【「慈悲喜捨」を学び、誰でもできる実践方法を伝授。「加減を知る生き方」「頭がよくなる善行為をしよう」「ブッダの説く「慈しみ」の世界とは」「『慈悲喜捨』の実践のしかた」など心を整える術を伝える。
先の見えない時代、生きる苦しみから救ってくれる「慈・悲・喜・捨」のシンプルな習慣と考え方。】
社会が”一丸”となったら危ない。”多様”な意見が”自由”に議論できない社会は恐ろしい。報道は中道、冷静理性的で客観的な事実を伝えるべき。敵を作れば争うことになる。憎しみや暴力の連鎖。悪循環。戦いたい人。軍事産業で儲けたい人etc・・・?
世の中を見てるとなんだかちょっと不安になりますね。
なぜ人は歴史に学ばないか。いや、学べないのです。自分の都合のいいようにしか、自分の主観でしか学べないのです。そして学びたくもないのです。エゴがあるから、自分がかわいいから、自分の思うようにやりたいのです。そういう人がホントに多い。
人間は、自分の気持ちが善なのか悪なのか区別ができない、というよりも自分の行為は善い行為だと勝手に思っているのです。みんな自分のやっていることは正しいと思っているのです。地位や肩書きがある人は特に。そして、心の弱い人は自分が正しいと思いたい。そういうもの。
人はなぜ罪を犯すのでしょうか?自分のためです。エゴの錯覚があるからです。他の生命を軽視しているからです。エゴが敵を作ります。敵を作ったら安心して(穏やかに)生きることはできません。残念ながら。
人間の幸福論は自分に限った幸福論。なので、他人にとっては迷惑な生き方になるのです。(お互い様。みんな迷惑を掛け合っている。・・・となかなか思わない^^;)
あのね、でもね、
自分(や仲間)だけが唯一ありがたい存在ではなく、
一切の生命は平等
なのです。
少しでも理性のある人、苦しみから解放されたい人は「慈悲の実践」をするしかない。曖昧な(特定の人や仲間内の偏った、エゴに近い)「愛」ではなく、すべての生命に対する「慈悲喜捨」(慈しみ友情・憐れみ・喜び・冷静平等)の心。「慈悲の実践」でしか幸福にはなれません。もう、人間のエゴをなくす努力をするしかない。
他の生命の協力なしに、助けなしに、自分の命は成り立ちません。ですから、自我を張るのではなく、どうすれば皆、味方になってくれるのかと考えるべきです。
慈悲の実践は、誰でもできるし、始めたその日からすぐに効果が出ます。慈悲喜捨の心さえあれば、すべての問題が解決します。(人はもともと慈悲喜捨の心をもってない、だから意識して育てるのです)。怒りは猛毒です。慈しみはその解毒剤。一切の差別なく、冷静に、すべてのあらゆる生命を慈しみ、憐れみ、共に喜ぶ心をもてば、一遍に解決。誰にも迷惑をかけることがない。みんな幸せ。
残念な人間社会です。だから、政治や社会に期待しても無理。
自分で慈悲喜捨の心を育てながら生きるしかない。自分が身近な人といい社会を作る。そこからしか、始まらない。
不安を鎮めるのは「慈悲喜捨」。これさえあれば、恐れることはなにもない。
(慈悲の実践とは・・・あらゆる生命、生きとし生けるもの全ての幸せを願うこと。慈悲喜捨の心を育てること)
精神論です。心がすべての行動をつくりだすのですから。真理に基づき、理想に向かって歩かなければ待っているのは苦しみだけです。
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。ー車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」(真理の言葉)
星5つ
なかなかむつかしい本ですね!
⚪︎なぜ人は歴史に学ばないか。いや、学べないのです。自分の都合のいいようにしか、自分の主観でしか学べないのです。そして学びたくもないのです。
⚪︎一切の生命は平等なのです。
この辺りの文章は納得ですが、「慈悲喜捨」がどうもよく分かりませんでした。(苦笑)
実際に本を読んだ方が分かりやすいと思います。(うまく説明できない^^;)
慈悲喜捨について、明日の記事で補足します。
(本を読んだ方が分かりやすいと思いますが^^;)