(慈経)とまではまだまだいかない。しあわせは願っているけれど、できれば自分で頑張ってもらいたいと思うんだな。

 >本当の慈悲とは、ここに本当にものを与えるに適当な事情を持つ人がある。その時、その人に適当
   な程のものを与える。それが本当の慈悲であります。ここに一人の怠け者があって、それが口を
   上手にしてやって来たとする。その口上手に乗せられ、ものをやったとする。それは慈悲に似て非な
    るものであります。おだてに乗った、うかつものの愚な所行です。

 >人の云うことを聞けばよいと云って人を甘やかすばかりが慈悲ではありません。

と、岡本さんは書いている。私はうかつものなのか。(うかつものでありたくないと思ううかつもの・・・)

本当に困っているのか、甘えているのかの判断が難しい。自分で何とか出来るようになってほしい、しっかり生きてほしいとも思うし、私にできることならやってあげたほうが自立の助けになるのかもとも思う。でも何とかできることだろうとも思うし。これって利己的なのだろうか。
いや、考えすぎかな。したくないことは気軽にゴメンねって言えばいいのか。自分でやってみなって。

 >要するに本当の慈悲とは、相手の立場や本質を考え、自分の慈善的感情本位でない施しに於い
  て本然の達成が遂げられるのです。

慈悲って難しいなあ。やっぱり私は智慧が足りないなあ。まだまだ、修行が足りません。

あっという間に読めますが、とても考えさせられました。

星4つ 

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