この世の中、この社会は不公平です。
すべての命は平等ですが、この世は平等ではありません。残念ですが、それが現実。いくら”文句”を言ったってただ”気分”が悪くなるくらいなもんで、そうそう簡単に平等にはなりません(文句言っても逆効果、損、過信は不幸の元)。現実は現実。
善因善果、悪因悪果とはいえ、この世では(輪廻の中のどこかでは必ず”見合った果”を受けますが)非道いことをした人が楽に生きてたりします。この社会は未熟だからです(だから結果が出るまでには時間がかかる)。法律は穴がいっぱいで、平等と言えない不完全な代物です。本当に善因善果(悪因悪果)の当たり前の、平等な世の中にしたいなら、社会(法律も)を改善し続けるしかない。(人間が作った法律もアテにはなりませんが、それを守るのは平和に生きる智恵です。100%守りましょう。どんな小さな法律違反も犯さないことです。)
社会を変えるしかない、、、
ということは、社会を構成している”人間”が変わるしかないということです。
と言っても、この世には色々な人がいます。何万何億何十億という人間が生まれては死んでいきます。すべての人が理性と優しさをもてればいいんだけど、それは非常に難しい。たった一人の人の心を変える(育てる)のでさえ難しい。それぞれの人生があるのですから。
でも、あきらめて努力を止めれば、悪くなることはあってもよくなることはない。それこそ、悪因悪果。(心が汚れて退化していく原因がいっぱいある)
じゃあ、どうすればいいのか。
人に、それも”感情的に”「理性的にやさしくなれよー!」などと注意しても、「”感情的な”お前に言われたくねえよ」て、ま~ったく説得力はない。お互い様です。鏡です。そもそも、人は人を裁いたり自分の見解を押しつけたりすることはできない。
理性的にやさしくなってほしければ、まずは自分が理性的でやさしい人であること。少なくとも、そうあろうと努力をしていること。
まずは理性的でやさしい人になる努力をする、そして理性的で優しい人を一人でも増やしていく、理性と優しさを力にして、そうやって社会を変えていくしかないんじゃないかな。
ほんとに、こつこつとです。結果なんて気にしてたら、何にもできません。
結果ではない。努力することです。大事なのは生き方そのもの。
「一番じゃなきゃいけないんですか、二番じゃダメなんですか」と言って叩かれた人がいますが、叩いた人は一番の意味が分かってるのかな?(共通理解できてる?)。大事なのは結果・成果よりも、目的(方向性)。一番をめざしてがんばるなら(ホントにめざすべきものなら)、がんばることが大事なわけで、結果は二番だって三番だってビリだっていい。
その前に、何でもかんでも”一番”であることが本当に必要なことなのか。いいとか悪いとか(無常です)、結果を出さなくてはいけないとか(出せるものなら出てるさ)、、、だから、この世は住みにくい。よくならない。
もちろん、年齢や肩書きなど関係なく、理性と優しさをあわせもつすばらしい人もいます。そういう人を見習って、自分を高め、力を合わせて、住みやすい社会を作っていきたい。
まずは身近なところから、できることから。
いつも同じことばかり言ってるけど、社会を見てると思ってしまうのです。^^;
頭ではわかってるつもりなんだけどね…。(言ってることとやってることが違う人が多いよね~。…自戒をこめて)
一番を目指す心意気がないとね^^
したっけ。
人が一番をめざして一生懸命やってるのを”否定”するのはどうかとは思いますが、でも、ワタシは問題提起にはなったんじゃないかと思いましたよ。
実際スパコンについては一番じゃなきゃだめなのかどうか、ワタシも普通によくわからないから。疑問形は純粋に疑問な場合にだけ使った方がいいですね。
目標を高くもつことは大事だと思います^^