はじめの一歩から。

一歩を踏み出すには、チョッと勇気が必要。でも、一歩一歩が積み重なって結果になる。今日も一歩を踏み出そう!

GW自転車でTDRへの旅《2日目:その4》 ~東京駅到着!交番前で輪行袋に自転車を入れる.....。~

2012-05-18 | 01 自転車ライフ
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皇居沿いに進みながら、東京駅を目指した。




東京都内のゴール「東京駅」が目の前に見えた。
 日時 4/29 Pm0:46




特徴ある形の赤レンガ駅舎を見るとタイムスリップした気持にさせてくれる。
 日時 4/29 Pm0:46




駅舎は復元工事が行われていた。
工事用の敷地区分ボードには、赤レンガの駅舎が描かれていた。
通行人の中には、このボードの前で写真撮影をしていた方が多数いた。
普通工事には、真っ白な工事ボードが使われるのだろうが、イラストを描くだけで迷惑なものから写真撮影されるような思い出の場所へと変われる。
創意工夫とは正にこの事だと思う。
 日時 4/29 Pm0:50


 この工事は、2007年(平成19年)5月30日より、駅舎を本来の姿に近い形態に復原する工事を行っている。3階の躯体部分を鉄骨鉄筋コンクリート壁で新たに増築の上3階建てに戻し、外壁、尖塔、南北両ドームの内外の意匠を再現させるとともに、地下1・2階を増築し免震装置を設置させる予定であるという。
駅舎の一部(1階部分)開業は、2012年(平成24年)6月10日で、全面開業は同年10月の予定のようだ。





早く工事が完了した東京駅の姿を見てみたいと思う。
 日時 4/29 Pm0:50


 かつての丸の内側の赤レンガ本駅舎は1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍による東京大空襲によりその多くが破壊され、終戦後の1947年(昭和22年)、開業当初の状態より一回り規模を縮小して修復された。
GHQの体制下応急処置的に工事が行われ、屋根の小屋組については復員してきた海軍の技師が、5年もてばよいということで、薄い木材のトラス造りで応急的に工事をしたというが、結局60年以上の歳月が過ぎることとなった。
そして、赤レンガ駅舎は保存の市民運動が起こった。
そのため、1988年(昭和63年)、政府は学識者の委員会による東京駅周辺地区再開発構想を取りまとめ、赤レンガ駅舎の現在地での形態保全の方針を決定し、JR東日本などの検討により1999年(平成11年)、本来の形態に復原することとなったという。
そのための条件なのか、2003年(平成15年)には国指定の重要文化財に指定された。





東京駅の歴史に感動してばかりはいられない。
現実に戻り、
自転車を輪行袋に入れて改札を通過して新幹線に乗らなくてはならない。
少し広くなっていた、駅前交番近くで作業を開始した。
 日時 4/29 Pm0:50




最初に自転車を逆さに置くために、ハンドル周りのサイクルコンピュータなどを外す。




時計やカメラ接続金具などをすべて外して、きれいなハンドル回りとなった。




両車輪を外すために、自転車を逆さにする。




ここで忘れがちなのが、リアのギアを最小にしておくこと。




前輪を外し、




後輪も外した。




外した後輪のギアにはカバーをする。




リアエンド金具を取り付ける。
車輪についているクイックレバーと同様に適度に締めていく。




付属のベルトでフレームと前後車輪を結束する。
ここでのポイントは、単純にベルトを回すだけでなく、フレームに1巻きしてから結束すると固定力が高まる。




ベルトの締める位置の理想は、12時、4時、8時の位置だったが......。
どうみても、12時、3時、9時になってしまった。

それでも、事前練習していたお陰で、なかなかスムーズに進んでいる。
 日時 4/29 Pm0:59


何事も事前練習の必要性を感じた。



  GW自転車でTDRへの旅《2日目:その5 完結 》へ続く。


 

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