![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/cb/7ecb6c4c774a1d25038319ba40a99d29.jpg)
目の前に広がる故郷の景色は
その町がどういう町だったのか
思いだすのも難しいくらいに変わっていました
津波にも崩れずに残った白い橋をたどって
やっと実家のあった場所が分かるくらいに…
その場所には何も残ってなく
それでも何か残っていないか
流れてきた砂の下の土を堀り
その中から出てきた
きっとずっとそこにあったと思う
小さなおはじきを見つけて
ポケットに入れて持ってきました
壊滅したと言われた蒲生干潟と日和山
干潟には鳥がたくさん集まって来ていて
前とは違うけれど
また干潟が戻るのではないかと感じました
日和山は津波に大きくえぐられていたけれど
なんとなく面影は残っていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/43/cfbdb0ba4fd585d39fbbca8e5c36b2c8.jpg)
小学校の近くにあったお地蔵様
小学校の屋上に避難した小学生はみんな無事だったと聞きました
お地蔵さまが守ってくれたのかも知れません
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/cd/8d62ed29629b7d40f45a1d50f599b11c.jpg)
母たちが避難した中野小学校の屋上
男の子たちはもう一段高いところに登って避難したそうです
寒い中で一晩
どんな気持でいたのか
私には想像もできません
被災地と言われる実家のあった地区に行き
母達のいる避難所に行き…
何もできない私がいました
ただ黙って話を聞く事しかできず
「大丈夫」とか「頑張れ」とか毎日のように聞く言葉は
自分の親にも、兄弟にも言えない現実がそこにはあり
苦しみや悲しみや無念さや後悔や
考えられないくらいの思いがまだまだそこに残り
亡くなったたくさんの方達や
まだどこかに眠っている方達のために
花と手を合わせること
私にはそれしかできませんでした