ビースケ&チャコと田舎ぐらし

チワワの朝陽ちゃんが わが家に

恐怖の日々

2011年03月16日 | その他
3月11日、M.9の東日本巨大地震・大津波・・・恐ろしい。
次々に報道される津波の様子に言葉も無い。
避難所で苦しい状況に耐えておられる皆様にお見舞い申し上げます。

被災された方々の辛さと余震が続く不安な日々を思う。
亡くなられた方々の無念、恐怖はいかばかりだったかと。

昨日は、90時間を過ぎて救出された方もいる、この寒さの中で救出を待つ人々がいる。

今日は無常なことに雨が雪にかわったと・・・。
天は、どこまで痛めつけるのか! 誰を恨めばよいのか!誰にこの怒りをぶつければよいのか!

その上6日を経た今も、未だにご遺体を収容することも安置することもできないでいる方々がおられる状況とか。



咲き始めた白木蓮をお供えしましょう。
亡くなられた皆様のご冥福を心からお祈りさせて頂きます。

災害ボランティアをできる年でもなく、僅かばかりの義援金を送らせてもらうのみ。


その上、福島第一原発での事故も一体どうなっているのだろう。

東日本巨大地震の余震ではなく、長野県を中心の震度6の地震は別のものとか。
プレートが刺激されて東南海地震に影響したりしないかと恐ろしい。


あの辛かった阪神大震災後の日々を思い出し苦しく落ち着かない。
一種のフラッシュバックなのだろう。
気分が悪くなるにもかかわらずTVから目が放せないでいる。

神戸では津波はなかったが、6000人余の方が殆ど一瞬に圧死された。
津波が起こっていたら、私たちも生きてはいなかっただろう。

あの時も震度5や4の余震が二週間以上続き、職場に泊まりこんでいたので「今のは、震度3だとか4」と判るくらいだった。

因みに、私が住んでいた神戸市東灘区は家々がドミノ倒しに潰れた。
ビルも一階がペシャンコになたったり、傾いてしまったマンションも多かった。
水道管やガス管の破壊が最も厳しかったため、復旧が最後になった。

電気の復旧は比較的早く4日後だったが、水道は8~9週間後くらいの3月末。
ガスの復旧は最も遅れて4月初めで10週間もかかった。
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