夕方、姪が電話をくれました
自分は大丈夫、一緒のアパートの人と車で逃げた
ばあちゃん(私の母)は小学校の屋上
お兄(私の甥)から連絡があったからと
ラジオからの情報しかない中で
とても救われた姪からの電話でした
夜になり
仙台のばあちゃんは?と
泣きながら電話をしてきた娘も会社から帰って来て
夜、ロウソクの薄明かりの中
電気の入っていないこたつにみんなで足を入れていると
ほんわかぬくもりがホッとする感じがしました
電話が鳴り
仙台の弟の声が聞こえました
携帯電話も繋がらず公衆電話からでした
母は小学校の屋上へ避難
でも小学校とは連絡がつかない
弟はたまたまその日実家の近くに仕事に来ていて
地震の後
トラックの荷台に
逃げる人達を乗せながら小学校まで運んだとの事
甥が荷台に乗って引っ張り上げていたのかもしれません
車で5分もかからない小学校まで
避難する人達を乗せ2度往復し
3度目、町に入った時
目の前に波が見え、家が崩れていくのを見たということです
急いで逃げ
小学校へ行ったのでは助からないと思い
そのままなるべく遠くへと車を走らせたそうです
その途中にも10人以上の人達を荷台に乗せながらという事なので
津波の映像をテレビなどで見た今
後ろから迫ってくる津波を見ながらのその行動は
よくやったねと思う反面
ぞっとする気がします
その時の弟の気持ちはどんなものだったのか
その時まだ足が震えていると言っていました
弟とも連絡が取れ
後は母が無事なことを祈るだけでしたが
10m以上の津波だとラジオから流れるなか
小学校は河口からすぐの川沿いの土手の下
そんな波が来たら
屋上とはいえ、たしか2階建ての小学校
母は本当に大丈夫でいるのか心配でした
ラジオからの錯綜する情報
続く余震の揺れ
この寒さの中
屋上にいるかもしれない母やたくさんの人達を思い
眠れない夜の時間が過ぎて行きました