昨日はTIOの会(玉野井原岡山”おねえさん”の会)で、晴天の下、久しぶりの長距離?ドライブと美味しいランチと楽しいおしゃべりでエネルギーを充電してきました。みんな元同じ職場の仲間、年齢は違っても仲良きことは美しき哉。いい一日でした。(集合時刻を20分間違えてて、早く着きすぎてしまいました。Yさん、わりい^^;)
それと、昨日今日は姪の大学受験。音楽の大学はお金が掛かるので(貧乏だし)公立でないと行けない。選択肢が少なくても(実はいくらでも道はあるんだよ。大丈夫!)、やりたいことにはチャレンジすべし。とにかく、やれることはやるべし。がんばるしかない!がんばれ~!!と心で応援しながらハンドルを握っておりました。(まみおばの心、届いたかな?)
教育の現場、若者の未来を思いながら読みました。
【著者がコペル君の精神的成長に託して語り伝えようとしたものは何か。それは、人生いかに生くべきかと問うとき、常にその問いが社会科学的認識とは何かという問題と切り離すことなく問われねばならぬ、というメッセージであった。】
1937年当時の日本と、現代の日本。
第2次世界大戦の前と後で、社会の仕組みは大きく変わっても、実は変わらない人間の悩み苦しみ。今ある苦しみを大きくしてしまうその原因を見誤れば(視点、見方ですね)、さらに大きな苦しみを味わうことになる。
二つの時代は、「危うさ」という点でとても似ているような気がする。
明治憲法の下、戦前の封建的社会の中でも、思考停止して流されることなく一人の人間としてしっかり生きるにはどのようなものの見方をすればいいのか、コペル君の成長と叔父さんの言葉が一つの視点、大きなヒントとなるのではないでしょうか。
「わたしはどう生きるか」という問いかけを、一人一人が常に心にもっておくことは、大変重要なことだと思います。幸福とは?生きるとは?
社会の流れがどこに向かっているのかを見極め、滝壺に落ちてしまう前に自分の流れの方向を少しでも変える努力は、(幸福に向かいたいなら)した方がいい。
どう生きるか。これは、「流されない」ということだと思います。自分で泳ぎ、自分で舵を取る。自分で考え、自分の判断で生きる。自分の人生を、しっかり生きよう。社会の前に個人がある。
どんな小説であれ、読む人の”本質を読み取る力”次第で、どうにでも読めてしまいます。枝葉末節ではなく、「本質」を読み取ることが大問題なのです。この本も、叔父さんの言葉をそのまま鵜呑みにすることはない(その時代、世相の影響は見られる)けれど、自分の見方考え方を疑ってみること、確かめてみることは大事なことだと思います。そこに、学びがあるわけです。
たくさんの学びがあるよいお話だと思いました。
コペル君は、現代の(文明が進み、物質も情報も多い)子どもたちと比べたら、一見幼く見えるかも知れない。けれど、ものの見方が純粋で、深い思考(気づき)のできる子です。現代の子どもも、道具を使いこなすことや外からの情報にばかり頼ってないで、自分の五感を働かせてしっかり感じ、しっかり判断し行動できる人になってほしいと願います。
子どもも読みやすい文体ですが、内容は大人が読んで十分考えさせられるものです。
現代は物や情報が多い分だけ色々なモノが複雑化しています。人間関係もこんなに単純じゃない、と思うかも知れません。叔父さんの深い話は、じっくり考える習慣のない子どもには難しい(拒否反応おこす?)かも知れません。でも、人間関係は実にシンプルに観ることができるのです。余計なモノを見過ぎている、「本質」を観てないだけで。
せめて高校生くらいの人は、じっくり読んでみてほしいと思います。
先人の話には耳を傾けた方がいい。
偏見をなくし、物事を深く観るきっかけになればいいと思います。
姪にも読んでもらいたいな。
星4つ
漫画版も売れてるみたい。現代っ子には漫画の方が理解しやすいのかな?
エゴに片寄りがちな現代は、気をつけてないとその反動(やその他諸々)で、自由のない社会に変わってしまうかも知れません。国家権力から強制される前に、自制しながら自立し、お互いに住みやすい(民主的な)社会をつくっていければと思います。
万が出は読解力はつかないと思いますが・・・。
読まないよりはいいか^^
したっけ。
長くてけっこう深い叔父さんの手紙は漫画ではなく文章らしいので、めんどくさいのはすっとばして漫画だけ眺めて終わり、にならないといいですが、、、。
岩波文庫はちょっと字が小さいので、目にはきつかったかな^^;
でも、原作を読みたい。