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ひなたぼっこねこ

のんびり のんびり
ひなたぼっこ。。。

故郷 Ⅴ

2011-04-02 18:06:20 | 

元祖日本一低い山「日和山」

日和山の上の一本松

日和山から見た蒲生干潟と蒲生海岸

去年の夏に見た風景

何度も何度も見たこの風景も

津波ですべて無くなってしまいました

とても悲しい思い出も増えてしまったけれど

生まれた町

育った町

どんな形になってもやっぱり

たくさんの思い出のある私の故郷です

テレビで取り上げられない

被災にあった小さな町もたくさんあります

応援してください

たくさんの被災した町の人が元気に明日を歩めるように

新しい町に笑顔がいっぱい戻る日まで

たくさんの悲しみを忘れないでください

私の故郷は

宮城県仙台市宮城野区蒲生

海の近くの小さな町です

 

 

 


故郷 Ⅳ

2011-04-02 17:29:55 | 


               母や妹達は
               住民票を取ることから始め
               少しずつ前へ進んでいこうとしています
               ばらばらになった町の人達を
               今度一緒の避難場所に集めるということになり
               母は町のみんなと一緒に避難所にいると言っているので
               会社のこともある妹は
               その避難場所の近くにアパートを借りました
               弟は実家の家から転々と落ちているという
               仕事で使う資材を探し歩いたり
               仕事先に行ったり
               どっちが本職なのか分からなくなってしまったけれど
               カメラマンの仕事をしたり
               毎日忙しそうにしています
               
               実家から300m以上離れた場所に
               実家のまわり4、5軒の家が瓦礫の山になってあったそうで
               初めに行った時に「見つけたんだよ」と弟がいうので
               何を見つけたのか聞いたら
               「お母さんの若いころの写真見つけたよ」
               と言っていました
               また何日か経って行った時にも
               「お母さんの成人式の写真見つけたよ」といい
               私も何度か見たことがある
               母の箪笥の中にしまってあったアルバムに貼ってあった写真
               なんだか父や祖父祖母が母を守ってくれていたような気がしました
               弟の仕事で使うカメラバックもあったようですが
               まったく使い物にならなくなってしまったので
               ショック…でしょうね
               でも歩いているとき卒業アルバムが落ちているのを見つけ
               中を見てみたら自分のアルバムだったそうです
               
               何か私にできることはと
               荷物が局留めですが送れるようになり
               下着や靴下、服や、母も身ひとつで逃げ何もないので
               これから書類やいろいろ入れておくのに
               主人が一生懸命悩みながら探してくれたバックを送りましたが
               妹が笑いながら
               「お母さんが、バックもったいなくて使えないよ
                お出かけ用にしよう、って言ってたよ」
               と言っていました。
               「使ったらいいのね~」「そうだよね~」
               妹とふたりで笑ってしまいました

               弟が送ってくれた画像は
               基礎だけになってしまった実家のあった所です
               水たまりに見えるところが母屋のあったところ
               奥に納屋があり
               その奥にトラック置き場、資材置き場
               見ているともうどんな建物だったのか
               思い出せるような思い出せないような
               不思議な感じですが
               少し前まで住んでいた所が
               一瞬に無くなってしまう
               津波の怖さを思い知らされた画像です
               
               この辺りはみんなこのようになってしまい
               海からの砂で砂浜のようです
               
               
               

               
                        
               
          
               
                           
                               
                 
               

故郷 Ⅲ

2011-04-02 14:22:14 | 



               妹家族がみんな会えたのは次の日
               弟が避難所をまわり母を見つけたのは3日後
               小学校の屋上に逃げた人達は
               次の日、自衛隊のヘリで助けられたそうです
               本当によかった、そう思いました

               何日か後
               避難所から電話がかけられるようになり
               妹が電話をくれました
               妹、姪、甥達が次々に元気な声を聞かせてくれました
               最後に母が電話に出たときの第一声
               「来なくていいから!大丈夫だから!
                避難所でおにぎり握ってるから!」
               思いもよらない
               いつもと変わらない…いつもより元気な母の声でした
               何かしていないと考えてしまう
               そんな思いが無意識にあるのかもしれません

               「10センチ高い所だったからよかったんだ
                海の松の木の上に波が見えた時
                もうだめだ!と思って、後ろ向いて目をつぶってたよ」
               そう話をしてくれ
               10センチ高いところの意味はちょっとわからず
               母の話を聞いていたのですが
               後から弟に聞いた話では
               母達が小学校の階段登っている途中
               母と一緒に逃げた友人のお母さんの2、3人後ろの人達は
               後ろから来る波にさらわれてしまったということでした
               10センチ高いところ…母は階段一段で助かったのでしょうか
               その時の母のことを思うと涙が出てきます

               弟のことも
               「甥とふたりで2往復したんだって!
                津波が見えたんだって!すごいねー!」
               そう話をし
               私はてっきり母は弟の車で小学校まで逃げたと思っていたのですが
               母達は歩いて小学校まで行くから
               近所の人達で歩けない人がいるから乗せて行って
               そう弟に言ったそうです
               弟も甥と一緒に
               トラックの荷台に乗せるというより
               おばあちゃんたちを荷台に放り投げた
               そんな感じだったそうです               

               年配の方が多く住む地区なので
               亡くなった方達もたくさんいるそうです
               母が逃げる途中で
               「早く逃げて!!」と声をかけた近所の人達で
               まだ見つかっていない方もいるそうです
               行方不明だった叔父も
               15日以上も過ぎた時にがれきの中から見つかりました
               弟と話をしていると
               被災地のテレビなどではわからない
               私たちが思ってる以上に大変な現状やその時の様子などがわかり
               本当に胸が苦しくなります

               画像は妹達が住んでいたアパートのまわり
               アパートの屋根だけ残って瓦礫の山だったそうです